量子コンピューターのユースケースを拡大する
量子・古典融合計算基盤「ABCI-Q」の挑戦
量子コンピューターが産業応用できるエコシステムの必要性
人工知能(AI)は長い間、一般の人の生活や仕事とは縁遠い存在でした。ところが2022年末にChatGPTが公開されたことで、その様相が大きく変化しました。多くの人がChatGPTをはじめとした生成AIを、生活や仕事のパートナーとして活用するようになったのです。
未来の計算機と考えられている量子コンピューターは、以前のAIと同様に、まだ一部の研究者や企業のものです。ChatGPTのように、一般ユーザーの課題解決に使われるようになって初めて、量子コンピューターもその価値が広く理解されるようになるのかもしれません。量子コンピューターが社会を変える存在になるには、研究室の中での性能を競う次元から、実際に企業や社会で使われて価値を提供する「ユースケースが生まれる次元へのシフト」が必要です。
量子コンピューターの研究開発と産業応用は、日本でも重要な国家戦略として位置づけられています。世界各国も同様に、量子コンピューティング技術の確立や産業化を国家戦略と位置づけています。そうした中で、量子コンピューターによる社会的価値や市場を創出するためのユースケースをどのように作るかが、大きな課題として認識されています。量子コンピューティングを実現するハードに加えてソフトも開発し、優れたユースケースを生み出す必要があるからです。その結果、産業価値が高まることで投資を呼び込み、そこからまた基礎研究や開発が進展して、さらなる産業応用を生み出していく。こうした循環を回していくための仕組みが不可欠です。
産総研マガジン「世界に先駆けて量子産業の道を開くグローバル拠点G-QuATが始動」
ABCI-Q は、高性能GPUを備えたスーパーコンピューターを中核に据え、超伝導方式や中性原子方式、光方式など複数方式の量子コンピューターを接続します。量子計算を古典計算の一部として組み込み、ハイブリッドに活用できる環境を提供している点が大きな特徴です。既存の古典コンピューターと量子コンピューターを組み合わせることで、ユースケースに対応した新しい量子コンピューティングのエコシステムを作り出すことを想定しています。ABCI-Q は単なる最新計算機の集合体ではなく、量子技術を社会に実装していくための重要な入り口の役割を果たします。(産総研マガジン「G-QuATが描く量子コンピューター産業のエコシステム」)
産総研が社会実装や産業応用に向けたプラットフォームを提供
2025年5月に落成したG-QuAT本部棟(2025/5/18 お知らせ)
ABCI-Q は、産総研が2023年7月に設立した量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター(G-QuAT) が整備しました。G-QuATは、量子技術とAI、古典計算技術を融合させ、社会実装や産業応用につなげることを目的とした研究拠点で、それまで基礎研究・開発中心だった量子技術の産業利用推進を目的とし、経済産業省の支援下で、「量子未来社会ビジョン」と「量子未来産業創出戦略」に基づいて設立されました。(産総研マガジン「量子コンピューターのビジネスエコシステム創出を目指す産総研」)
量子コンピューターを社会や産業の課題解決のツールとして使おうとした時、単体ではできることがまだ限られています。そこで今、主流となっているのは、古典コンピューター(既存のコンピューター)と量子コンピューターを組み合わせて使う手法です。ユースケースと連携して産業化を支援するため、G-QuATには3つのプラットフォームがあります。
1つ目が、量子・AI計算を実現する量子・古典融合計算基盤のABCI-Qです。2つ目は実際の利用環境に近い評価設備を整備した評価テストベッドの導入。3つ目は、量子コンピューターの心臓部となる量子チップや制御回路などのデバイス製造技術で、ファウンドリーサービスを提供します。
ABCI-Q は、G-QuATのプラットフォームの中で、利用者と量子技術を結び付ける実践的な基盤として機能しており、量子コンピューターを「特別な研究装置」から、「使える計算資源」へと変化させる役割があります。実際、研究者や開発者にとって、量子コンピューターで何ができるかが発想の中心になりがちです。しかし社会や産業に立脚したエンドユーザーは、自分たちの前に立ちはだかる課題を解決することが目的です。課題が解決できれば、必ずしも量子コンピューターを使わなくても良いとも言えます。量子コンピューターの機能をフルスタックで備え、古典コンピューターとの連携による価値を創出を可能とするABCI-Qは、研究・開発者とエンドユーザーの間に生まれがちなギャップを埋めてつないでいくプラットフォームの役割を担います。
一般提供を開始したABCI-Qの意義
G-QuATは、2025年10月14日13時に、量子・古典融合計算基盤であるABCI-Qの一般提供を開始しました(2025/10/06 お知らせ)。ABCI-Qは、GPUスーパーコンピューター「システムH」を中核に、3種類の量子コンピューター(超伝導方式、中性原子方式、光量子方式)を組み合わせる構成をとります。中核となるのは、NVIDIA社製GPUを多数搭載した高性能計算システムです。大規模なAI処理に加え、イジングマシンや量子シミュレーターなども利用できます。
ABCI-QのシステムH
ABCI‑Qは特定の国家プロジェクトに限定されることなく、アカデミアや企業との共同研究、さらには単独での研究開発にも幅広く活用できる量子・古典融合計算基盤です。実際に、2025年10月の一般提供開始以降、GPUスーパーコンピューター「システムH」を外部研究者が活用できるようになりました(2025/10/17 お知らせ)。また、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が実施する2026年度未踏ターゲット事業では、次世代技術を活用する先進的なプロジェクトの採択者が、ABCI-Qを活用できる予定です(2026/02/05 G-QuATお知らせ)。今後は研究用途にとどまらず、企業の商用利用にも対応できるよう、利用規約や支援体制の整備が進められており、社会実装に向けた本格的なプラットフォームへ発展することが期待されています。
ABCI-Qが一般提供を開始したことには、単なる一般利用を超えた意味があります。量子・古典融合計算を前提とした共通基盤としてのABCI-Qが広く一般に提供されたことで、ユーザーは自ら計算環境を一から構築することなく、量子アルゴリズムの検証や応用探索に取り組めるようになるからです。これは、適したユースケースを探して量子技術の社会実装を現実に近づけるための大きな一歩です。
量子コンピューターがある未来へ向けて
産総研では、量子・AI技術が社会実装された将来像を次のように描いています。それは、世の中の多くの人が「量子コンピューターを使っていることを意識せずに高度な計算ができる社会」です。量子コンピューターであることを意識せずに使った計算インフラが産業ツールになり、日本の労働生産性が向上し、経済的豊かさにつながる好循環が生まれることが期待されます。例えば、介護ロボットや自動走行運転などロボットと協調した世界の実現も、量子・AI技術のハイブリッド化が後押しするでしょう。
CEATEC2025での対談の様子
2025年10月に幕張メッセで開催された「CEATEC 2025」では、G-QuATセンター長の益一哉と、台湾元デジタル担当大臣のオードリー・タン氏が対談を行いました。その中でタン氏は、「長期的な研究と短期的な社会課題は、どちらか一方を優先するよりも、長期と短期の間に“橋”をかけることが解決のカギだと考えています。G-QuATは、まさにこの発想を体現していると思います。特に、ABCI-Qが量子コンピューターと古典コンピューターを組み合わせて運用している点は、まさにハイブリッド型のアプローチです」と語りました。
G-QuAT 益も、「基礎研究をする研究者と、ビジネスの現場の方々とでは、時間軸の感覚が違うことを実感しています。お話の中で、タン氏がおっしゃった“橋”が印象的でした。G-QuATでもこの“橋”を意識して、国内のアカデミアや産業界の研究者が集うだけでなく、国内外の研究と産業をつなぐ場として機能させたいです」と、抱負を語りました。(産総研マガジン「量子技術は、人々を“つなぐ”ためのインフラになる」)
G-QuATが整備したABCI-Q は、量子コンピューターを社会で使うための現実的な計算基盤として、少しずつ確かな役割を果たし始めています。2026年度の利用申し込みは 2026年3月18日(水)に予定されています。また、G‑QuAT ではユーザー説明会やセミナーも随時開かれており、利用者同士が知見を共有する場として育ちつつあります。G-QuATが描く量子技術の社会実装と、エコシステム構築という大きなビジョンに向けて、その第一歩が今、動き始めています。