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マイナス269 ℃で使える量子コンピュータ用読み出し回路の開発

2023/03/22

マイナス269 ℃で使える量子コンピュータ用読み出し回路の開発 オールジャパンでとりくむ汎用量子コンピュータの実現

研究者2人の写真
    KeyPoint 近年、量子コンピュータの開発競争が激しくなっている。中でも、量子化学計算や量子機械学習を得意とする「汎用量子コンピュータ」は、材料開発や人工知能、金融分野への応用の期待が高く、世界中の企業や大学・研究機関が力を入れて開発に取り組んでいる。そのような中、日本の研究機関が集まって立ち上げたオールジャパンの研究プロジェクトは、これまでに培った半導体集積回路開発の技術と経験を生かして、世界基準の汎用量子コンピュータの実現に向かって歩みを進めている。この開発の中で、欠かせない技術の一つが、「誤り訂正技術」だ。従来のコンピュータでも、使っている間にさまざまなノイズが入り、データに誤りが生じるため、それを訂正するためのさまざまな工夫が凝らされている。よりノイズに弱いとされる量子コンピュータでは、誤り訂正技術はさらに重要となる。誤り訂正を瞬時に行うためには、データを担う「量子ビット」の状態を高速かつ正確に読み出すことが必要となるが、従来は「量子ビット」は冷凍機の中、読み出し回路は長いケーブルでつないでいった先の冷凍機の外という効率の悪い状態で開発されていた。産総研が実現した読み出し回路は、-269 ℃(4ケルビン)という極低温下で動作し、シリコンスピン量子ビットとよばれる量子ビットの状態を、従来の100倍のスピードで正確に読み出すことができるものである(2022/6/14 プレスリリース)。2人にその開発の経緯を聞いた。
    Contents

    物理学の世界に集積回路技術を持ち込む

     従来のコンピュータ(量子コンピュータに対して古典コンピュータともよばれる)は、データを「0」か「1」かで表す。量子コンピュータでは「0」と「1」だけでなく、両者を重ね合わせた状態、例えば「0」が70 %で「1」が30 %といったデータも保持できる。そして、重ね合わせのデータを一度に演算処理して並列演算を行えるので、高速に問題を解くことができる。

     汎用型の量子コンピュータは、原理的にはすべての問題を対象に計算できる。しかし計算結果も重ね合わせで出てくるので、現実には目的とする答えを取り出すための量子アルゴリズムが開発できているものに限られる。今のところ、量子アルゴリズムが示され、かつ古典コンピュータよりも高速に解けるとされているのは、量子化学計算や量子機械学習、組み合わせ最適化の計算だ。これによって、材料開発や人工知能、金融分野への応用などが飛躍的に進むと予想され、世界的なIT企業などが研究開発にしのぎを削っている。

     一般的にIT分野の研究開発で日本は米国に水をあけられているとされているが、日本の研究者も量子コンピュータの開発には大きく貢献している。量子コンピュータ開発ブームの発端となった、2011年市販のカナダD-Wave社の量子アニーリングマシン(非常に限られた問題の計算に特化した量子コンピュータ)は、東京工業大学の西森秀稔名誉教授が原理を考案したものだ。また量子ビットについても、東京大学・理化学研究所の中村泰信教授(当時日本電気株式会社)らが、1999年に世界に先駆けてジョセフソン接合を用いた超電導量子ビットを発表している。

     そして2018年に産総研や理化学研究所、東京工業大学など五つの研究機関によるシリコン量子コンピュータに関する研究プロジェクト*1が発足し、新しい試みが始まった。

     リーダーを務めるデバイス技術研究部門の森貴洋は、「それまで量子コンピュータ開発の担い手は、理論を得意とする物理学の研究者が中心でした。このプロジェクトでは、私を含めシリコン半導体の工学的アプローチを得意とする集積回路の専門家が大勢入ったグループができたのです。国内では初めてのことですし、海外を見ても早かったと思います。汎用型量子コンピュータの信頼性の向上と効率化を、従来のコンピュータで培った技術やノウハウ、経験を生かして実現していこうと意欲的に活動しています」と、その立ち位置を語る。今回の成果も、その上にあるものだ。

    冷凍機で動く読み出し回路をつくり、量子ビットとつなげる

     量子ビットには、超電導量子ビットなどいろいろな種類がある。チームが対象としているのは、大規模集積回路(LSI)技術を応用して高度に集積できる可能性の高い「シリコンスピン量子ビット」と呼ばれるもので、シリコン中に10 nm~30 nm(ナノメートル)程度の量子サイズの箱(ドット)をつくって電子1個を閉じ込め、電子のスピンの上向き、下向きで「0」と「1」を表し、それ以外の向きで「0」と「1」の重ね合わせ状態を表す。これにマイクロ波を照射してスピンの状態を制御し、演算を行う。

     LSI技術を生かして実用化を進めるためには量子ビットの高性能化と集積化だけでなく、集積された量子ビットを制御して演算を行う機構と回路や、その制御結果を読みだす機構と回路といった、複数の要素の高性能化と集積化が必要不可欠だ。

     この課題に取り組んだデバイス技術研究部門の更田裕司は「今までは、どんな種類の量子ビットでも、量子ビットは絶対零度(約-273 ℃)に近い冷凍機の中にあり、読み出しや制御の回路は冷凍機の外にありました。極低温にある量子ビットを、室温にある装置で操作して量子コンピュータとして実現しているという奇妙なスタイルです。量子ビットを極低温の冷凍機から出して、室温の中で動かすというのは大変難しく、それならば、読み出し回路を冷凍機の中に入れてしまったらいいのではないかと発想したんです」と振り返る。

    スピン量子ビットの測定器の従来の技術と開発した技術の比較
    従来技術ではスピン量子ビットの測定器は冷凍機の外に長い線でつながれていたが、極低温でも動作する計測回路によって冷凍機内で効率良く計測が可能になる。

     極低温で動く読み出し回路の話をする前に、量子ビットを読み出す仕組みについて確認してみよう。シリコンスピン量子ビットの読み出しは、量子ビットのそばに置いた電荷センサーを用いる。スピンの向きによって電荷センサーの電流値が変化し、その変化を専用の読み出し回路で検出する。重ね合わせの状態の量子ビットでも、量子力学の原理から、測定したとたんに、上向きか下向きかに決まる。例えば、上向き70 %、下向き30 %の重ね合わせ状態の量子ビットの状態を読み出すと、70 %の確率で上向きと読み出される。

    読み出し回路の概要図
    この模式図では、スピンの下向きが上向きよりエネルギーが高く、ある時間がたつと電子が抜けていくので電荷センサーは電荷の減少をキャッチする。上向きの場合はそこに電子がとどまっているので変化はない。

     このような読み出しを行う回路が冷凍機の外にあると、冷凍機内の電荷センサーと長い線でつながねばならず、読み出し速度が非常に遅くなる。それを回避するために、読み出し回路も冷凍機の中に入れようとすれば、-269 ℃(4ケルビン)という極低温でも動作する読み出し回路をつくらねばならない。

     「集積化が容易な汎用半導体(MOSトランジスタ)の場合、低温では-40 ℃までは動作が保証されていることが一般的です。その範囲までなら温度に応じた回路の特性を予測できるシミュレーションモデルもあり、実際に回路を作製する前のシミュレーションで、動作検証ができます。-40 ℃以下の温度でも、MOSトランジスタが動作することは分かっています。しかし、その特性は大きく変わります」更田は、極低温向けのシミュレーションモデルが無いので、簡単な回路をつくっては低温下でその特性を測るということの繰り返しから始めた。できたデバイスの性能をどう評価するかも明確な基準や方法がなかったので、これについても試行錯誤しながら進め、ノウハウや技術を蓄積していった。試行錯誤する過程の中で、極低温下での特性モデル作りを進めてきたのである。

    開発した電流計測回路のブロック図
    開発した電流計測回路のブロック図

     今回の読み出し回路は、上の図のように、三つのブロックで構成されている。電荷センサーの電流変化が1ナノアンペア(nA)程度と微小なので、まず「電流積分回路」でこの微小電流を増幅する。極低温では、低周波のノイズ(フリッカ雑音)が増大することが分かっており、これが読み出し時間を遅れさせる原因となる。そこで、積分回路の出力の計測(サンプリング)を、時間をずらして2回行う「相関二重サンプリング増幅回路」を設置し、低周波ノイズをキャンセルする仕組みを導入した。最後にその出力と基準電圧と比較し、スピンの向きを確定する「電圧比較回路」が置かれている。

     読み出し時間と測定できる電流値は、次のグラフのように、トレードオフの関係になっている。読み出す電流値が小さいと測定時間が長くなり、逆に電流値が大きいと短くなる。従来の研究では0.1 nAから1 nAの電流値を測定しており、今回の成果ではこの範囲で100倍程度は高速に測定できたことが、データからも明らかとなった。

    既存技術と本研究の性能比較
    既存技術と本研究の性能比較(発表論文の図を改変して引用)

    量子コンピュータの実用化に向けて一歩を踏み出す

    読み出し回路2の写真
    開発した読み出し回路を搭載した半導体チップ

     更田は言う、「今回の読み出し回路は、極低温下での動作を想定して、ある程度デバイス特性が変化しても動作するよう余裕をもって設計した上で、さらに、動作時にも特性を調整できるようにしました。通常の半導体集積回路は、シミュレーションモデルを基に、特定の条件に絞り込んで設計するのですが、今回はレンジを広めにとって低温下で調整しながら動かせるように設計したという感じですね」

     森は今回の成果について「世界で初めて100倍以上に高速化できることを示したのは、非常に画期的だと考えています」と胸を張る。物理学の世界にあった量子コンピュータの開発に、森や更田たち、集積回路研究者が加わって達成した成果だった。今後、極低温でのトランジスタの特性が明らかになりモデル化が進めば、読み出し回路設計の最適化が進み、さらに高速化されるのは確実だ。電荷センサーの改良にも手が付けられる予定で、「少なくとも今の2桁くらいは高速にしたい」と更田も意気込んでいる。

     量子コンピュータの実用化には、100万個以上の量子ビットを集積し制御する技術が必要だといわれている。そのためにも集積回路開発の経験と技術を生かして、量子ビット、読み出し、制御、これらすべての面での開発を確実かつ大胆に進めていかねばならない。日本発の汎用量子コンピュータの実現に向けて着実に歩みを進めていく。


    *1: 文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)[参照元に戻る]

    デバイス技術研究部門
    先端集積回路研究グループ
    主任研究員

    更田 裕司

    Fuketa Hiroshi

    更田主任研究員の写真

    デバイス技術研究部門
    新原理デバイス研究グループ
    上級主任研究員

    森 貴洋

    Mori Takahiro

    森上級主任研究員の写真
    産総研
    エレクトロニクス・製造領域
    デバイス技術研究部門
    • 〒305-8568 茨城県つくば市梅園1-1-1 つくば中央第2
    • M-d-tech-web-ml*aist.go.jp
      (*を@に変更して送信してください)
    • https://unit.aist.go.jp/d-tech/

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