糖鎖とは?
糖鎖とは?

2026/09/23
糖鎖
とは?
科学の目でみる、
社会が注目する本当の理由
糖鎖とは?
糖鎖とは、ブドウ糖(グルコース)などの単糖が鎖状につながった分子のことです。生体内では、タンパク質や脂質に結合した形で細胞表面や細胞外に存在し、細胞間コミュニケーション、免疫制御、感染防御などに重要な役割を果たしています。遺伝子、タンパク質に続く「第3の生命鎖」ともよばれ、糖鎖の構造や量の変化は、がん、感染症、炎症などさまざまな疾患と関連しています。このため、糖鎖は診断薬や治療薬の開発における重要なターゲットとして注目されています。
糖鎖は生命現象に不可欠な生体分子でありながら、その構造は多様かつ複雑で、遺伝子の直接産物ではないことから解析が難しく、研究上の大きな課題となっていました。産総研は20年以上にわたり、レクチンや質量分析を用いた糖鎖解析技術を開発・改良し、診断薬や治療薬開発への応用を切り開いています。糖鎖について、細胞分子工学研究部門の久野敦首席研究員、舘野浩章総括研究主幹、マルチモーダル分子イメージング研究グループの岡谷千晶研究グループ長に話を伺いました。
糖鎖とは
糖鎖とは何か
糖鎖とは、グルコースやガラクトースなどの単糖が鎖状につながった化合物です。生体内では主にタンパク質や脂質に結合し、細胞表面、細胞外マトリクス、分泌タンパク質などに存在します。ほぼすべての細胞の表面や多くのウイルスの表面にも見られる、身近な生体分子です。
糖鎖がタンパク質や脂質に付加される現象を糖鎖修飾と呼びます。その形成には、主に細胞内の小胞体やゴルジ体に存在する糖転移酵素や糖加水分解酵素が関わっています。
糖鎖は、構成要素である糖の種類や長さだけでなく、分岐構造も多様です。そのため、糖鎖はさまざまな形状や性質を持ち、生体情報が詰め込まれた分子とみなすことができます。細胞内では、タンパク質が正しい立体構造に折りたたまれているかを確認し、異常な立体構造をとるタンパク質を分解へと導く品質管理の目印として働きます。細胞表面や細胞外では、細胞間コミュニケーション、免疫制御、感染、組織の状態変化などに関わる重要な分子として機能します。
糖鎖は第3の生命鎖
糖鎖はさまざまな生命現象に関与します。例えば、炎症が起こると、血管内皮細胞の表面に「セレクチン」と呼ばれる糖鎖結合タンパク質が現れます。セレクチンが白血球表面の糖鎖を認識することで、白血球は血管内皮に接着し、炎症部位へ移動します。また、細菌などの病原体はヒトとは異なる糖鎖構造を持ち、ヒトの免疫系はこれらを認識して防御反応を引き起こします。一方、がん細胞の表面では糖鎖の構造や発現量が変化し、その一部は免疫細胞の働きを抑えることで、がん細胞が免疫系による攻撃を逃れることに関与しています。
このように、糖鎖は免疫、感染症、がん、発生、老化など、多様な生命現象や疾患に深く関わっています。糖鎖のパターンは細胞の種類や状態に応じて変化し、細胞同士の認識や情報伝達にも影響することから、糖鎖はしばしば「細胞の顔」に例えられます。その重要性から、糖鎖は、遺伝子、タンパク質に次ぐ「第3の生命鎖」とも呼ばれています。
糖鎖に産業界が注目する理由
糖鎖の構造や量、付加されるタンパク質は、疾患の発症や進行に伴って変化することがあり、診断マーカーや治療標的の候補として注目されています。例えば、ウイルス性肝炎などに伴う肝線維化の評価では、疾患の進行に応じて糖鎖構造が変化する糖タンパク質が診断マーカーとして利用されています。産総研も、このような糖鎖変化を検出する技術や試薬の開発に貢献しました。
肝線維化の進行に伴う糖タンパク質の糖鎖変化のモデル図
糖鎖が関与する仕組みを標的とした治療薬もすでに存在します。インフルエンザの治療薬のオセルタミビルリン酸塩(商品名: タミフル)やザナミビル水和物(商品名: リレンザ)です。インフルエンザウイルスは、細胞内に侵入して増殖した後、感染した細胞表面の糖鎖の先端にあるシアル酸という糖を切断して細胞外に飛び出します。タミフルやリレンザは、ウイルス表面の酵素(ノイラミニダーゼ)に結合し、シアル酸の切断を阻害することで、増殖したウイルスが細胞外へ放出されるのを防ぎます。
また、がん細胞では正常細胞とは異なる糖鎖が発現し、免疫細胞の働きを抑えることがあります。このような糖鎖と免疫系との相互作用に介入できれば、新しいタイプのがん免疫療法の開発につながる可能性があります。
バイオ医薬品の開発や製造においても、糖鎖は重要な役割を担います。抗体医薬品のようなバイオ医薬品では、糖鎖修飾の有無や種類によって体内動態や薬効が変化する場合があります。そのため、バイオ医薬品の品質や性能を安定させるためには、糖鎖修飾を適切に評価し、管理することが求められます。
産総研の取り組みと技術開発
産総研の糖鎖研究の歴史
糖鎖はDNAやRNAのように増幅できず、分岐を含む多様な構造を持つうえ、遺伝子情報だけから構造を予測することも困難です。そのため、微量の糖鎖を直接検出・解析する技術の開発が長年の課題でした。
産総研はこの課題に向き合い、2002年の糖鎖工学研究センターの設立以降、糖鎖関連技術の開発を進めてきました。2005年には、多数の糖鎖遺伝子、糖鎖ライブラリー、質量分析による糖鎖構造解析技術という、「糖鎖研究の3大ツール」を発表し、糖鎖研究をリードしてきました。(2005/10/20プレスリリース)
その後も、レクチンを用いた糖鎖プロファイリング技術の開発をはじめ、近年では1細胞解析やグライコプロテオミクス、測定の自動化へと展開しています。複数の糖鎖解析技術を20年以上にわたって開発し続けている研究機関として、国際的にも高く評価されています。
1細胞レベルの糖鎖解析
糖鎖情報を増幅し、RNAとともに1細胞レベルでの解析を目指して開発したのがscGR-seq法です。2024年に改良した方法では、ドロップレット技術を活用して約1万個の細胞を分離し、1細胞ごとの糖鎖と遺伝子の発現情報を取得します。(2024/01/15プレスリリース)
この際、糖鎖情報を得るために使用するのがDNAバーコード標識レクチンです。レクチンとは糖鎖に結合するタンパク質のことで、特定の糖鎖への特異性があります。DNAバーコードをPCRで増幅することにより、1個の細胞に結合したレクチンを定量的に検出し、細胞表面糖鎖の種類と相対量を解析できるのです。
さらに、scGR-seq法を用いて膵がんの糖鎖プロファイルを解析した結果、正常細胞とがん細胞では糖鎖発現パターンが大きく異なることに加え、がん細胞サブタイプ間にも差異が存在することを明らかにしました。がん細胞の糖鎖と相互作用できる免疫細胞のレクチンも同定でき、糖鎖を介した免疫制御機構を標的とする新たな免疫チェックポイント阻害薬の開発への貢献に期待できます。
ドロップレット型1細胞糖鎖・RNAシーケンス法(scGR-seq法)の流れ
糖鎖とタンパク質を分子レベルで捉える解析
疾患に伴う糖鎖変化を診断や創薬に活用するには、糖鎖の種類だけでなく、どのタンパク質のどの位置に糖鎖が付加されているかを明らかにすることが重要です。糖タンパク質を、糖鎖が付加されたペプチド断片(糖ペプチド)として網羅的に解析する手法を、グライコプロテオミクスと呼びます。
産総研では、質量分析を用いて微量の糖ペプチドを高感度に検出する「Glyco-RIDGE法」を開発しました。さらに、この手法に基づく一連の解析を自動化し、得られた糖ペプチド情報から、タンパク質上のどの位置にどのような糖鎖修飾がどの程度存在するのかを視覚的に表示するソフトウエア「GRable」を開発しました。これにより、複雑な糖鎖修飾を分子レベルで比較し、創薬シーズとなる糖タンパク質の探索や、バイオ医薬品の品質管理への活用が期待されます。(2024/10/04プレスリリース)
また、産総研では、グライコプロテオミクスを、レクチンによる糖鎖プロファイリングや組織イメージングなどと組み合わせ、糖鎖や糖タンパク質の組織内での分布を捉える空間解析へと展開しています。
タンパク質上の複数の糖鎖を視覚的に把握できるソフトウエアを開発
糖鎖プロファイリングの自動化
糖鎖解析を研究や産業の現場で広く活用するには、専門家でなくても安定して効率よく測定できる環境が必要です。産総研では、レクチンによる糖鎖プロファイリング技術の高感度化と自動化を進めてきました。全自動糖鎖プロファイリングシステム「LuBEA-VIII」は、試料とレクチンチップを装置にセットするだけで、反応、洗浄、蛍光検出、データ取得までの工程を自動で行い、8試料の糖鎖プロファイルを1時間以内に取得できます。操作によるばらつきを抑え、多数の試料を再現性よく測定できることから、創薬研究、診断マーカー探索、バイオ医薬品や細胞製品の品質評価など、糖鎖解析の幅広い産業利用が期待されます。
LuBEA-VIIIによる糖鎖解析の自動化フロー
今後の展望
産総研ならではの総合力
レクチンや質量分析をはじめとする多様な技術を融合し、多角的なアプローチを継続的に生み出していることが、産総研ならではの強みだと考えています。1細胞解析やグライコプロテオミクス、組織の空間解析など、糖鎖オミクス研究の最前線を常に切り拓いてきました。また、基礎研究にとどまらず、診断薬や治療薬の開発、再生医療における品質管理といった社会実装を強く意識した研究開発を一貫して推進してきました。
産総研は、糖鎖解析から糖鎖合成まで幅広い専門性を持つ研究者が集結しており、基盤技術を活用した企業との共同開発や製品化支援を進められることも大きな強みです。今後は、これまで培ってきた糖鎖解析技術をさらに高度化するとともに、空間オミクス解析やマルチオミクス解析などの先端技術との融合を進め、疾患の理解や診断・治療法の開発に貢献していきます。糖鎖との関係が十分に解明されていない生命現象や社会課題にも積極的に取り組み、企業や研究機関との共同研究や技術相談を広く歓迎します。