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2023/03/08

COLUMN

2022ノーベル物理学賞「量子もつれ」とは

産総研マガジン編集部
(協力:新原理コンピューティング研究センター 松崎雄一郎)

    量子もつれ、この言葉をきいて「それはね…」と説明できる人は、世界中のなかでも少数派ではないでしょうか。2022年のノーベル物理学賞は「量子もつれ」を研究してきた仏サクレー大学のアラン・アスペ博士、米クラウザー研究所のジョン・クラウザー博士、オーストリア・ウィーン大学のアントン・ツァイリンガー博士の3氏に贈られました。

     言葉を聞いても、どのようなものかまったく想像がつかない量子の世界。恥ずかしながら今回の受賞がどのようにすごいのか、想像すらできませんでした。そこで、受賞の大きな理由となった「量子もつれ」がどのようなものか、大学で物理学を学んだことがない人でも理解のヒントになる情報を提供することを目的に、コラムとしてご紹介します。

    【注】本記事は産総研マガジン編集部が理解できた限界のところまでをコラムにしています。学術上不十分かもしれませんが、その点ご了承の上、お読みいただけますと幸いです。

    量子もつれは量子同士の強い相関

     量子とは、量子もつれとはどういうものなのか、さらに調べたくなるためのきっかけになるように、と協力してくれたのは、新原理コンピューティング研究センターの松崎雄一郎です。松崎は量子力学を起点とするあたらしいテクノロジーに関する研究の最前線にいる研究者です。「みなさんは物理学科出身ですか?そうではない。なるほど」と、言葉を慎重に選びながら説明をしてくれました。

    (1)量子とは

     量子とは粒子の性質と波動の性質を併せ持つものだそうです。その小さな世界では、わたしたちが良く知る日常の世界とは異なる物理現象が起きており、これが「量子力学」として体系的に整理されています。この量子を観測すると、一つの状態だけではなく、複数の状態を取ることがあるといいます。これが「量子重ね合わせ」と呼ばれる状態です。「シュレーディンガーの猫」という話を聞いたことがあるでしょうか。これは、シュレーディンガーが頭のなかで考えた思考実験の話です。箱の中で猫が死んでいたり生きていたりする状態が共存している、という奇妙な話を聞いたことがある人もいると思います。(「シュレーディンガーの猫」に関する簡単な紹介記事はこちらから

     また、量子力学を起点とするテクノロジーで最も想像しやすい「量子コンピュータ」を例にすると、いわゆるデジタルの世界ならば、1ビットは通常0もしくは1のどちらかの状態になりますが、量子力学の世界では、0でもあり1でもあり測定してみなければわからない、ということが起きているそうです。つまり、量子の世界では、0という状態と1という状態を同時に取り得ることが可能なのです。

    (2)量子もつれとは

     量子にはもう一つ特異な性質があるそうです。量子同士が相互作用をすると非常に強い相関を示すのです。このため、一方が1ならばもう一方も1、反対に0ならば0の状態を示すということが事前にわかっているならば、一方を測定すればもう一方の状態が確実にわかることになります。

     相関というものを日常のできごとに例えて説明してもらいました。題材は「じゃんけん」です。

     「例えば、AさんとBさんがじゃんけんを100回して100回連続あいこになった場合、強い相関があるといえます。これは現実には確率としてほぼありえないことですが、強い相関を示す一つの例になっています。もちろん現実の世界でも、AさんとBさんが前もって同じ順番で出す約束をしていたり、次に出すものを会話したりするなど、連絡を随時とりあいながらじゃんけんをすると相関を強めることはできます。しかし、現実世界で考えうる影響を取り除いた状況で、非常に強い相関関係を示すのが量子の世界なのです」

     このような、現実では起こり得ない、つまり古典力学では説明できない強い相関関係にあることが「量子もつれ」と呼ばれているのだそうです。

    (3)ノーベル物理学賞3氏の業績

     2022年のノーベル物理学賞は、「量子もつれ光子を用いる実験によって、ベルの不等式が破れていることを示し、量子情報分野を創始した実績」により、3名の博士に送られました。

     彼らが実験によって破れることを示した「ベルの不等式」は、CERN(欧州原子核研究機構)のジョン・スチュワート・ベル博士が編み出した、2つの粒子の間の相関を記述する不等式です。2つの相関した量子においては、生まれた時に個々の量子の状態が0あるいは1にすでに古典的に決まっているとするとベル不等式が成立します。しかし、量子もつれと呼ばれる性質が正しいとすれば、そのような記述はできません。この違いが、不等式が破れるか否かを決定します。この不等式を用いることで量子もつれの有無を見極めることができます。しかし、これを実験で測定することが非常に困難だったと松崎は言います。

     3人の博士は、どのようにそれを証明していったのでしょうか。順番に追ってみます。

     70年代にクラウザー教授らのグループは、量子もつれになった2つの光子を使い、左右に飛ばした光子の偏光をフィルターで測定することで「ベルの不等式」で説明できない「破れ」があることを突き止めました。ただし、この実験は、フィルターの設定が固定化されているなど、量子もつれの光子の発生に対する外部からの影響を排除しきれていない点があり、完全な結果ではありませんでした。

     それを補正したのはアスペ教授でした。フィルターの設定をランダムに変えることで設定の影響を排除する方法を用いて、飛ばした光子が強い相関を持つことを確認しました。「ベルの不等式の破れ」を証明したのです。しかし、アスペ教授の実験も、フィルター同士が近接していたことで、まだ完璧な条件設定とは言えませんでした。測定するフィルター同士が近ければ、その影響を受ける可能性があるとされたのです。

     そこで、ツァイリンガー教授は、測定する光子どうしの距離をできるだけ離して影響を受けないようにするために、異なる銀河から地球に届く信号によって、光子を検出するフィルターの設定が切り替わる方法を採用しました。ランダムに検出器の設定が変わる中でも、量子もつれにある光子が強い相関関係にあることを示しました。

     これら3名のそれぞれのアプローチから、強い相関を持つ量子もつれの存在が明らかになりました。

    量子のふるまいを活用する技術的な課題

    (1)量子コンピュータ

     量子もつれの存在が明らかになり、量子を使ったテクノロジーはさらに注目を集めています。量子通信、量子センシングなどさまざまな技術が世界中で研究されていますが、特に量子コンピュータはニュースなどで見かける回数も増えてきました。(関連記事 量子コンピュータとは?

     量子コンピュータでは「誤り訂正技術」がこれまで以上に必要とされていると松崎は言います。

     「量子を使ったアプリケーションでは、近年、量子コンピュータが注目されています。現在のデジタルコンピュータに比べて高速な演算処理を可能にしているのも、量子重ね合わせ、量子もつれといった量子のふるまいを利用しているからです。ただ、量子もつれを生かすにしても、極めて小さい量子の世界で起きている現象なので、ノイズの影響を受けやすくなります。古典デジタルコンピュータでは大きな問題ではなかったノイズの影響は、量子コンピュータで大きな計算をするための極めて大きな障害となります、そのため、量子ビットに生じたエラーを訂正する量子誤り訂正技術の実装が必要になってきます」

    (2)量子もつれを使った暗号通信

     量子コンピュータの他に、どのようなことに量子もつれが使われていくのでしょうか。その一つが、通信への利用です。量子もつれにある光子は、どんなに離れた場所にあっても、一方を測定することでもう一方の状態が瞬時に確定します。この特性と古典通信を組み合わせることで量子状態を転送する「量子テレポーテーション」を実現することができ、量子通信へ応用することができるのだそうです。

     理論上どんなに遠くに離れていても量子通信は可能で、数百キロをこえる通信に成功した報告があるそうです。また、通常の通信のように途中で傍受や窃用される心配がないので、安全な通信が可能になるとのこと。それ故に、量子通信は量子暗号通信とも呼ばれています。

     通信への応用について、松崎は冷静な口調でこう教えてくれました。

     「量子暗号通信や量子ネットワークなどを実現するためには、さらなる技術開発が求められます。量子テレポーテーションで情報伝達するには、一方の量子を正確に測る技術が不可欠です。微弱な単一の光子を測定し、それが通信の情報なのか外部要因のノイズなのかを見極める精度をそなえた検出器も重要となります。このほかにも、量子は重ね合わせを作ることはできますが、それを外界からのノイズで壊れないように維持する時間(コヒーレンス時間)を長くする必要もあります。強い相互作用を作る技術もまだ確立されているとは言えません。さらに光子は3次元の全方向に飛んで行くので、それを集光するための高精度のレンズの作成も重要な課題です」

     その上で、研究者として力強いコメントをしてくれています。

     「量子のふるまいを活用する技術は、量子ネットワークをはじめ、原理的なところは理論上でも実験上でもすでに解明されており、あとはそれを実現するための技術開発という段階です。しかし、この壁が非常に高く、乗り越えるのが難しいと思っています。それでも、直感だけは説明できないような奇妙なことが起こる量子力学の現象を人間がアクティブに使っていくことができるように、研究者としてこの難しい壁を乗り越えていきたいです」

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