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産総研マガジン:話題の〇〇を解説

2022年ノーベル化学賞「クリックケミストリー」とは?

2023/01/25

#話題の〇〇を解説

2022年ノーベル化学賞「クリックケミストリー」

とは?

科学の目でみる、
社会が注目する本当の理由

    30秒で解説すると・・・

    クリックケミストリーとは?

    クリックケミストリーは、カチッと言う擬音の「クリック」と化学の「ケミストリー」があわさった造語です。「カチッ」と音のした瞬間にシートベルトが結合するように、簡単かつ短時間で複数の化合物を結合させることのできるシンプルな化学反応として提唱されました。この手法は、繊細で熟練の技術が必要とされる従来の化学合成手法を用いなくても、ベルトのバックルのような結合に必要となるパーツを備えた分子同士を混ぜ合わせるだけで、簡単に結合できます。巧妙な合成法を使用しづらい生体分子、タンパク質、核酸、糖鎖などの、複雑な分子同士を結合させて、高付加価値な化合物を作りたい場合に特に有用な技術です。創薬分野における新規化合物の探索時間短縮などにつながることが期待されています。

    2022年のノーベル化学賞は、「クリックケミストリー」という概念を打ち出したアメリカのスクリプス研究所のバリー・シャープレス教授、デンマークのコペンハーゲン大学のモルテン・メルダル教授、クリックケミストリーを生体内で行えるようにしたアメリカのスタンフォード大学のキャロリン・ベルトッツィ教授の3氏に贈られました。
    これまで、目的の化合物を作るには、ひとつひとつ合成工程をつみあげる必要がありました。これをアジド基とアルキニル基を混ぜるだけ、という化学合成の専門家でなくてもできる手法を提唱し、今ではケミカルバイオロジーや細胞生物学といった他分野でも使われる技術にしたことが今回の受賞理由です。クリックケミストリー技術のインパクトと今後の応用可能性を、触媒化学融合研究センターの生長幸之助 主任研究員に聞きました。

    Contents

    ノーベル化学賞受賞のポイント

    クリックケミストリーとは

     クリックケミストリーは、約20年前にシャープレス教授が提唱した概念です。さまざまな機能をもつ分子を合成するときに、複雑な化学合成法を使わなくても簡単に分子同士を結合させる方法です。化学反応を「混ぜるだけ」と単純化し、なおかつ余計な副生物を生成しない、という点がクリックケミストリーのポイントです。

    条件1:保護基を用いなくても高収率かつ高選択率に進行し、副生成物が発生しない

    条件2:反応操作が簡便でかつ精製が容易である

    条件3:多様な原料の入手が容易である

    条件4:水中およびバッファー(緩衝溶液)中など、生理的条件下でも反応が進行する

     必要十分な反応を多数揃えたきれいな合成経路をあらかじめ自分で設計して、化学合成を行うことはとても難しいです。多くの場合、試行錯誤をもとにした反応・工程の追加・削除を幾度か繰り返して、目的の化合物を合成できるようになります。さらに、反応を高度に制御したり、大幅な加速を行ったりできる「触媒」が複雑な合成を行う際には欠かせません。しかし、昨今ではこの触媒を作ること自体が複雑になってしまい、目的とする化合物よりも手間もコストもかかってしまう例が少なくありません。このため、複雑な分子同士をくっつけることは「難しすぎて手を出せない」と思っていた研究者が多かったはずです。ここに一石を投じたのがクリックケミストリーです。この考え方と手法がでてきたことで、難しすぎて誰もやろうとしなかったことがやれるようになりました。大きな価値があることだと思います。

    数十年前から知られていた反応を体系づけた独創的な発想

     今回受賞した化学では、窒素(N)が3つ繋がったアジド基と炭素(C)の三重結合を持ったアルキニル基(アルキン)という2つの官能基が、混ぜるだけで簡単に連結するという反応に注目しています。この反応自体は、五員環化合物を作るための反応「ヒュースゲン環化」として数十年も前から知られていました。アジド基とアルキニル基は化学合成のためのパーツとして、特別なものではありません。これまでもさまざまな有機化合物を作り出す過程で、よく知られた官能基のひとつとして使われてきました。つまり技術的にはよく知られていたことでしたが、有機化合物を簡単につなげて合成する手法、すなわちクリックケミストリーと位置付けた発想が独創的だったのです。

     ヒュースゲン環化を起こすためには高温に過熱する必要があるという課題がありました。メルダル教授は、触媒として銅イオンを用いることが有効であること、これによって高温・高圧条件が不要となり、室温下・水中で混ぜるだけで反応が起きることを発見しました。しかし、銅イオンは生体内で毒となるため、創薬分野などで生体内利用を目的とした化合物生成を行うためには、まだ課題が残されていました。

    化学式1

    医薬・診断への応用や生命科学研究を進めるカギは生体直交性

    生体内でのがん細胞発見にも道を拓く

     ヒュースゲン環化反応を穏和に進行させるが、生体内で有害になる銅触媒が必要になるというジレンマの解消に取り組んだのが、ベルトッツィ教授です。もともとは、細胞表面に存在する糖鎖に化学修飾して目印を付け、細胞環境で起きる現象を観測しやすくする研究をしていました。

     化学修飾を行った結果、もともとの生体分子のはたらきに大きく影響が出ては意味がありません。ベルトッツィ教授は、生体内という特別な環境で、生体分子本来の機能を大きく損なうこと無く、そのまま実施できるさまざまな化学系を新しい学術分野として位置づけました。生体直交化学で最も大事なことは、毒となる物質を使わないこと、かつ出さないことです。

     当時、クリックケミストリーとして報告されていた合成では、毒性を持つ副生物の産出はおさえられるものの、生体内で毒となる金属触媒が用いられていました。そこで、ベルトッツィ教授は、アルキニル基を環状分子の中に組み込んで歪ませ、銅イオンなどの金属触媒がなくてもアジド基との結合ができるように改良しました。

    化学式2

     ベルトッツィ教授はこの生体直交性を示すために、アジド基を備えた糖を細胞に加えて表面に提示させ、歪んだ環状アルキニル基を備えた蛍光分子とクリック結合することで、細胞表面の糖鎖を観察することに成功したのです。

     この考え方を使うと、例えば抗がん剤のパーツにアルキニル基を、がん細胞を認識する分子(抗体など)にアジド基を結合させたものをそれぞれ投与することで、がん病巣でのみ働く活性抗がん剤を体内で生み出し、副作用を抑えたり、効果を高めたりするという未来的治療法の実現などが期待できます。

    高付加価値物質の開発に期待

     現段階のクリックケミストリーは、バルク品の大量合成を行う化学プラントよりも、生体分子など少量高額で複雑なもの同士を結合する応用にアドバンテージがあります。反応に使うアジド基を持つ物質が大量にあると爆発する危険性があります。また、従来の化学合成を利用するほうが、コストバランスが良いことも十分にあり得るからです。生体分子の結合には、少量の複雑な分子をさまざまなパターンで結合することが求められているので、競合相手もなくオンリーワンの技術といえます。

     生体内には脂質、糖鎖、核酸、タンパク質など、さまざまな複雑度とサイズをもった化合物が存在します。これらは、生体内で必要十分な数の化学反応を経ながら、生産され消費されています。人工化学合成のような、職人的な工夫を凝らした、ともすれば迂遠なプロセスとは一見して対照的です。しかし生体内の反応は、長い進化の過程で洗練されてきたものであり、人工的に同じことをやろうと思ってもすぐできるものではありません。クリックケミストリーは、これを少しでもできるようになったと思わせてくれる成果と捉えています。

     一方で、アジド基とアルキニル基は生体内にほぼ見られない反応基です。自然界が選んでこなかったことには理由があると思いますが、自然界にないからこそ、人工的な化合物の合成という応用が可能になります。

     今後は、クリックケミストリーとして分類できる反応の再発見が進むでしょう。また、潜在的に危険なアジド基をつかわないクリックケミストリーの実現にむけても研究がすすむと考えられます。一研究者としても、クリックケミストリーよりも簡単な反応系がつくれないかと日々考えています。

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