地質図は、「見えないインフラ」
150年の蓄積が未来の社会を支える
150年前から続く、「日本を知る」挑戦
私たちが日ごろ目にする地図には、道路や建物だけでなく、実は「地面の中」の情報を描いたものがあります。それが地質図です。
日本で初めて広域的な地質図が作られたのは1876年。明治政府の北海道開発を目的とした機関、開拓使に招かれた地質学者ライマンが中心となり、北海道全域を調べ上げてまとめたのが始まりでした。当時は地形すら十分に把握されておらず、調査隊は測量隊とともにハンマーとコンパスを手に、未知の大地を歩きながら石の種類や地層の傾きを一つずつ記録していきました。地質図は、石炭や鉱物資源を探し、近代国家の産業基盤を築くための“国家的インフラ”だったのです。
そして150年を経た現在も、地質図の基本的な役割は変わっていません。地質図は、資源探査はもとより、国土利用やインフラ整備など、日本社会の安全と持続的な発展を支える基盤情報として活用されています。150年前と同じように、今も研究者たちは現地を歩き、石を手に取り、地層の変化を自分の目で確かめながら、地質図を一枚一枚作り上げています。一技術が進んだ現在でも、地質図作りの核心は“足で稼ぐ観察”にあり、その姿勢が日本の大地を理解する営みを支え続けています。
左が地質図ライブラリーに保管されている資料を説明する
地質標本館 中澤努館長。
右が1876年に作られた、200万分の1 日本蝦夷地質要畧之圖。
データとして進化する地質図
日本初の広域地質図が作られた6年後の1882年、地質調査所(現産総研地質調査総合センター、以下「GSJ」)が創設され、全国規模の地質図整備が本格化します。地質図の制作は、浮世絵版画の技術の応用から始まり、銅板に手書きで線を刻みインクを流し込む銅板印刷を経て、やがてデジタル印刷へと移行しました。現在ではオンラインで公開され、3次元的に地下構造を可視化した地質地盤モデルまで閲覧できるようになっています。火山地質図、地球化学図、水文環境図、重力図など、多様な地球科学データも整備され、利用方法は大きく広がりました。人工知能(AI)がウェブ上で自動的に情報を収集し、新たな知見を生み出す時代を見据えながら、地質情報の公開は進化を続けています。
メディア向けのセミナーで挨拶をするGSJ 藤原治副総合センター長
これらは防災やインフラ整備に欠かせない基盤情報です。例えば、富士山の火山地質図の更新では、新たな火口列が整理され、自治体のハザードマップ改訂につながりました。また、首都圏の3次元地質地盤モデルでは、渋谷や日比谷の地下に残る“埋没谷”の形状が可視化され、建設工事や地震時の揺れの評価に活用されています
また、首都圏の3次元地質地盤モデルでは、渋谷や日比谷の地下に残る“埋没谷”の形状が可視化され、建設工事や地震時の揺れの評価に活用されています。
重要なのは、これらのデータがウェブ上で公開され、誰でもアクセスできる点です。地質図は専門家だけのものではなく、社会全体の意思決定を支える“公共データ”へと役割を広げています。
地質図はビジネスのヒントになる
地下の情報を正確に把握することは、新しいビジネスの可能性を広げることにもつながります。例えば工場の立地では、固い台地を選ぶことで安定した地盤を確保できますし、不動産開発では地下に広がる軟らかい堆積物の厚さがリスク評価に直結します。再生可能エネルギーや資源循環、インフラの長寿命化など、さまざまな分野で地質情報は“失敗しない選択”を支える基盤となります。もちろん、防災の観点からも欠かせない情報です。
GSJでは、1882年の設立から今に至るまで蓄積してきた知見を社会に開く取り組みを続けています。地質図を作ることは、日本というフィールドを深く理解すること。その理解が、これからの価値創出の出発点になるはずです。
地質標本館の日本列島大型3Dプロジェクションマッピングを使って説明する地質情報研究部門 野田篤研究部門長
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