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話題の〇〇を解説

XRの普及に欠かせない「映像酔い対策」とは

2022/12/14

#話題の〇〇を解説

XRの普及に欠かせない「映像酔い対策」

とは? 

科学の目でみる、
社会が注目する本当の理由

    30秒で解説すると・・・

    XRとは?

    VR(Virtual Reality、仮想現実)やAR(Augmented Reality、拡張現実)、MR(Mixed Reality、複合現実)などの総称として用いられています。ヘッドマウントディスプレイなどからの現実世界にはない感覚情報で、新しい体験をもたらす技術を意味します。一部では、“Cross Reality”や“Extended Reality”の略称として使われることもありますが、まだ多義的で学術的に定義された言葉ではありません。ビジネス界で発信されて以来広く普及し、「X」に変数の意味を持たせて「xR」と表記されることもあります。

    XRを支える基盤技術」では、エンターテインメントからビジネスにもXR技術の活用が広がっていることを紹介しました。今回は、XRのさらなる普及に欠かせない、人の体への安全性がテーマです。人間の視覚の研究から、「映像酔い」の研究、生体安全性の国際標準化を手がけている人間情報インタラクション研究部門行動情報デザイン研究グループの氏家弘裕に聞きました。

    Contents

    映像視聴による生体安全性への配慮

     映像技術の発達、映像メディアの発展によって、映像を視聴することによる影響の検討――生体安全性への配慮が不可欠な課題となっています。視覚情報を多く用いるXR技術においても、体調不良などの好ましくない生体影響をできるだけ軽減し、安全で快適に映像を利用できるようにすることが、さらなる普及には欠かせません。

     映像による生体影響として主に三つが知られています。

     一つ目は、光の点滅やしま模様などによって引き起こされる「光感受性発作」です。1997年にTVアニメーションを視聴していた人々が発症したことで日本でも知られるようになりました。

     二つ目は、「3D映像による視覚疲労」です。2010年頃から専用のメガネを装着して見る3D映像が話題となりましたが、場合によっては頭痛などの体調不良が生じる場合があります。

     そして三つ目が、「映像酔い」です。手ぶれ、移動映像などカメラの激しい動きなどで乗り物酔いに似た症状を生じる場合があります。今、XR技術が広く活用されるようになり、ヘッドマウントディスプレイをゲームや業務で利用する人も増えるなか、この「映像酔い」対策についての研究が注目されています。

    映像視聴により生じる可能性のある好ましくない生体影響の例の図
    映像視聴により生じる可能性のある好ましくない生体影響の例

     あるコンテンツやサービスが、どの程度の映像酔いを起こしうるかを判断できる基準は、利用者への安全のためはもちろん、コンテンツを制作する側にとっても、良質な体験やサービスを提供するために欠かせません。単独の企業では難しいルールづくりを、公的機関である産総研が先導しています。

    「映像酔い」が起こるメカニズムとは

     「映像酔い」のしくみはまだすべてが解明されてはいませんが、その発生の原因を説明する仮説として「感覚不一致説」が比較的有力と考えられています。

     人が空間の中で歩いて移動しているときは、複数の感覚情報に基づいて身体の動きを認識しています。例えば、感覚情報には、網膜に映る像が移動に伴って流れることによる視覚からの情報、三半規管などによる前庭感覚からの頭部の加速・減速、回転といった情報、自分の足や手が動いていることを筋や関節で感じる自己受容感覚の情報、足が地面に触れることによる触覚の情報、さらに周囲の音が移動に伴って変化する聴覚の情報などがあります。

     一方、大画面のディスプレイでジェットコースターに乗っている人の視点からの映像を見るときなどは、視覚的には自分が移動している情報が伝わりますが、体自体が移動していないため、他の感覚からは移動しているという情報が生じません。このように、視覚からの情報と、体の動きの情報などの感覚情報の組み合わせが、過去の経験による予測から逸脱したときに、あれ、何かおかしいぞと異常を感じて、吐き気などの症状を出し、酔う、というのが「感覚不一致説」の基本的な考え方です。

     複数の研究データがこれを裏付ける結果を示しており、乗り物酔いも含めて「感覚不一致説」が比較的多くの研究者に支持されています。

    「映像酔い」対策の基準づくり

     映像酔い対策の基準をつくるためには、まず映像の動きによる映像酔いの基本的な性質を知ることが必要です。そこで、産総研では感覚不一致の状況をつくり出すいくつかの条件を設定して実験を行いました。左右、前後、垂直方向に対して回転する映像を大型スクリーンに映し出し、その前に立ってこれを視聴する人の体調変化を調べました。すると、前後方向の軸に対する回転、つまり絵がぐるぐる回るパターンで最も気持ちが悪くなること、また、気持ち悪く感じる速さがあることがわかりました。

     またアメリカの研究者が開発した「シミュレータ酔いアンケート」という評価手法を活用し、これにより得られるスコアと映像酔いにより映像視聴を途中で中止する人の割合とが比例関係にあることを明確化することで、このスコアが映像酔いの程度を推定できる尺度となり得ることを見いだしました。さらに、この尺度を用いて映像が合計でどの程度回転しているか(映像中の回転の総和量)が映像酔いの程度に影響していることが見えてきました。そこで「映像中の回転の総和量」に基づいて映像酔い対策に関する基準値を設定し、国際標準化機構(以後、ISO)において「映像酔い対策指針」を2020年に定めました。

     まずは平面のディスプレイを用いた実験データに基づいて基準値を定めましたが、その後、ヘッドマウントディスプレイを使うVRでの基準づくりにも取り組んでいます。ヘッドマウントディスプレイの場合、頭を左右上下に振ることで網膜に映る像の動きが変わるため、通常は頭を動かさず映像を正面で観察する平面ディスプレイと同じように、「映像中の回転の総和量」が基準値として使えるのかを明らかにすることが必要でした。

     実験では、平面ディスプレイでの映像酔いの延長で議論ができることがわかってきており、こうした結果を今後の規格化に反映させたいと考えています。今後もディスプレイ技術は進歩し、利用形態が変化したり、新しい仕様のデバイスも登場してきたりする可能性もあるため、対応できる規格づくりとそのための研究に取り組んでいきます。

    (※酔いを感じる可能性があるので、動画の閲覧には注意してください。)

    ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を使うVR酔いを検討するための実験条件。(見ている人の頭の動きには関係なく、見せられている映像が空間に対してどのように動いているかによって酔いの程度が変わることが分かった。この場合、左の映像が1番、酔いを引き起こしやすい。左:頭部は動かさずHMD内の映像が上下に動く。中央:頭部の動きに合わせてHMD内の映像が上下に動くので空間に対しては静止。右:頭は動かさず、HMD内の映像も動かない。)

    ガイドラインと標準化を通して、安全で適切な産業の発展を支える

     このような規格づくり、標準化は、安全性と快適性を確保して利用する人を守るためだけでなく、関連する産業の発展にも重要なことです。

     粗悪な製品やコンテンツが出回り、そのネガティブな経験を通して消費者が離れてしまえば、本来有用で優れた技術であっても、市場をつぶしかねません。公的研究機関として人々の安全を支えるために取り組んでいるだけではなく、関連業界の方々と協力して規格づくりに取り組んでいます。安全性は大切な一方で、厳しすぎる基準値を設定しては、新しい技術の普及を妨げかねません。利用者の安全と産業の育成の両輪を大事にしています。

     すでに産総研が携わった「3D視覚疲労対策指針」のISO規格は、VRコンテンツ制作会社のガイドラインに活用されています。また「光感受性発作対策指針」のISO規格は、大手ヘッドマウントディスプレイメーカーのVRコンテンツ開発者向けガイドラインや、ヘッドマウントディスプレイプラットフォーム大手5社が加わるXR関連団体の開発者向けガイドラインにも引用されています。

     産総研では、ヘッドマウントディスプレイの国際標準化に取り組む中で、メーカーから映像製作者、医療関係者、研究者までが参加する「快適HMD委員会」を設置して、規格案を作成して提案し、ISOでの国際標準化につなげる取り組みを行っています。ここ10年ほどの「3D映像視覚疲労」「映像酔い」についての研究、標準づくりは日本が世界を主導してきました。

     今後は映像視聴による生体安全性への配慮の観点だけでなく、人間の感覚・知覚特性に合わせた快適で自然なXR体験のあり方に関する研究にも取り組み、XRの進展に貢献していきます。

     次回は、「XRのビジネス活用に向けた取り組み~認知心理学の観点から「体験」をデザインする~」について解説します。

     

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