マイクロバイオームとは?
2023/11/01
マイクロバイオーム
とは?
―人々の健康に貢献する腸内微生物コミュニティ―
科学の目でみる、
社会が注目する本当の理由
マイクロバイオームとは?
マイクロバイオームとは、土壌や水中、そして私たちの体の表面や腸内に存在している微生物コミュニティのことです。マイクロバイオームは多種多様な微生物から構成されており、適度なバランスをとりながら周囲の環境に影響を与えています。腸内マイクロバイオームは健康や病気にも影響を与えていると考えられており、マイクロバイオームの機能を解析することで、病気の発症メカニズム解明や予防・治療法の開発、ヘルスケアへの貢献が期待されています。
ヒトの腸内には約1,000種、約100兆個の細菌が存在するとされており、微生物同士がコミュニティを形成しています。これらの微生物が産生する物質は腸の環境を整えるだけでなく、血液や神経を介して全身の健康状態にも関与すると考えられています。近年、次世代シーケンサーに代表されるDNA解析装置の進化により、腸内マイクロバイオームを遺伝子レベルでより精緻に解析できるようになり、マイクロバイオームの研究が劇的に進展しています。その一方で、新たな研究課題も生じています。マイクロバイオームとは何か、どのようなマイクロバイオーム研究が進んでいるのか、バイオメディカル研究部門脳機能調節因子研究グループの室冨和俊主任研究員に聞きました。
マイクロバイオームとは
腸内の微生物コミュニティが健康維持や病気の発症に関わる
「マイクロバイオーム」とは、多様な微生物が集まったコミュニティのことです。土壌や水中にはそれぞれの環境に応じたマイクロバイオームがあり、人体にも、口の中や皮膚、腸内、女性の膣内にもマイクロバイオームが形成されています。その中で、特に近年注目されているのが腸内のマイクロバイオーム、いわゆる腸内細菌叢です。
腸内マイクロバイオームは、食事や年齢、運動、抗生物質の使用などによって影響を受けることが知られており、そのバランスはヒトの健康状態の維持に寄与しています。また、肥満や糖尿病などの生活習慣病との関連も指摘されています。日本国内だけで約30万人の患者がいるといわれている潰瘍性大腸炎やクローン病などの炎症性腸疾患(IBD)の発症原因の全貌は分かっていませんが、腸炎を自然に発症するマウスの腸内を無菌環境にすると腸炎を発症しないことや、腸内細菌が豊富に存在する部分でIBDが発生しやすいことから、腸内マイクロバイオームの関与が示唆されています。
疾患との関連だけでなく、薬の効き方にも腸内のマイクロバイオームが関与していると考えられています。外科手術、化学療法、放射線療法と並んで「第4のがん治療」とも呼ばれる免疫療法では、免疫チェックポイント阻害薬が使用されていますが、その効果が現れる患者は2割程度にとどまっています。治療効果があった患者となかった患者との間では、腸内マイクロバイオームの構成に違いがあり、治療効果があった患者の便を治療効果がなかった患者に移植すると、がん免疫療法の奏功率が向上するという海外の報告もあります。
また、脳と腸は、腸内の代謝物やホルモンなどを介して相互作用しており、これを「脳腸相関」と言います。この脳腸相関にも、腸内マイクロバイオームが関与していると考えられています。マウス実験では、腸内細菌叢の消失や変化によって認知機能が低下することが示されており、腸内マイクロバイオームと認知機能との関係もホットな研究分野となっています。
マイクロバイオームの解析
マイクロバイオームを遺伝子レベルで調べる
マイクロバイオーム研究が大きく進展している背景には、解析手法の発展があります。従来の解析では、細菌を培養して顕微鏡などで観察する必要がありましたが、腸内細菌の中にはクロストリジウム属細菌やビフィズス属細菌など酸素存在下では生きられない細菌も多く、マイクロバイオームの多様性を正確に把握することは非常に困難でした。
この状況を大きく変えたのが、次世代シーケンサー(NGS)の登場です。NGSは、これまでの解析機器よりも格段に早く、大量のDNA配列を解読できます。
NGSによるマイクロバイオームの多様性解析方法は、大きく分けて16S リボソームRNA(rRNA)遺伝子を対象としたアンプリコン解析と、細菌の全ゲノムを対象としたショットガンメタゲノム解析があります。
16S rRNAとは、タンパク質合成に関わるリボソームという細胞小器官を構成するRNAの一つで、細菌ごとに特徴的な配列(可変領域)をもっています。つまり、16S rRNA遺伝子の可変領域をPCR増幅してシークエンスすることで、細菌の種類や構成比を割り出すことができます。比較的安価に解析できますが、細菌の機能を詳細に解析することは困難です。
一方、ショットガンメタゲノム解析では、複数種類の細菌のゲノム(全遺伝情報)をまとめて解析します。細菌の種類を特定することもできますが、細菌集団がどのような遺伝子や機能をもつかに注目して解析する手法です。
これらの手法を組み合わせた解析を行えるようになったことで、マイクロバイオームの遺伝子レベルの解析が飛躍的に進んでいます。
次世代シーケンサーのデータ互換性・再現性の課題
NGSはマイクロバイオーム解析に革命をもたらしましたが、DNAの抽出やデータの解析はさまざまな方法が活用されており、データの互換性や再現性が課題でした。場所や組織を問わず、解析したデータが相互に比較できることは、信頼性の高い情報提供や研究にも不可欠です。
産総研は、DNAの抽出と調整の工程に注目し、どの方法なら互換性が保たれるか検証しました。9種類のDNA抽出方法と、11種類の調整方法を検証し、さまざまな条件下で正確性が高く、簡便な方法を選定しました。同時に、菌体と核酸の標品も開発し、マイクロバイオーム解析の精度管理に貢献しています(2021/04/29プレスリリース)。
ヒトの腸内マイクロバイオームをもつマウスの作製を目指す
腸内マイクロバイオームが健康や病気に関与することを実証するために、実験動物が使用されます。特にマウスは歴史が古く、一度に多数の個体を扱うことができるため、医薬品や健康食品の有効性評価にも用いられています。しかし、ヒトとマウスとでは腸内マイクロバイオームの構成が大きく異なるうえ、ヒトのマイクロバイオームをマウスに移植したとしても、マウス腸内では約50%の微生物しか定着しません。そのため、マウスの腸内でヒトのマイクロバイオームを再現することは非常に困難です。ヒトのマイクロバイオームを再現できないということは、ヒトで有効性が期待される微生物の機能をマウスで評価しようとしても、その微生物がマウス腸内に定着できず、その有効性を調べることができないという問題に直面してしまいます。
そこで産総研では、ヒトの腸内マイクロバイオームをマウスに保持させるための技術開発に取り組んでいます。マウスの腸内環境をヒトに近づけたり、マイクロバイオームの移植方法を工夫したりして、ヒト由来の腸内マイクロバイオームの定着率をできるだけ100 %に近づけ、目的とする微生物集団をマウス腸内環境で維持させるための技術の確立を目指しています。ヒト腸内マイクロバイオームをマウスで保持できれば、ヒト腸内環境を再現したマウスで、新しい腸内細菌の有効性や安全性の評価だけでなく、新しい治療薬候補の探索にも活用が期待されます。
また、ヒト腸内マイクロバイオームを保持したマウスを普及させることも視野に入れています。マウスを用いた実験では、遺伝的な背景が同じでも研究施設ごとに実験結果が変わってしまうという課題があり、その原因の一つが腸内マイクロバイオームの差ではないかと考えられています。そこで、ヒト腸内マイクロバイオームをマウスに安定して保持させることができれば、施設間での誤差が少ない動物実験が実施できるようになり、再現性が高く信頼性の高い結果が得られます。このようなマウスを用いることで、腸内細菌を介して宿主の体内で起こる現象を発見したり、疾患の発症原因や薬の作用機序の解明につなげたりしたいと考えています。
市場規模は今後大きく拡大する
ヒトマイクロバイオーム市場は今後大きく拡大すると見込まれています。ヒトマイクロバイオーム市場は、2022年では約5.7億ドル(約820億円)の市場価値から、2030年には約27億ドル(約3900億円)に達すると推定されています。
具体的な製品としては、宿主に有益な作用をもたらす菌であるプロバイオティクス、腸内で有益な作用をもたらす菌のエサとなるプレバイオティクス、そして医薬品などが挙げられます。ターゲットとなる疾患には、感染症、IBD、内分泌代謝疾患、がんなどが想定されています。
また、腸内のマイクロバイオームは健康の維持にも関わっていることから、疾患治療だけでなく衛生管理や美容といったヘルスケアの分野でも注目されています。将来、腸内マイクロバイオームに着目した食品やサプリメントがより身近になるかもしれません。
マイクロバイオームを創薬やヘルスケアに応用するには、薬理学や微生物学をはじめとする多様な知識が必要になります。産総研は、他の研究機関や大学と連携しながらさまざまな領域の専門家を集め、複雑な要因が絡み合うマイクロバイオームの機能解明とマイクロバイオームの産業利用に向けた技術開発を進めていきます。