地震を“待つ”から“読む”へ
地震を“待つ”から“読む”へ

2026/04/08
地震を“待つ”から“読む”へ 南海トラフ地震臨時情報を支えた地下水とひずみのモニタリング技術
今後30年以内の発生確率が高まっている南海トラフ地震は、想定被害が特に大きく、予測精度の向上や防災対策が急務となっている。気象庁は2024年に発生した日向灘の地震を受けて、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を初めて発表した。日本の地質調査のナショナルセンターである産総研の地質調査総合センター(GSJ)は、日頃から取り組んできた地下水・ひずみ観測によるプレート境界すべりの研究や観測データの気象庁への提供をリアルタイムで行い、地震時の迅速な判断に貢献。産総研の研究者たちは、想定震源域内でどのような観測を行ってきたのか。地震予測研究を今後どう進めていくのか。2人の研究者に話を聞いた。
初の臨時情報発表の裏で何が起こっていたのか
2024年8月8日の夕方、緊急地震速報を知らせる音が鳴った。研究室にいた活断層・火山研究部門地震地下水研究グループの研究グループ長である北川有一は「臨時の招集がありそうだな」と直感した。
同グループが進めているのは、地殻変動や地下水の観測からプレート境界の動きをより詳細に把握し、南海トラフ地震につながりうる兆候を把握する取り組み。観測データと解析結果は、産総研から気象庁や防災科学技術研究所(防災科研)にリアルタイムで共有されるほか、毎月1回の評価検討会(定例会)で評価されている。この評価検討会が北川の予想どおり、初めて臨時で開催された。
震源地は、南海トラフ地震の想定震源域に含まれる宮崎県沖の日向灘で、ほぼ間違いない。議論は地震の規模を示すモーメントマグニチュードの数値確定に集中した。7.0以上か否かで、その後の情報発表の内容が変わるからだ。参加した北川は「まずは今回の地震が、南海トラフ地震臨時情報を発表する基準に当てはまるかどうかを確実に判断する必要があり、そこに丁寧に時間をかけました」と振り返る。
一方、同グループ主任研究員の板場智史は、出張先に向かう新幹線の車内からオンラインで臨時会にオブザーバー参加していた。速報で発表されたマグニチュードは7.1。これは震源近くの地震計が観測した地震波形の振幅から計算されたもので、速報性があるものの、地震が大きいと波が振り切れるなどして誤差が生じる。板場は当時の状況を「今回のように大きい地震の規模を正確に求めるには、地球規模の地震計で地震波形全体を詳細に分析しなければならず、どうしても時間がかかるのです」と補足する。
情報を収集し比較検討を重ねた末に、モーメントマグニチュードは7.0と評価された。これを受けて気象庁は南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を発表。2019年にこの制度が運用開始されてから初めてのことで、「発表に伴う政府としての特別な注意の呼びかけ」が開始された。
地震発生から臨時情報発表まで、およそ2時間半。この迅速な対応に産総研の観測データが活用された。国全体の取り組みとして効果的な情報発信が実現した裏側には、GSJがこれまでに積み重ねてきた研究の蓄積があった。
各観測点のデータが特別な注意の呼びかけの終了に貢献
産総研では、GSJの前身である地質調査所の時代から、東海地震予知を推進する国の方針に応じて、1970年代後半から静岡県周辺にて地下水観測を開始し、その後は近畿地方などにも展開してきた。地震に関連する地下水変化の研究を行ってきた北川は「古くから大地震の前に井戸の水が枯れた、水位が低下したなどの現象が実際に報告されています。その原因を究明する取り組みが進められてきた中で、地下水と地殻変動との関係性が近年明らかになってきました」と話す。
2000年代に入り、通常の地震よりはるかに遅い速度でプレートが動く「ゆっくりすべり」が発見された。巨大地震の想定震源域より深いプレート境界においてゆっくりとしたすべりが発生する現象で、数カ月に1回の頻度で周期的に発生している。
シミュレーションの結果、巨大地震が起こる前にゆっくりすべりの発生頻度や大きさが変化する可能性があることが指摘され、南海トラフ地震の予測につながる可能性があることが明らかになった。このゆっくりすべりによる地盤のわずかな伸び縮みが、周辺の地下水位に影響を与えていると考えられている。
南海トラフ地震の予測研究のため、産総研では2006年から、東海・紀伊半島・四国・九州まで範囲を広げて新規観測点を整備。2025年現在、地下水・ひずみ観測点はこの地域に24カ所展開している。そのうち、19の観測点にはボアホールひずみ計と呼ばれる、井戸の垂直な穴(ボアホール)の一番底にひずみ計を設置。セメントで岩盤と一体化されており、周囲の岩盤が伸び縮みすると計器の筒の直径が変化する。その直径の変化量を計測して地殻変動を検出する仕組みで、1,000 kmの距離がわずか1 mm伸び縮みした変化を検知できる感度を誇る。
地下水・ひずみ観測点では約600 m、約200 m、約30 mと深さの異なる3本の井戸を掘削し、ひずみ計、地震計、水位計などが設置されている。
この高感度ひずみ計を使ってゆっくりすべりの高精度なモニタリングを行い、さらに観測技術やデータ解析手法の開発を進めているのが板場だ。
「まず新規観測点の2カ所で観測を開始したところ、1カ所は観測データの精度が高く、もう1カ所は低かった。原因はひずみ計自体ではなくひずみ計周辺の岩盤の環境にあるのではないかと考え、地盤のひび割れや地下水の影響を受けないよう埋設手法に改良を重ねると、精度の高いデータを得られるようになりました。最初の2カ所の観測結果が偶然にも両極端であったことが、その後の質の向上につながりました」
ゆっくりすべりの高精度なモニタリング環境が整っていく中で、データ解析手法も高度化。産総研の観測データ・解析結果は政府機関とリアルタイムで交換されるようになり、南海トラフ地震臨時情報の判断に活用される体制がつくられていった。
臨時情報発表時、日向灘周辺の地殻変動に注目が集まったが、「プレート境界全体をモニタリングすることが重要だと考えていました」と北川は言う。
さらに北川は、「各観測点では、プレート境界のゆっくりすべりを示唆する異常な地殻変動は観測されていませんでした。異常を察知するには、平常時の状態を正確に把握しておく必要があります。常に観測を続け、蓄積してきた私たちのデータをもとに、通常と大きく異なる動きは見られないと迅速に判断できたことが、政府としての特別な注意の呼びかけが規定どおり1週間後の終了につながったと考えています」と、日頃の研究成果に対する自負をのぞかせた。
高感度ひずみ計の一部を切り取った模型。周りの岩盤が伸び縮みした変化量を計測する。
長年の研究成果が社会で活用される段階に
地震に関する研究に心血を注ぐ2人は「この道に進んだのは、阪神・淡路大震災を経験したのがきっかけ」と口を揃える。大学院の修士課程1年目だった北川は、地震発生直後から行われた淡路島での掘削調査に大学連合の一員として参加。研究テーマとして取り組んでいた地下水観測などに関わった。高校生だった板場は、横倒しになった高速道路の近くに住んでいた。大学卒業後、就職の内定を辞退して大学院に進学、ひずみの観測やそのデータを用いた研究などに取り組んだ。
当時から、地震学の中では地下水も地殻ひずみもマイナーな研究分野だった。
「圧倒的にメジャーだったのは、地震計のデータを用いた地震の研究です。その後も、国土地理院の全球測位衛星システム(GNSS)のデータを使って、日本全体の地殻変動を捉える分野が台頭します。地中に計器を埋めて地下水や地殻ひずみを観測する研究は、さらにマイナーになっていった気がします」と北川は言い、大学でもこの分野を専門とする教員が少なくなっていると話す。
指導する教員がいなければ、学生は研究どころか興味を持つことすらできない。板場も危機感を募らせる。
「昔から地下水観測や地殻ひずみ観測はニッチな研究で、地震予測を目指した観測研究が行われていましたが、地震研究に広く活用されるには至っていませんでした。それでも、当時は観測自体に取り組む研究者が大学を中心にいました。今は観測データがようやく活用されるようになったのに、大学で研究する人がいないという逆転現象が起きています。産総研は観測データを政府機関に提供するだけでなくウェブで一般公開していますが、これには次世代を担う学生の方の目に触れて少しでも興味を持ってもらいたい、という思いがあります」
井戸水を観察し、地下水の異常を探して、大地震時に起こるはずの現象を待ち続けていたのはもはや過去のこと。
「現在は普段からプレート境界で起こり続けている現象のモニタリングに必要なデータを取り、その解析手法を開発するなど、やるべきことが非常にはっきりしています。明確な道筋がある今はモチベーションを持って取り組める環境にあると思います」と、北川は言葉に力を込める。
産総研には、例えば地質の痕跡から過去の地震にアプローチしている研究者もいる。板場は「地質の研究に我々の研究を組み合わせると、過去に遡りながら未来を予測することもできるかもしれません。それが一機関で全てできるのは産総研の強み。夢のある仕事ですから、いつか実現したいと思っています」と先を見据える。
技術開発で地震予測研究を次世代につなぐ
「海では海上保安庁や海洋研究開発機構(JAMSTEC)などが研究を進めています。海域の研究者とは数年前から技術的な情報交換を行っており、陸側の研究と着実に連携を深めて南海トラフ全体をモニタリングできる体制を整えて、より発展させていきたいと考えています」と、板場は地震予測研究の将来を見据える。
また、精度を向上するために観測点を増やすには、当然コストがかかる。そのため、ひずみ計の小型化により既存井戸へも設置を可能にするなど、ひずみ観測点新設にかかるコスト・工期の削減を目指した技術開発を進めている。ひずみ観測の高精度化によって、ゆっくりすべり検知能力の向上を図っていく。
産総研つくばセンター内にある観測井戸。
観測計器や設置手法の開発は、幅広い分野の企業との協業なしでは進まない。例えば、ひずみ計が土木分野などでも広く使われるようになれば、全体として生産価格が下がり技術革新はより進むだろう。ひずみ計は縦型のボアホールタイプのほかに、トンネルの横穴に長い棒を設置して両端間の距離を測る伸縮計などがある。また、ひずみゲージと呼ばれるセンサーは精度不足から地震研究分野では使われないが、安価なため土木分野では多用される。ゆっくりすべりの検知に用いられるほど高感度なひずみ計は高価であり、産総研として可能な限り価格を抑えても、導入側の想定価格にはまだ大きな開きがある。
「これまでにひずみ計の実用について問い合わせがあったのは、大深度地下トンネルやダムといった巨大構造物などの案件です。事前調査や建設後のモニタリングには高精度な観測計器が必要になります。ほかにも原子力関連施設などはより高い安全性が求められるため、高精度なひずみ観測の需要があるのではないかと考えています。いつになるか現時点では見通せませんが、そういった施設が実際に日本で建設されるときに役立てるようにしたいと思っています」と、板場は言う。
地盤のわずかな伸び縮みを捉えられるほど高精度な観測装置はほかになく、観測技術自体をいかに守っていくかも今後の課題となる。また、学生だけでなく多業種に向けてデータを公開し、オールジャパンで取り組めば解析技術もより発展していくことが期待される。
これほどの地震観測体制を整え、特定の巨大地震の予測に取り組む国は、世界に類を見ない。
「緊急地震速報は気象庁が中心となって運用されていますが、地震のモニタリングと解析の結果がリアルタイムで共有され、社会に発信して活用される仕組みがつくり上げられている例を日本以外に私は知りません。それほど地震に関心が寄せられるこの国で、地震予測研究に取り組む意義は大きいです」と、北川は語る。
さらに北川は、自身の役割についてこう話す。
「古い観測点を整理し、南海トラフ地震の観測研究に集中できる体制を整えて次世代に引き継ぐことが、研究グループ長としての役割です。研究成果は国を通して発表される形で、その評価検討会や臨時情報発表の判断に必要なデータを提供するために今後も堅実にやっていきたいと思います」
また板場も、南海トラフ地震予測にかける思いは人一倍強いと、次のように話す。
「ゆっくりすべりは世界中で起こっていて、その研究の知見を積み上げれば南海トラフ地震予測にも生かせます。まだハードルは高いですが、世界中でひずみ計による観測が行われるようになれば、研究は次の段階へステップアップできます。そのための技術開発も進めていきたいですね」
地震予測研究の最前線にいる2人の研究者の挑戦は、今後も続いていく。
活断層・火山研究部門
地震地下水研究グループ
研究グループ長
北川 有一
Kitagawa Yuichi
活断層・火山研究部門
地震地下水研究グループ
主任研究員
板場 智史
Itaba Satoshi
産総研
地質調査総合センター
活断層・火山研究部門