発表・掲載日:2007/06/13

共生細菌による昆虫の害虫化の発見

-昆虫自身の遺伝子ではなく腸内共生細菌によって決まる食餌-

ポイント

  • マルカメムシという豆類の害虫について、ダイズなどの作物を食物として利用できる性質が、昆虫自身の遺伝子ではなく腸内共生細菌によって決まることを発見。
  • 昆虫の進化や害虫化の起源に新たな観点を与えるとともに、害虫防除の新規標的として共生細菌の可能性を示唆する。

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)生物機能工学研究部門【部門長 巌倉 正寛】生物共生相互作用研究グループ 深津 武馬 研究グループ長、細川 貴弘 協力研究員らは、マルカメムシという豆類の害虫が、ダイズなどの農作物を食物として利用できる性質を、昆虫自身の遺伝子ではなく腸内共生細菌が決定していることを明らかにした。

 昆虫はもともと自然界で野生の植物を食物として利用していた。その中から多量かつ単一に栽培される農作物を利用する能力を獲得した特定の遺伝的系統が、「新興害虫」として蔓延して大きな農業被害を引き起こす場合がある。従来、このような害虫系統というのは昆虫自身の遺伝子型によって決まると考えられていた。ところが本研究により、体内に共生する微生物が害虫としての性質を与えうることが実際に示された。これは昆虫の進化や害虫化の起源に新たな観点を与えるとともに、害虫防除の新規標的として共生細菌の可能性を示唆し、微生物学、昆虫学、生態学などの基礎科学のみならず、農学や害虫防除などの応用分野からも注目される研究成果である。

 本研究成果は英国の学術専門誌『Proceedings of the Royal Society B』(英国王立協会紀要)のウェブサイトで2007年6月13日にオンライン発表される。

マルカメムシの成虫の写真
写真:マルカメムシの成虫。足下に卵塊がみえる。

開発の社会的背景

 昆虫の食害による農業生産への被害には甚大なものがあり、その防除と対策は社会的に重要な課題である。農学や育種学、害虫防除学は、そのような課題に対する対策を体系化した学問分野といっても過言ではない。

 農作物は原種から高度に品種改良され、ほとんどの場合、原産地とは遠く離れた世界各地で栽培される。したがって多くの重要な害虫は、もともとそれらの農作物を食物としていたとは限らない。土着の野生植物に依存して生活していた昆虫の系統の一部が、多量かつ単一に栽培される農作物を利用する能力を獲得し、『新興害虫』として蔓延する場合も少なくないと考えられている。育種学ではそのような害虫系統に対する抵抗性の農作物系統を開発して圃場に投入し、害虫防除学ではそのような害虫に効果的な殺虫剤を開発して散布する。かくして一時は害虫が制圧されたようにみえるが、遅かれ早かれこれらの抵抗性作物を打破したり、殺虫剤への耐性を獲得した新たな害虫系統が進化して、再び圃場に蔓延する。害虫防除の歴史は、まさにこのようないたちごっこの繰り返しであった。

 昆虫類が農作物を食物として利用する能力の獲得過程およびその具体的なメカニズムの解明は、新興害虫の起源の理解および制御への戦略を立てるうえできわめて重要である。従来、新興害虫というのは、昆虫自身の遺伝的変異から生じると考えられてきた。

研究の経緯

 産総研では、未探索の遺伝子資源の宝庫である難培養性の共生微生物をターゲットとしてさまざまな研究プロジェクトを推進してきた。

 我々が近年、共生研究の新規かつ有用なモデル系として注目し、研究開発を進めてきたのが、マルカメムシ類の腸内共生細菌のカプセル伝達系である。

 マルカメムシ類は、腸内に特定の細菌(我々がイシカワエラ Ishikawaellaと命名した)を保有しており、この細菌なしでは正常な成長や繁殖ができないほど密接な共生関係にある。興味深いことにマルカメムシ類の母虫は、植物上に卵を産むときに、いっしょに褐色の小さな塊を産みつける。これらは実は内部に腸内共生細菌を封入した『共生細菌カプセル』であり、孵化幼虫がカプセルに口吻を突き立てて内容物を摂取することにより、共生細菌の感染が成立する(図1)。母虫が子虫のために共生細菌入りの『お弁当箱』を用意するというシステムは他に類例のないものであり、実験室においてこの共生システムを利用することによって、他では不可能なさまざまな実験操作が可能となる。たとえば実体顕微鏡下においてピンセットで卵とカプセルを分離して新たに組み合わせることにより、宿主昆虫の集団間、種間、属間で共生細菌を自在に入れ換えることができる。カプセルのみを集めることにより、宿主昆虫のDNAの混入のない、純粋な共生細菌のDNA試料を調製することが可能である。

研究の内容

 マルカメムシ Megacopta punctatissima(図2左)は本州から屋久島にかけて分布し、雑草のクズを主要な食草としているが、しばしばダイズ畑などに侵入して吸汁、繁殖し、農業被害を引き起こす。一方、タイワンマルカメムシ Megacopta cribraria(図2右)は南西諸島に分布し、雑草のタイワンクズが主な食草であるが、ほとんど農業被害を起こすことはないといわれている。

共生細菌を獲得するマルカメムシ孵化幼虫の写真   図1:カプセルに口吻を突き立て、共生細菌を獲得するマルカメムシ孵化幼虫。赤矢印は共生細菌カプセルを、青矢頭は卵殻を示す。スケールは1 mm。

 なぜマルカメムシは農業被害を引き起こすのに、近縁のタイワンマルカメムシはそうでないのか?実験室内の同一条件下においてダイズ鉢植えで飼育したところ、両種ともちゃんと成長して産卵するものの、次世代の卵の孵化率がマルカメムシでは正常なのに、タイワンマルカメムシでは大きく低下した(図3、4)。つまりタイワンマルカメムシはダイズを食物とすると繁殖がうまくいかないのである。

成虫のマルカメムシとタイワンマルカメムシの写真   図2:成虫のマルカメムシ(左)とタイワンマルカメムシ(右)。スケールは1 mm。

 そこで、カプセル交換実験によって、両種の間で共生細菌を入れ換えて、ダイズ鉢植えで飼育してみた。すると驚くべきことに、次世代の卵の孵化率がタイワンマルカメムシでは正常に復帰したのに対して、マルカメムシの孵化率は劇的に低下した(図3、4)。すなわち、共生細菌を種間で入れ換えることにより、非害虫種と思われていたタイワンマルカメムシがダイズを利用できるようになり、害虫種と思われていたマルカメムシがダイズ上でうまく繁殖できなくなったのである。

マルカメムシおよびタイワンマルカメムシの卵孵化率の図   図3:ダイズ上で飼育したマルカメムシおよびタイワンマルカメムシの卵孵化率。腸内共生細菌の入れ換えにより、卵孵化率が完全に逆転する。

 これらの結果は、マルカメムシが農作物を食物として利用できるという性質が、カメムシ自身の遺伝子型ではなくて、その腸内共生細菌によって決定されていることを示すものである。本研究は、体内に共生する微生物が害虫化の原因となりうることを明快に示した世界初の報告である。さまざまな農業害虫の中には、もしかするとこのように共生細菌が変異したり、あるいは新規な共生微生物を獲得することによって害虫化したものがあるかもしれない。

マルカメムシおよびタイワンマルカメムシの卵孵化の様子の図   図4:ダイズ上で飼育したマルカメムシおよびタイワンマルカメムシの卵孵化の様子。正常な孵化は、マルカメムシ由来の共生細菌を持った場合にのみ観察される。スケールは1 mm。

今後の予定

 共生細菌が宿主昆虫の害虫化を規定する、具体的な生理および分子機構の解明が今後の課題である。我々は現在、害虫種マルカメムシおよび非害虫種タイワンマルカメムシそれぞれの共生細菌の全ゲノム解析を進めている。両共生細菌のゲノム配列の詳細な比較からは、どのような遺伝的変異が農作物を利用できる性質に関与するのかについて、具体的な洞察が得られるであろう。本研究により、共生細菌が新興害虫の進化に関与しうるのではないかという興味深い仮説が提示されたが、さまざまな害虫においてそのような観点からの可能性を検討していくことも重要である。これらの研究を通じて、共生微生物が昆虫の害虫化に関わるという現象の多様性、一般性、産業応用の可能性などについて追求していく予定である。



用語の説明

◆腸内共生細菌
腸内に共生している細菌のこと。昆虫類やヒトを含むほぼすべての動物が、腸内に共生細菌を保有している。ヒトの腸内共生細菌の多くは、宿主にとって益も害もない存在であるが、中には状況によって日和見病原体として害をなすものもあれば、ある種のビタミン等を供給する有益なものもある。シロアリ類では、嫌気的な腸内に多種多様な細菌類や原生動物を保有しており、食物である木材の主成分のセルロースの分解に必須な役割を担う。マルカメムシ類では単一種の共生細菌“Candidatus Ishikawaella capsulata”が後部中腸に充満しており、宿主の正常な成長や繁殖に必須である。[参照元へ戻る]
◆新興害虫
新規に生じて蔓延し、農業生産等に甚大な被害を与える害虫のこと。たとえば1986年にフロリダのポインセチア温室に現れ、またたく間に世界を席巻したシルバーリーフコナジラミなどが有名であるが、その起源はよくわかっていない。[参照元へ戻る]
◆カプセル伝達系
宿主生物にとって重要な機能を担う共生細菌の多くは、親から子へと垂直伝達によって世代を経て伝えられるが、カプセル伝達はマルカメムシ類のみに知られる共生細菌の伝達機構である。マルカメムシ類のメス成虫は、植物上に卵を産むときに一緒に、褐色の共生細菌を含んだ分泌物の塊である“共生細菌カプセル”を産みつける。卵から孵化した幼虫はただちにカプセルに口吻を差し込んで、共生細菌を獲得する。[参照元へ戻る]


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