発表・掲載日:2003/01/10

絶対零度で固体結晶の結合性が転換する有機物質を開発

-多彩な機能をもった新たな有機材料の開発手法として期待-

ポイント

  • 一つの有機物で、分子結晶とイオン結晶という二つの異なる状態間のトンネル効果を初めて実現
    【 例えるならば、砂糖と塩の結晶状態間のトンネル効果 】
  • 電気分極が分子の電荷(結晶の結合性)とともに絶対零度付近で揺らぐ新たなタイプの相転移
  • 光、電場、電流、磁場によるスイッチ機能や非線形光学機能などの多彩な機能をもった新たな有機材料の開発手法として期待


概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)強相関電子技術研究センター【センター長 十倉 好紀】は、一つの物質で分子結晶(中性)とイオン結晶(イオン性)との間を相互転換(相転移)できる有機結晶を開発した。この相転移の検証は、相転移温度を室温から極低温へと精密に制御する方法を確立して、絶対零度で二つの異なる結合状態の間を量子力学的に「トンネル」する状態(量子相転移)を初めて実現し、これを光学スペクトル測定により観測することで行った。

 DMTTF(4,4',5,5'-ジメチルテトラチアフルバレン)を電子供与体(ドナー)、QCl4 (p-クロラニル)及びその臭素置換誘導体を受容体(アクセプター)とする電荷移動錯体結晶を用いて、中性-イオン性相転移温度を、圧力によって絶対零度から室温にいたるまで精密に制御することに成功した【図1】。特に、絶対零度付近で相転移が現れ始める圧力領域では、電気分極が量子力学的に揺らいでいることを示す証拠として量子常誘電性を見いだした。さらに、こうした相転移温度が絶対零度へ消失する点(量子臨界点)付近の精密な制御は、QCl4分子の四つのCl原子を一つずつBr原子に置き換える分子サイズ効果(有効圧力)によっても、圧力とほぼ等価な手法として実現できた。

 光学スペクトル測定を用いて一連の錯体結晶中での分子上の電荷量の温度変化を調べた【図2】。最低温度にて有効圧力の変化に対し中性からイオン性への相転移が起こる量子臨界点付近の2,6-QBr2Cl2(2,6-ジブロモ-3,5-ジクロロ-p-ベンゾキノン)錯体では、量子常誘電性とともに中性-イオン性状態間の分子電荷の揺らぎを観測した。

 以上によって今回の成果は、相転移温度を絶対零度付近まで下げることで、分子結晶とイオン結晶両者の間で量子力学的に揺らぐ(トンネルする)状態を実現したと言える。こうした、基礎科学としての興味に加え、そもそも多彩な物性を示す中性-イオン性相転移物質について、こうした量子揺らぎ効果がさらにいかなる未知の物性、機能をもたらすかを今後調べる上で、本研究での物質開拓、制御の手法は重要な一歩となるであろう。

 本成果は、米科学誌サイエンス【2003年1月10日号】に掲載された。

 *Science, “ Quantum Phase Transition in Organic Charge-Transfer Complexes ” by Sachio Horiuchi(堀内 佐智雄), Yoichi Okimoto(沖本 洋一), Reiji Kumai(熊井 玲児), and Yoshinori Tokura(十倉 好紀)



有機電荷移動錯体結晶における結合性の転換の模式図と温度-圧力相図

図1 有機電荷移動錯体結晶における結合性の転換(中性-イオン性相転移)の模式図と温度-圧力相図

 

DMTTF-QBrn Cl4-n 錯体結晶の分子の電荷移動度の温度、有効圧力に対する変化の図

図2 DMTTF-QBrn Cl4-n 錯体結晶の分子の電荷移動度(DAのρ)の温度、有効圧力(QBr4を基準)に対する変化。赤線は各錯体のρの温度変化、黒色点線は一定温度でのρの有効圧力に対する変化。臭素二置換体2,6-QBr2Cl2は絶対零度(太い点線)で中性-イオン性相転移する点、すなわち絶対零度で中性とイオン性状態間を揺らぐ量子臨界点(QCP)にほぼ位置している。
底面は中性-イオン性相境界をあらわす。



研究の背景と経緯

 固体結晶には、内部の結合性の強さに応じて、分子が弱い結合で集合した「分子結晶(ex.砂糖,ナフタレン)」や、イオンの静電的な結合で形成される「イオン結晶(ex.食塩)」、原子が強く結合した「共有結合性結晶(ex.ダイヤモンド,シリコン)」、金属イオンが伝導電子によって結合した「金属結晶」が存在する。「分子結晶」と「イオン結晶」という異なる結晶の結合性を一つの物質でスイッチできるような極めてユニークな有機物としては、電荷移動錯体が知られている。電荷移動錯体とは、電子供与体(ドナー)分子と受容体(アクセプター)分子から構成され、分子間で電子授受が行われる物質である。分子上の電子に伝導性や磁性、光応答を担わせることにより、有機半導体、超伝導体、磁性体、非線形光学効果等の興味深い物性を示す物質の開発や、物性科学の基礎研究さらには応用も視野に入れた活発な研究の舞台となってきた。

 本研究で対象とした「中性-イオン性相転移」とは、温度変化等によりドナー-アクセプター分子間で電子が移動し文字どおり分子の電荷が変化する、一種の固体中の可逆的な酸化還元反応である。中性-イオン性相転移によって、中性分子からなる「分子結晶」がイオン化して「イオン結晶」へと転換し、イオン結晶格子はドナーとアクセプターがペアを作るように歪んで電気分極が発生し、強誘電性をも獲得できるという極めて特異な性格を持っている。また、電場に対し容易に制御しうる強誘電体本来の機能に加え、二次の非線形光学効果などの光学的機能も持ち得ており、さらに中性-イオン性相転移の近くでは、「光誘起相転移」や「電流誘起抵抗スイッチング」といった、光や電流による制御が可能であるなどの興味深い特徴も持っている。

 しかし、こうした中性-イオン性相転移システムは物質が極めて限られており、新機能探索に向けた新たな物質開拓はほとんど行われてきていない。

 一方、相転移温度を絶対零度へ近づけ量子相転移を実現する手法は、金属-絶縁体転移や磁性体などの相転移系を中心に新たな物性・機能の開拓や物性物理の解明に、最近特に興味がもたれている。これは、熱揺らぎ効果に支配される高温領域での相転移とは異なる特異な物性や超伝導といった新たな相の出現などに、量子力学的な揺らぎが重要な役割を果たしていると考えられる例が見いだされ、量子相転移ではその効果が明確化するためである。

 今回、産総研 強相関電子技術研究センターが有機物の中性-イオン性相転移について、転移温度を絶対零度も含め自在に制御する手法を確立したことは、結晶の結合性の転換に基づく新たな新機能探索や、応用への展開に向けた今後の研究の重要な一歩となる成果である。


用語の説明

◆相転移
温度や圧力など外部のパラメーターが変わることで、「水が氷へ変化する」「磁気モーメントが揃って強磁性体になる」などのように、二つの秩序の異なる状態間を行き来する現象。[参照元へ戻る]
◆量子相転移(量子臨界点)
絶対零度近傍での相転移。圧力、磁場といった制御パラメーターにより、熱的な揺らぎ効果のない相転移が起こる。量子相転移する点を量子臨界点と呼び、その近傍では二つの秩序の異なる状態間がトンネル効果によって混ざり合うといった量子力学的な揺らぎ効果が明確になる。[参照元へ戻る]
◆電荷移動錯体
電子供与体(ドナー)分子と受容体(アクセプター)分子から構成される錯体。電子の授受に基づく相互作用で錯体形成が行われ、その電子の授受の度合いによって中性錯体(「分子結晶」の状態)とイオン性錯体(「イオン結晶」の状態)に分類される。[参照元へ戻る]
◆中性-イオン性相転移
電荷移動錯体において、構成分子のイオン化に要するエネルギーとイオン化後の結晶の静電的エネルギーが拮抗する場合に、温度、圧力などの外部刺激の変化によってドナー分子からアクセプター分子へ電子移動が生じ、各分子が電気的にほぼ中性状態からイオン性状態へと可逆的に変化する現象。圧力や温度低下によるイオン性状態への転移は、主に格子収縮によるイオン結晶の静電的エネルギーの利得に基づいている。[参照元へ戻る]
◆分子サイズ効果(有効圧力)
原子半径の異なる置換基を分子に修飾することで、分子の大きさとともに結晶格子の体積が変化する。主に格子収縮による影響が大きい中性-イオン性相転移の場合、分子サイズの変化は圧力印加とほぼ同様の役割を果たしている。有効圧力とは、同等の体積変化をもたらすのに必要な圧力の値(本研究では、圧縮率より換算している)。[参照元へ戻る]
◆非線形光学効果
物質に入射する光の振幅に対し2乗以上の高次の効果が現れる光学現象。例えば、二次の非線形光学効果として半分の波長の光の発生(光高調波発生)などがある。[参照元へ戻る]
◆強誘電体/量子強誘電体/量子常誘電体
強誘電体とは、結晶格子が歪んでイオンが変位する、もしくは極性をもつ分子の向きが秩序化して、マクロな電気分極が発生し、かつその分極の向きが電場によって反転可能な物質を指す。[参照元へ戻る]
量子相転移を示す強誘電体を量子強誘電体と呼ぶ。量子力学的効果(フォノンの零点振動)によって、絶対零度付近でも辛うじて強誘電相へ転移せず常誘電状態にとどまる状態を量子常誘電体と呼び、誘電率は低温で大きな値を保って温度変化に対し飽和現象を示す。量子強誘電体は、温度以外のパラメーターを変化させて電気双極子同士の相互作用を強め、量子常誘電体から強誘電相を誘起することで実現される。[参照元へ戻る]


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