発表・掲載日:2007/07/02

共生細菌抑制によりオスとメスの中間的なチョウができる

-産業的にも害虫防除・生殖工学の観点から注目される-

ポイント

  • キチョウという昆虫の幼虫に抗生物質を食べさせると、オスとメスの中間的な性質をもった「間性個体」が高頻度であらわれることを発見。
  • 共生細菌が昆虫のオスをメスに性転換をおこなう時期は初期発生段階に限定されず、長く幼虫期にわたることが明らかになった。
  • 産業的にも昆虫の性制御や害虫防除・生殖工学の観点から注目される。

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)生物機能工学研究部門【部門長 巌倉 正寛】生物共生相互作用研究グループ 深津 武馬 研究グループ長らは、千葉大学と共同で、キチョウという昆虫において性転換を行うボルバキアという共生細菌の作用が、初期発生段階に限定されず、長く幼虫期にわたることを明らかにした。

 ある種のチョウやダンゴムシでは、ボルバキアという共生細菌に感染することで、性染色体はオスなのに完全なメス個体として発生する「共生細菌による性転換」という現象が知られていた。このような共生細菌に感染したキチョウの幼虫に抗生物質を食べさせたところ、さまざまなパターンでオスとメスの特徴をあわせもつ「間性個体」があらわれたのである。

 今回の発見は、昆虫の性転換が初期発生段階に限定されず、後期発生の過程においても可能なことを示す知見である。これは産業的に昆虫の性制御や害虫防除・生殖工学の観点からも注目される成果である。

 本研究成果は米国の学術専門誌『Applied and Environmental Microbiology』(応用環境微生物学)に2007年7月2日に発表され*、キチョウが同誌の表紙を飾る。

キチョウの正常個体(左)と間性個体(右)の写真
写真:キチョウの正常個体(左)と間性個体(右)

* Narita S. et al. Applied and Environmental Microbiology 73: 4332-4341 (2007).



開発の社会的背景

 性決定、性分化の機構は、基礎科学の課題として私たちの知的好奇心を刺激するのみならず、産業応用利用の可能性も秘めている。たとえば養鶏や畜産の現場で、卵を産む雌鳥(めんどり)や、乳を出す雌牛だけを生産することができれば有用であろう。このような取り組みは「生殖工学」と呼ばれることもあるが、いまだ本格的な実用化には至っていない。もしも外部要因によって人工的に動物の性を操作できる技術を開発できれば、実用化に大きく資することになろう。

 外部要因によって性が変化する動物も知られている。中でも興味深いのは、多くの昆虫類でみられる「共生微生物による生殖操作」と呼ばれる現象である。ボルバキア(Wolbachia)は、全昆虫種の20%以上に感染しているといわれる普遍的な共生細菌であるが、宿主昆虫の生殖に変化をもたらすことで有名である。しかしボルバキアが宿主昆虫の生殖を操作するしくみには、大きな関心が寄せられているが、まだ解明されていない部分が多い。

研究の経緯

 産総研は、未探索の遺伝子資源の宝庫である難培養性の共生微生物をターゲットとしてさまざまな研究プロジェクトを推進してきた。本研究は、千葉大学大学院 園芸学研究科 博士課程3年の成田 聡子が主たる研究者としておこなったものである。

研究の内容

 キチョウEurema hecabeは、日本全国でふつうにみられるチョウで、オスは翅(はね)の地色が鮮やかな黄色で、前翅裏面に性標があるのに対し(図1上左)、メスは翅の黄色が少し鈍く、性標はない(図1上右)。キチョウをはじめとする鱗翅目昆虫では一般に性染色体で性が決まり、XXがオスに、XYがメスになる。ところが、沖縄本島や種子島のキチョウ集団には、特定の系統の共生細菌ボルバキアに感染しているために性転換が誘導され、子孫がすべてメスになってしまう個体の存在が知られていた。

図1
図1:(上左側)正常なキチョウのオス成虫。矢印は性標を示す。(上右側)正常なメス成虫。
(下左、下中)抗生物質処理により得られたキチョウの間性個体。
(下右)羽化できず蛹(さなぎ)から出られなかったキチョウの間性個体。蛹殻を除去したもの。

 いつ、どうやって共生細菌ボルバキアがオスのキチョウをメスに変えてしまうのかの手がかりを得ようと、ボルバキア感染によりメスだけが生まれてくるキチョウ系統の幼虫を抗生物質テトラサイクリン入りの人工飼料で飼育することにより、体内の共生細菌を選択的に抑制、除去することを試みた。1令、2令、3令、4令幼虫から蛹(よう)化まで、それぞれ抗生物質入りの餌で飼育したところ、正常に蛹になったが、チョウが羽化してくる割合は大きく低下した。羽化したチョウの多くは羽が曲がったりよじれたりという異常を示し(図1下左、中)、一見正常にみえるチョウもちゃんと飛べなかった。羽化しなかった蛹を解剖してみると、内部にチョウの体はできており、蛹からの脱出に失敗したことが判明した(図1下右)。

図1
図2:(上左)正常なオスの精巣。赤い色素を有する。
(上右)正常なメスの卵巣。卵巣小管中に発達過程の卵細胞が並ぶ。
(下段)間性個体の生殖巣。卵巣と精巣が共存している。

図1
図3:(上左)正常なオスの交尾器、青矢印は交尾弁縁棘というオス特有の構造。
(上右)正常なメスの交尾器。赤矢印は肛乳房突起というメス特有の構造。
(下段)間性個体の交尾器。交尾弁縁棘と肛乳房突起が共存している。

 これらのチョウの形態を詳しく調べてみたところ、多くの個体ではオスの形質とメスの形質が混在していた。外部形態では、オスの地色でありながら片方もしくは両方の性標を欠いているチョウが多発した。内部形態については、正常なオスでは精巣(図2上左)が、正常なメスでは卵巣(図2上右)が存在するが、これらのチョウの多くでは、精巣と卵巣が両方とも形成されていた(図2下段)。さらに交尾器を調べたところ、正常なオスは把握器を有する雄性交尾器(図3上左)を、正常なメスは唇弁を有する雌性交尾器(図3上右)をもつが、これらのチョウにおいてはオスとメスの両方の特徴を有する交尾器をもつものが多くみられた(図3下段)。

 これらの抗生物質処理をしたチョウについて、共生細菌の感染密度を測定したところ、無処理のチョウの1/10以下に減少していたが、完全に除去はされていなかった。

 これらの中間的な性表現型を示したチョウは、1令幼虫期から抗生物質処理をおこなった場合だけでなく、2令や3令幼虫期から抗生物質処理をおこなった場合にもかなりの頻度で出現した。、なお、テトラサイクリンなしの人工飼料や、食草のネムノキの葉で飼育した場合には、羽化率は正常であった。また、ボルバキアに非感染のチョウに抗生物質入りの人工飼料を与えた時もこのようなチョウはあらわれなかった。

 以上の結果をまとめると、以下のようになる。

  1. 共生細菌ボルバキアの感染によって性転換が起こり、メスばかりになっているキチョウに、幼虫期に抗生物質を与えると、その感染が抑制された。
  2. 抗生物質を与えた幼虫は正常に蛹化したものの、高率で羽化に失敗し、羽化できたチョウも形態や行動の異常を示した。
  3. これらのチョウの多くは、オスの形質とメスの形質をあわせもつ間性個体であった。
  4. 共生細菌ボルバキアの感染が抗生物質で抑制されることにより、性転換の作用が不完全となり、間性個体が生じたのだと思われる。
  5. 1令幼虫期から抗生物質処理したときのみならず、3令幼虫期から抗生物質処理したときにも、間性個体はあらわれた。
  6. 遺伝的にはオスであるチョウを完全に機能的なメスに性転換するには、少なくとも1令幼虫期から3令幼虫期にわたってボルバキアが継続的に感染して、宿主に作用し続けることが必要なことが示された。

 ほとんどの動物では、オスとメスは受精時の染色体構成により遺伝的に決定され、受精卵がオスになるかメスになるかの分化は発生のごく初期段階で起こる。したがって、生殖操作をおこなう共生細菌は、受精卵の初期発生の段階で性分化の機構になんらかの方法で働きかけ、遺伝的にオスである個体をメスに変えてしまうのだと考えられてきた。ところが今回の研究成果から、ボルバキアが宿主の性転換をおこなう作用点は初期発生段階に限定されず、長く幼虫期にわたることが明らかになった。すなわち、少なくともキチョウにおいては、ボルバキアが「メスへの性分化のしくみ」というよりは、むしろ「メスの形態や性質の発現にかかわるしくみ」を操作することにより、遺伝的なオスを機能的なメスに転換していることが示唆されたのである。

 今回の発見は、共生細菌による昆虫の性転換機構に関する従来の説に再考をうながすのみならず、性ホルモンの存在が知られていない昆虫類でも後期発生の過程における性転換が可能なことを示唆する知見であり、昆虫の性制御や生殖工学の観点からも注目される成果である。

今後の予定

 共生細菌が昆虫のオスをメスに性転換する、具体的な分子機構の解明を目指す。近年、キチョウと同じ鱗翅目昆虫であるカイコのゲノム解析の進展により、性決定や性分化に関わる可能性のある遺伝子へのアクセスが格段に容易になったという状況を活用して、ボルバキア感染が宿主のどのような遺伝子発現に影響を与えるのか、マイクロアレイのような網羅的アプローチと候補遺伝子からの個別的アプローチの双方から追求していきたい。いまだ遼遠(りょうえん)な課題ではあるが、もしも昆虫の後期発生における性転換の機構を具体的に理解することができれば、昆虫のオス/メスを自在に制御してつくり出す「昆虫生殖工学」も視野に入り、産業上の応用展開としては天敵農薬昆虫の効率的生産などさまざまなものが想定されよう。

問い合わせ

(研究担当者)
独立行政法人産業技術総合研究所
生物機能工学研究部門 生物共生相互作用研究グループ
研究グループ長 深津 武馬
E-mail:t-fukatsu*aist.go.jp(*を@に変更して使用してください。)


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