- 水分子が「チアン」を取り込むとき、2つの異なるハイドレート結晶構造が形成されることを発見。
- 同一の分子から複数の結晶構造を誘起できることを示し、ハイドレートを構成する水分子と包接分子との相互作用を考える新たな知見に。
- 将来的に、水分子を利用するCO2の貯蔵や分離など、新たな機能性材料設計につながる可能性。
国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)エネルギープロセス研究部門 神裕介 研究グループ長、竹谷敏 上級主任研究員、長尾二郎 副研究部門長、物質計測標準研究部門 藤久裕司 研究グループ付は、国立大学法人北海道国立大学機構 北見工業大学 木田真人 准教授とともに、炭素(C)と硫黄(S)を含む六員環の化合物「チアン(C5H10S)」が、水分子を二種類の異なるクラスレートハイドレート(以下「ハイドレート」という)結晶(構造II型と構造H型)を組み上げる現象を発見しました。従来、ハイドレート結晶は包接される分子の大きさに応じて(その相互作用の違いによって)大きさや形状が決定されると考えられていました。今回、取り込む分子が同一でも複数のハイドレート結晶が誘起されることを世界で初めて明らかにし、ハイドレートの構造が、従来考えられていたよりも大きな自由度を持つことを示しました。この成果は、ハイドレート結晶構造の理解を深めるだけでなく、水分子という環境にやさしい素材を活用したCO2の貯蔵や分離などの機能をもつエネルギー・環境材料の設計へと応用する可能性を拓くものです。
なお、この研究成果の詳細は、2025年10月17日に「Small Structures」に掲載されました。
地球上の水は、生命維持や産業活動に欠かせない資源であり、高い比熱や大きな表面張力、分子量のわりに高い融点・沸点など、特異な性質を持っています。これらの性質は水分子同士が水素結合と呼ばれる弱い引力で結びつくことによって生み出されています。水素結合によって水分子はカゴ状の構造を形成し、メタンやCO2などのガス分子を内部に取り込んで(包接して)結晶化することがあります。このように水分子が骨格となって形成される包接化合物はハイドレートとよばれます。天然ガスの主成分であるメタンやCO2を取り込めることから、ガス貯蔵材料やガス分離材料の候補としてエネルギー資源や環境保全の観点から注目されてきました。
ハイドレートがどのような結晶構造を形成するかは、取り込む分子(ゲスト分子)の大きさや形によって決まるとされ、取り込む分子ごとに“決まったパターン”があると考えられてきました(図1)。

図1 ガスハイドレート(下段)はゲスト分子ごとに異なるカゴ状構造(上段)が組み合わさって構築されている。 結晶構造可視化ソフトVESTAを使用して作成。
ハイドレートのカゴ状構造の大きさや形を制御することができれば、ガスの貯蔵効率や分離効率を高めて貯蔵・分離材料に利用するなどの応用につながります。そのためには、カゴ状構造がどのように形成されるのかを理解することが重要です。ハイドレート内の水分子同士は水素結合でつながっており、ゲスト分子を取り込むときに網目のような構造「水の水素結合ネットワーク」をつくります。ゲスト分子の大きさや形によって水分子との相互作用が異なるため、ゲスト分子ごとにカゴ状構造が違います。そのため「一種類のゲスト分子が異なる複数の水素結合ネットワーク構造をつくり出せるのか」という問いは長らく未解明でした。本研究はこの疑問に答えるものであり、結晶がどのように成長していくのかについて理解を深めるとともに、ゲスト分子の選び方によって水の結晶構造を自在に制御できる可能性を示しています。これは、環境にやさしい水分子を基盤としたエネルギー貯蔵やCO2貯蔵・分離など、新しい材料設計に直結する基盤知識となります。
産総研ではこれまで、メタンハイドレートの国産資源化に関する研究に取り組んできました。その一方で、ハイドレートが持つ高いガス包蔵性やガス分離機能、さらに高い潜熱を利用できる低温エネルギー貯蔵性といった特性に着目し、これらを新しい利用法に生かす研究も進めてきました。
なかでも、メタンやCO2よりも大きな分子を取り込んだ場合にどのような結晶構造が形成されるのかを明らかにすることは、ガス分離への応用を考える上で重要です。ハイドレート結晶の構造II型・H型は、メタンなどの比較的小さなゲスト分子が共存する環境において、より大きなゲスト分子も合わせて取り込むことができるという共通点がありますが、構造II型は直径約0.8ナノメートル程度の分子しか取り込めないのに対して、一番大きいカゴ状構造を持つ構造H型はさらに大きい分子を取り込めるというのが従来の知見でした。しかし、近年の計算科学を用いた研究の発展により、取り込む分子が同一の大きな分子であっても条件によっては異なる結晶構造が形成される可能性が示唆され、ハイドレート結晶構造の形成についての実験的な確認が望まれていました。
なお、本研究開発は日本学術振興会(JSPS)科研費(20K05594および25K01736)の支援を受けています。
今回われわれは、構造II型や構造H型を生成するゲスト分子群の大きさ・体積を比較し、中間的なサイズに位置する「チアン」に着目しました。チアンは、単体ではハイドレートを形成しませんが、チアンがメタンなどのより小さい分子と共存してハイドレート結晶を形成するかを実験的に確かめたところ、予想されていた構造H型だけでなく、構造II型の結晶も形成されることを世界で初めて発見しました。さらに、構造H型が分解すると新たに構造II型の結晶が形成されることも明らかにしました。この成果は、一種類のゲスト分子が複数の水素結合ネットワーク構造を誘起できることを直接示すものであり、従来「ゲスト分子ごとに決まった結晶構造しか形成できない」と考えられていた常識を覆す発見です。
さらに、粉末X線回折実験による結晶構造解析、NMR分光法によるゲスト分子のカゴ状構造内の占有比の評価、ラマン分光法とDFT(密度汎関数理論)計算に基づく第一原理計算によるコンフォマー解析を組み合わせて分子配置を精密に調べた結果、カゴ状構造内にあるチアン分子はいずれの構造においても同じ椅子型構造をとっており、カゴ状構造に過度な歪みも見られませんでした(図2)。つまり、チアン分子は無理に取り込まれるのではなく、あくまでも自然に両方の構造に適合していることがわかりました。
これらの発見は、水分子の水素結合ネットワーク構造がこれまで考えられていた以上に自由度を持つことを示すとともに、水素結合ネットワークの多様性を理解する上で重要な手がかりとなります。

図2 粉末X線回折実験・NMR分光法・ラマン分光法・DFT計算によって詳細な構造解析を実施。結晶構造可視化ソフトVESTAを使用して作成。
今後は、2つの構造が生じる起源を分子レベルで解明し、ハイドレート結晶の形成メカニズムや水素結合ネットワークの多様性に関する新しい理解を深めていきます。その新しい知見を基に、水という普遍的で環境にやさしい材料を基盤にしたCO2の貯蔵・分離など、エネルギー・環境分野における新しい機能性材料設計の可能性を高めていきます。
掲載誌:Small Structures
論文タイトル:Structural Flexibility of Water Frameworks: A Single Large Guest-Inducing Structure-H and Structure-II Hydrate Structures
著者:Y. Jin, H. Fujihisa, M. Kida, S. Takeya, and J. Nagao
DOI:10.1002/sstr.202500470