発表・掲載日:2023/07/20

宮古島の固有種の故郷は消えた島だった?

-地質学と生物学の融合研究が描き出した新たな琉球列島の形成史と生物進化-

発表のポイント

  • 125万年〜40万年前の宮古諸島は全域が水没していました。したがって現在宮古諸島に生息する生物や洞窟堆積物に含まれる化石は、40万年前以降に島外から移住してきた生物の子孫です。
  • しかし宮古島の固有種のなかには、宮古島が水没中に他種から分岐したものがいます(ミヤコヒバァなど、図1)。宮古島は沖縄本島から約360 kmも海で隔たっており、それら陸生種の起源は大きな謎でした。
  • 沖縄本島と宮古島の間に位置する沖縄-宮古海台(Okinawa–Miyako Submarine Plateau. 以下、OMSP、図2)が550万年~27万年前頃に陸域であり、沖縄本島から宮古諸島への生物移住の経由地となったとする仮説(OMSP仮説)を提唱しました。宮古諸島の固有種の中には、OMSPで新たに独立種へと進化していったものもあると考えられます。

概要

琉球列島の生物相は多様で独特なことで知られますが、その成立過程には多くの謎が残されています。プレート境界上に位置する島々そのものの形成過程が複雑なのが、その大きな理由です。

東北大学大学院理学研究科の井龍康文教授らは、世界自然遺産の沖縄本島や西表島のものに比しても特異な宮古島の生物相について、その成立過程を明らかにしました。地形や地質から宮古島が何度も海に沈んだのは明らかですが、にもかかわらず、そこには固有の陸生生物が多く見られます。この謎を解く鍵は、かつて沖縄本島と宮古島の間に巨大な島として存在し、今は海中に台地状の地形となって残る陸塊の存在でした。研究グループはこれを沖縄-宮古海台(OMSP)と名付け、宮古島の生物相の成立過程を説明するOMSP仮説を提唱しました。

本研究成果は、7月20日付でProgress in Earth and Planetary Science誌にてオンライン公開されました。


詳細な説明

研究の背景

宮古諸島は、最高所でも標高約110 mの平坦な地形の島で、島のほぼ全域は第四紀更新世にサンゴ礁とその沖合海域で堆積した石灰岩(琉球層群注1)で覆われています。石灰岩の層序(地層の重なり方)・空間配置と化石年代から、宮古諸島で、琉球層群が堆積した期間は最大で125万年〜40万年前(伊良部島)であり、この期間に島々は氷河性海水準変動注2により繰り返し水没しました。

その水没していた島が隆起し、陸域となってから多種多様な動植物がやってきました。不思議なことに、その中には海を渡る能力が著しく乏しいにも関わらず、沖縄本島やさらに北方の島や陸域に分布する分類群や集団と近縁なものが含まれています。例えば、ミヤコカナヘビやミヤコヒバァ(両者とも宮古島の固有種)が該当します。ミヤコヒバァが他種から分岐した時期は、分子系統の解析に基づき370万年〜180万年前と見積られていますが、宮古島は200万年前以前および125万年〜40万年前には水没していました。これは、沖縄本島から隔離されたミヤコヒバァ誕生の地が他にあることを意味します。また、宮古諸島の石灰岩に形成された洞窟や割れ目から産出する後期更新世(26,800年前〜8,700年前)の脊椎動物化石のなかには、ハブ類の化石が含まれています。これらの事実を説明するために、研究チームは地質学および生物学(生物系統地理学)の最新のデータを統合し、かつてOMSPは陸域として存在し、沖縄本島から宮古諸島への生物移住の経由地となったとする仮説(OMSP仮説)を提唱しました。

今回の取り組み

OMSPの成立

沖縄–宮古海台では、1978年に北東端付近で石油探鉱を目的に帝国石油株式会社とガルフ石油(当時)によって沖縄沖1-x号井が掘削され(図2の紫の丸)、坑井の地質と化石年代の概要が報告されていました。我々は一昨年、この坑井の試料を再検討する機会を得て、OMSPでは2700 m以上もの泥岩(島尻層群注3)が非常に短期間(810万年〜550万年前)に堆積したことを示しました(佐藤ほか, 2022, 地質学雑誌)。また、従来の調査結果を総合すると、OMSPは27万年前以降に(サンゴ礁ではなく、その沖合海域で)堆積した石灰岩に覆われていると判断されます。以上から、OMSPは550万年〜27万年前頃に陸域であった可能性があります。

OMSPは200万年前に沖縄本島とつながった

沖縄本島南部には、800万年〜200万年前に堆積した泥岩主体の地層(島尻層群)が分布します。島の中軸部では島尻層群は琉球層群に覆われており、琉球層群の堆積前に島尻層群が陸化し、侵食された痕跡が認められます。島尻層群上部は、水深数百mで堆積したと推定されていることから、沖縄本島南部は200万年前頃に急速に隆起したことが明らかです。この急速隆起は、島尻層群最上部にメタンハイドレートが不安定化・分解して、大量のメタンが放出されて形成されたドロマイト注4の岩塊の存在することからも支持されます。

研究チームの一人である荒井晃作らが実施した産業技術総合研究所・地質情報研究部門の調査航海により、この沖縄本島南部の急速隆起は、慶良間ギャップと呼ばれる沖縄本島とOMSPを隔てる凹地を形成した右横ずれ断層(従来、左横ずれ断層とみなされていた)に起因することが明らかになりました。隆起域は沖縄本島南部に留まらず、慶良間鞍部と呼ばれる沖縄本島とOMSPの尾根状の地形を示す部分も隆起しました。以上の結果、OMSPは200万年前に沖縄本島とつながり、北東-南西方向に400 kmに渡る巨大な島(沖縄本島-OMSP-宮古島がつながった島)が形成されたと考えられます(図3a)。この時、沖縄本島の動植物が、OMSPにまで分布を広げたと推察されます。

170万年〜140万年前に沖縄本島から隔離、125万年前には宮古諸島が水没し、OMSPは孤立

沖縄本島では170万年〜140万年前にサンゴ礁が形成され始めました。この時に、サンゴ礁とその沖合海域(陸棚)で堆積したのが琉球層群です。これによって、沖縄本島とOMSPは海で隔てられ(図3b)、沖縄本島とOMSPの生物のうち渡海能力のないものは遺伝的に隔離されたと考えられます。さらに、125万年前から宮古諸島でサンゴ礁の形成が始まり、同諸島は繰り返し水没しました。このようにして、OMSPは沖縄本島からも宮古島からも隔った陸域として存在し続けたと考えられます。

OMSPが水没した

沖縄本島では45万年前以降、宮古諸島は約40万年前以降に、島々は隆起に転じました(図3c)。これ以降現在に至るまで、サンゴ礁が島を広範に覆って発達することはなく、その形成場所は島の延辺部に限られるようになりました。OMSPに生息していた動植物は、このようにして陸域ができた宮古諸島に移住したと思われます。OMSPの表層は27万年前以降に形成された石灰岩(浅い海域ではなく、陸棚のような場で形成された石灰岩)が分布することから、移住のタイミングは約40万年〜27万年前頃であり、やがて断層の活動によりOMSPと宮古島は隔離されました(図3c、d)。そして、27万年前以降にはOMSPは完全に水没してしまったと思われます(図3e)。これらの変動は、沖縄トラフ開口によって琉球列島が海溝側に張り出すことによって生じたと考えられます。

今後の展開

本研究は、地質学と生物学(生物系統地理学)、あるいは同じ生物を対象にするものであっても分子遺伝学と古生物学といった、まったく異なるアプローチの研究の融合が、単独ではなし得ない大きな成果につながること、またそのフィードバックにより個々の分野における研究もさらに深化することを示しています。また、琉球列島の地質学的形成史と生物相の成立過程の一端が明らかとなり、同列島の有する自然史研究の対象としての価値がさらに高まったことで、今まで以上に世界の研究者に好フィールドとして認識されると思われます。近年では、とかく世界自然遺産に登録された奄美大島、徳之島、沖縄本島北部、西表島だけに注目が集まりがちですが、宮古島とその生物の極めて高い学術的価値が示されたことで、琉球列島のより広い範囲の島々とそれぞれに生息する生物たちがみな自然遺産に相当する存在であり、潜在的な観光資源(エコツアーやジオツアーの対象)でもあると認識され、したがってその保護・保全を含む持続的利用に向けた施策の重要性に関する社会的コンセンサスが形成されることが期待されます。

図1

図1. 宮古島固有種のミヤコヒバァ(上)およびミヤコカナヘビ(下)。両種に最も近縁な種はそれぞれ沖縄本島や北方の陸域(大陸東岸)に生息していますが、渡海能力はほとんどありません。このような種が、どのようにして宮古島に渡来したのかに関しては、長年議論されてきました。本研究では、最新の地質学および生物学(生物系統地理学)データを統合してOMSP仮説を提唱しました。(写真: 関 慎太郎)

図2

図2. 沖縄本島から沖縄-宮古海台(Okinawa–Miyako Submarine Plateau;OMSP)にかけての海底地形。慶良間ギャップ(Kerama Gap)および慶良間鞍部(Kerama Saddle)の位置が示されています。紫の丸は沖縄沖1-x号井の位置を示します。

図3

図3. 過去200万年間の古地理の変化。各時代の詳細は、本文に書かれています。

 

謝辞

本研究は、東北大学による、世界を先導する研究フロンティア開拓のためのプロジェクト「新領域創成のための挑戦研究デュオ~ Frontier Research in Duo(FRiD) ~」の採択課題「1万年間続く持続可能社会構築のための文化形成メカニズムの解明」の一環として行われました。

 

論文情報

タイトル:Geological history of the land area between Miyako Jima Island and Okinawa Jima Island of the Ryukyus, Japan, and its phylogeographical significances for the terrestrial organisms of these and adjacent islands
著者: Nana Watanabe, Kohsaku Arai, Makoto Otsubo, Mamoru Toda, Atsuhi Tominaga, Shun Chiyonobu, Tokiyuki Sato, Tadahiro Ikeda, Akio Takahashi, Hidetoshi Ota, Yasufumi Iryu*
*責任著者:東北大学大学院理学研究科教授 井龍康文
掲載誌:Progress in Earth and Planetary Science
DOI:10.1186/s40645-023-00567-x
URL:https://progearthplanetsci.springeropen.com/articles/10.1186/s40645-023-00567-x

 

用語説明

注1. 琉球層群
第四紀更新世に琉球列島の島々の周囲のサンゴ礁から沖合海域(陸棚)で堆積した石灰岩を主たる構成物とする地層群。かつては、琉球石灰岩と呼ばれた。[参照元へ戻る]
注2. 氷河性海水準変動
大規模な気候変動による氷床量の増加・減少に伴い、海水量が減少・増加し、海水面が低下・上昇する現象。[参照元へ戻る]
注3. 島尻層群
後期中新世〜前期更新世に中琉球〜南琉球の島々で堆積した主に泥岩からなる地層群。[参照元へ戻る]
注4. ドロマイト
炭酸塩鉱物(CaMg(CO3)2)。[参照元へ戻る]


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