発表・掲載日:2021/10/29

磁性材料におけるスピン変換の機構を解明

-スピン変換効率の大幅な向上により、不揮発性磁気メモリーへの応用に道筋-

ポイント

  • 磁性材料におけるスピン変換現象の詳細な機構を解明
  • 界面の磁性材料を制御することにより、スピン変換効率を約3倍に向上させることに成功
  • スピン軌道トルク型不揮発性磁気メモリー(SOT-MRAM)への応用に道筋

概要

国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 石村 和彦】(以下「産総研」という)新原理コンピューティング研究センター【研究センター長 湯浅 新治】 スピンデバイスチーム 日比野 有岐 研究員、谷口 知大 主任研究員、薬師寺 啓 研究チーム長らは、磁性材料において電流がスピンの流れ(スピン流)に変換される現象(以下、「スピン変換」という:概要図(左))の機構を解明し、スピン変換効率の大幅な向上を実現した。

産総研ではこれまで、磁性材料のスピン変換を利用することにより、不揮発性磁気メモリー MRAMの一種であるスピン軌道トルク型MRAM(SOT-MRAM)(概要図(左))における情報書き込み(微小磁石の反転)の高性能化を目指した研究開発を行ってきた。しかし、磁性材料におけるスピン変換の機構が未解明だったため、応用に不可欠な高いスピン変換効率を実現するための指針が確立されていなかった。今回、磁性材料におけるスピン変換を正確に検出できる素子構造を開発し、スピン変換効率を系統的に調べた。その結果、磁性材料の界面および内部(バルク)から生じる2つの異なるスピン変換機構が存在することを明らかにし、さらに概要図(右)のように界面の磁性材料を制御することによりスピン変換効率を大幅に向上できる方法を発見した。本成果は、超高速動作と省電力性を両立する次世代メモリーSOT-MRAMの実現に向けた道筋をつけ、将来的にモバイル端末やデータセンターの省電力化と高性能化につながると期待される。

本成果は、2021年10月29日(英国時間)にNature Communicationsにオンライン掲載される。

概要図

(左)磁性材料におけるスピン変換およびそれを利用したSOT-MRAMの概念図
(右)界面の磁性材料制御によるスピン変換効率の大幅な向上


開発の社会的背景

我が国が目指す未来社会の姿であるSociety5.0で必要とされる、膨大なデータ(ビッグデータ)解析の実現には、IT機器の飛躍的な省電力化が必須である。その解決策の一つとして、省電力性に優れたMRAMが大きな注目を集めている。MRAMは、磁気トンネル接合素子(MTJ素子)の磁化方向(磁石の向き:上向きまたは下向き)として情報を記憶するメモリーであり、待機電力を必要としない不揮発性、高速動作、耐久性などの特徴を有している。MTJ素子に直接電流を流して情報の書き込みと読み出しを行う電流書き込み型MRAM(STT-MRAM)は、システムLSIの混載メモリーとして既に商用化されている。

一方、次世代型MRAMの候補技術の一つとして、スピン軌道トルク型MRAM(SOT-MRAM)の基礎研究が精力的に行われている(図1)。SOT-MRAMでは、MTJ素子に隣接した配線層に電流を流し、電流からのスピン変換により生成されたスピン流を用いてMTJ素子の磁石の向きを反転させて情報を書き込む。情報読み出し時は、STT-MRAMと同じくMTJ素子に微小な電流を流す。このメモリー構造では書き込み時にMTJ素子に電流が流れないため、STT-MRAMの高速動作時に問題となるMTJ素子の通電破壊などの問題が原理的に無い。このためSOT-MRAMは、STT-MRAMに比べて高速動作と高い信頼性を両立しやすいという利点を持ち、超高速メモリーとしての応用が期待されている。これまでのSOT-MRAMの研究開発では、配線層として非磁性材料が用いられてきた。非磁性材料によるスピン変換では、図1(a)のようにスピンが薄膜の面内方向に偏極したスピン流が生成されるため、面内磁化MTJ素子の情報書き込みが可能である。しかし、このスピン変換をメモリーの高集積化が可能な垂直磁化MTJ素子に適用すると、誤書き込みなど多くの問題が生じる。このため、垂直磁化MTJ素子の書き込みに適した新規のスピン変換技術の実現が求められていた。

 

研究の経緯

産総研では、2014年よりSOT-MRAM応用を見据えたスピン変換の基礎研究を行い、配線層として非磁性材料ではなく磁性材料の異常ホール効果を用いることで、垂直磁化MTJ素子の書き込みに適したスピン変換を実現できることを理論的に提唱してきた。さらに、磁性材料を配線層に用いた素子を作製し、世界に先駆けて異常ホール効果によるスピン変換の実験的観測にも成功した(産総研プレス発表2018年2月13日)。一方で、磁性材料において異常ホール効果とは異なる対称性を有する新規のスピン変換がアメリカ国立標準技術研究所およびKAISTの研究グループより提唱され、図1(b)のような作製が容易な素子構造でも垂直磁化MTJ素子の書き込みを実現できると期待されている。しかし、この新規のスピン変換の詳細な機構(例えば、磁性材料の界面とバルクのどちらの効果が支配的か)は明らかになっておらず、省電力動作に必要な高いスピン変換効率を実現するための指針が確立されていなかった。そこで今回、磁性材料におけるスピン変換を高精度に検出できる素子を開発し、スピン変換効率の系統的調査を行うことにより、スピン変換の機構解明と高効率化に取り組んだ。

図1

図1 SOT-MRAMの基本構造
(a)配線層に非磁性材料を用いた従来型の構造。
(b)配線層に磁性材料を用いた新規の構造。磁性材料の磁石と書き込み電流の向きを平行にすると垂直方向に偏極したスピン流が生成され、垂直磁化MTJ素子の高信頼な情報書き込みが可能となる。
 

本研究開発は、独立行政法人日本学術振興会科学研究費補助金 特別研究員奨励費 (課題番号19J01643) および科学技術振興機構(JST)が推進する戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST) (課題番号JPMJCR18T3)の支援を受けて行った。

 

研究の内容

本研究では、図2(a)に示すような素子を作製した。下部に配線層としてコバルト(Co)とニッケル(Ni)から構成される多層膜の磁性材料(以下、「Co/Ni多層膜」)を、上部にはMRAMの情報記憶を担う鉄ボロン(Fe-B)合金層(以下、「検出層」)を用いた。また、二層の間には薄い銅(Cu)層を挿入することで、磁気的な結合を除去した。この素子に電流を流すと、Co/Ni多層膜でのスピン変換によって生成されたスピン流が検出層に注入される。実験では、スピン流の注入により検出層に生じるトルクを測定しスピン変換効率を定量的に評価した。その方法として、検出層の磁化の歳差運動である強磁性共鳴に着目し、磁化ダイナミクスを電気的に検出した。本素子では、巨大磁気抵抗効果が発現することから高精度な電気的検出が可能である。

本研究では、まずCo/Ni多層膜の磁石の向きに依存してどのような偏極方向を持ったスピン流がスピン変換で生じるかを調査した。その結果、Co/Ni多層膜において2種類の異なるスピンの向きを持ったスピン変換が生じることを明らかにした(図2(b))。一つは、非磁性材料の場合と同様のスピンの向きを有したスピン変換である。もう一つは、磁性材料の磁化方向に強く依存した新規のスピン変換であり、これが垂直磁化MTJ素子の書き込みに適したものであることが判明した。

図2

図2 (a)作製した素子の模式図と(b)磁性材料において観測された2種類のスピン変換
非磁性材料と同様に磁石方向に対して不変なスピン変換(上)に加え、磁性材料の磁化の向きに応じてスピンの向きが変化する新規のスピン変換(下)が観測された。特に後者のスピン変換は垂直磁化MTJ素子の情報書き込みに適している。

つづいて、磁化方向に依存する新規のスピン変換の起源を調査するため、配線層の膜厚を変えた実験を行った。その結果、膜厚の減少に対してスピン変換効率が増大する振る舞いを観測した(図3(a))。この結果は、磁性材料の界面および内部(バルク)を起源とする異なる2つの機構が互いに打ち消しあう方向に共存していることを示している。これにより、界面の寄与がスピン変換効率の向上に重要であることが明らかになった。次に、この界面の寄与に着目し、銅との界面における磁性材料の組成(CoとNiの割合)を最適化することによりスピン変換効率の向上に取り組んだ。その結果、界面の磁性材料をCoからNi69Co31合金にすることで、スピン変換効率を約3倍向上させることに成功した(図3b)。

本研究では、磁性材料におけるスピン変換の機構を明らかにし、それをもとに変換効率の大幅な向上を実証した。得られたスピン変換効率は、垂直磁化SOT-MRAMのための他の候補材料に対して1桁高い値であり、SOT-MRAMの配線層として磁性材料が有望であることを示した。これらの成果は、今後のSOT-MRAMにおける配線層の材料開発を大きく促進させるものである。

図3

図3 磁性材料における新規のスピン変換効率の(a)膜厚依存性および(b)界面状態依存性。

今後の予定

今後は、磁性材料を配線層に用いたSOT-MRAMの研究開発を進める。高速かつ高信頼性を有する書き込み動作の実証に向けた検討を進め、垂直磁化MTJ素子と組み合わせることで高密度なSOT-MRAMの実現を目指す。また、実用化するにあたり、新規のスピン変換効率を1000 Ω-1cm-1(現状の約2倍)以上にする必要があり、さらなる変換効率の向上を目指した新規の磁性材料の開発に取り組む。SOT-MRAMが実用化されれば、モバイル端末やデータセンターの省電力化と高性能化につながると期待される。

 

論文情報

雑誌名:Nature Communications
論文タイトル:Giant charge-to-spin conversion in ferromagnet via spin-orbit coupling.
著者:Yuki Hibino, Tomohiro Taniguchi, Kay Yakushiji, Akio Fukushima, Hitoshi Kubota, and Shinji Yuasa
DOI:10.1038/s41467-021-26445-y


用語の説明

◆スピン、スピン流、スピン変換、スピン変換効率
電子は電気を担う「電荷」の他に、微小な磁石としての特性であるスピン角運動量(いわゆる「スピン」)を持つ。電荷の流れは電流であり、スピンの流れはスピン流と呼ばれる。スピン変換は、図1のように配線層に電流を流すことで、電流に直交した方向にスピン流が生じる現象を指す。スピン変換の代表的な機構として、非磁性材料等において発現する「スピンホール効果」が挙げられ、材料内部のスピン軌道相互作用に起因する。スピン変換効率は、配線層に加える電界(または流す電流)に対してスピン流がどのくらい生成されるかの指標である。変換効率が高いほど、小さな電流で大きなスピン流を生成できるため、低電力での情報書き込みが可能となる。本研究では、スピン変換効率を素子に加えた単位電界あたりに生成されたスピン流の量として定義した。[参照元へ戻る]
◆磁性材料
磁石に付く性質(強磁性という)を持つ材料。代表的な磁性材料として、鉄(Fe)、コバルト(Co)、ニッケル(Ni)、およびそれらを主成分とする合金が挙げられる。[参照元へ戻る]
◆不揮発性磁気メモリー MRAM、電流書き込み型MRAM(STT-MRAM)
不揮発性磁気メモリー MRAMは、電源を切っても記憶情報が保持される「不揮発性メモリー」の一種。MTJ素子を記憶素子として用いたメモリーであり、不揮発性・高速動作・低消費電力・低電圧駆動といった優れた特性を備える。MTJ素子は2つの強磁性電極の磁石の相対的な向き(平行、反平行)により高抵抗状態と低抵抗状態をとり、それぞれを「1」と「0」に対応させて情報を記憶できる。微小な磁石の方向として情報を記憶するため、電源を切っても情報が保持される。片方の磁石の向きを反転させることにより「1」、「0」の情報を書き込み、MTJ素子の電気抵抗(高抵抗状態、低抵抗状態)を検出して情報を読み出す。MRAMには、情報書き込み方式の違いにより、磁界書き込み型MRAM(トグルMRAM)、電流書き込み型MRAM(STT-MRAM)、電圧書き込み型MRAM(電圧駆動MRAMまたはVC-MRAM)、スピン軌道トルク型MRAM(SOT-MRAM)などの種類がある。
現在主流のSTT-MRAMでは、情報書き込み時および読み出し時に同じ経路でMTJ素子に直接電流を流す。STT-MRAMは、既にシステムLSIの混載メモリーなどで商用化されている。[参照元へ戻る]
◆スピン軌道トルク型MRAM(SOT-MRAM)
スピン軌道トルク型MRAM(SOT-MRM)は、次世代型MRAMの候補の一つである。SOT-MRAMでは、情報書き込み時にMTJ素子に隣接した配線層に電流を流し、スピン変換により生成されたスピン流をMTJ素子に注入して磁石の向きを反転させる。情報読み出し時は、STT-MRAMと同じくMTJ素子に微小な電流を流す。書き込み時にMTJ素子に電流が流れないため、STT-MRAMの高速書き込み時に問題となるMTJ素子の通電破壊などの問題が原理的に無い。このためSOT-MRAMは、STT-MRAMに比べて高速動作と高い信頼性を両立しやすいという利点を持ち、超高速メモリーへの応用に適している。ただし、現状では書き込みに必要な電流が大きい等の問題のため、まだ研究開発段階にある。[参照元へ戻る]
◆界面、内部(バルク)
異種の物質が接合する際に形成される接合面は「界面」と呼ばれる。界面では、構造の反転対称性が破れることから、「ラシュバ効果」をはじめとした様々な物性現象の発現が知られている。一方、界面と接しない部分は物質の内部に相当し、化学および物理学では「バルク」と呼ばれる。スピンホール効果は物質内部におけるスピン軌道相互作用によってスピン流が生成されることからバルクの効果に相当する。[参照元へ戻る]
Nature Communications
英国Nature Portfolio社(旧Nature Publishing Group社)が刊行する、自然科学の全分野を扱う総合科学誌。総合誌でありながら各分野のトップジャーナルに並ぶ影響力を持つ(2020年度のインパクトファクターは14.919)。[参照元へ戻る]
◆磁気トンネル接合素子(MTJ)、面内磁化MTJ素子、垂直磁化MTJ素子
磁気トンネル接合素子は、厚さ約1–2 nmの絶縁体層(トンネル障壁層という)を2枚の強磁性電極層で挟んだ素子であり、英語のMagnetic Tunnel Junctionを略してMTJ素子とも呼ばれる。つまり、MTJ素子は【電極層/トンネル障壁層/電極層】の3層構造を基本とし、その上下に配線層が付属する。通常、絶縁体は電気を通さないが、MTJ素子の2つの電極間に電圧を加えるとトンネル障壁を通してトンネル電流と呼ばれる特殊な電流が流れる。2つの強磁性電極の磁化の向きが平行な場合と反平行な場合でMTJ素子の電気抵抗が変化する「トンネル磁気抵抗効果(TMR効果)」という物理現象を示す。2004年に産総研は、トンネル障壁に酸化マグネシウム(MgO)を用いた高性能MTJ素子を世界に先駆けて開発した。このMTJ素子は現在、STT-MRAMの記憶素子やハードディスク磁気ヘッド、磁気センサーなどとして広く実用化されている。
強磁性電極層の磁石が薄膜面に対して平行方向に向いたMTJ素子を「面内磁化MTJ素子」、磁石が薄膜面に対して垂直方向に向いたMTJ素子を「垂直磁化MTJ素子」という。垂直磁化MTJ素子は、素子サイズを微細化しても高い熱安定性を有することから、MRAMの高集積化に適している。[参照元へ戻る]
◆非磁性材料
磁性を持たず、磁石に付かない材料。銅、アルミニウム、金、白金など、多くの材料が非磁性材料である。[参照元へ戻る]
◆異常ホール効果
磁性材料に電流を流すと電流および磁石の向きと直交する方向に電荷の流れが発生する。これを異常ホール効果という。異常ホール効果は、通常のホール効果(半導体等に磁界を加えながら電流を流した時に、電流と磁界方向と直交する向きに電荷の流れが生じる現象)と区別するために「異常」という言葉が使用されている。この異常ホール効果を用いることで電荷の流れのみならずスピンの流れも生じることを産総研が世界に先駆けて理論的に提唱した。[参照元へ戻る]
◆磁気的な結合
磁石材料の上に別の磁石材料を直接接合すると、接合面において磁化が結合し、一緒に動くことがある。これは磁石内部の電子を介して2層の磁化が向きを揃えたり、逆向きにしようとしたりする相互作用に起因する。このような結合がある場合、検出層のみの強磁性共鳴を検出するのが困難になる。本実験は、銅を挟むことによって、このような結合をなくし、スピン変換の定量評価を可能とした。[参照元へ戻る]
◆強磁性共鳴
振り子に特定の振動数を持った力を加えることで、弱い力でも大きな振動が生じることがある。これが共鳴現象である。磁石の場合も同様に、弱い交流磁場を与えることで特定の条件下で磁化の歳差運動が大きく誘起され、これを強磁性共鳴と呼ぶ。本実験では素子に直流の電流に加え、弱い交流電流を入れることで交流磁場を発生させている。[参照元へ戻る]
◆巨大磁気抵抗効果
膜厚が数ナノメートルの磁石/非磁性金属/磁石から構成される構造において、2層の磁石における磁化の相対角度に依存して抵抗値が変化する磁気抵抗効果の一つ。単体の磁石における磁気抵抗効果として代表的な異方性磁気抵抗効果に比べ1桁以上の抵抗変化を示すことから本実験における高感度な測定を実現している。本実験では、強磁性共鳴によって交流変動する磁気抵抗と交流電流の整流効果で生じる直流電圧を電気的に検出している。[参照元へ戻る]
◆他の候補材料
垂直磁化MTJ素子において誤書き込み動作を抑制するためには垂直方向に偏極したスピン流を生成させるスピン変換が必要である。この特異なスピン変換を発現する必要条件として、積層構造による構造反転対称性に加え面内方向の対称性を付加的に破る必要がある。磁性材料の場合、磁化による時間反転対称性の破れがあるためこの条件を満たすことができる。他の候補材料としては面内方向の結晶対称性が破れている単結晶の低次元材料やノンコリニア反強磁性体が挙げられる。ノンコリニア反強磁性材料は、磁気モーメントが安定状態で非共線的(ノンコリニア)な配置を有していることを特徴とする反強磁性体であり、特徴的な磁化構造により鏡面対称性が破れていることで必要条件を満たしている。[参照元へ戻る]

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