発表・掲載日:2018/08/28

微細なメカニカル振動子を用いた核磁気共鳴の制御に成功

-核スピンを素子単位で個別に操作する新技術-

English(NTT site)

日本電信電話株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:澤田純、以下「NTT」)と国立研究開発法人 産業技術総合研究所(本部:東京都千代田区、理事長:中鉢良治、以下「産総研」)は共同で、微細なメカニカル振動子を用いて固体中の核磁気共鳴*1現象を制御することに世界で初めて成功しました。

昨今、超高速の演算を可能とする量子コンピュータや、絶対的な安全性が期待される量子情報通信、あるいは超高感度の検出技術を提供する量子センサなどの量子技術において、量子メモリ*2の重要性が注目されています。量子メモリとは長い時間、量子状態を保持できる素子であり、その候補のひとつとして固体中の核スピン*3の利用が提案されています。今回、微細なメカニカル振動子が引き起こすひずみにより、核磁気共鳴の周波数を素子単位で制御できることが実験的に示されました。この技術により、集積素子における所望の量子メモリの核スピンを個別に操作することが可能となり、固体素子による量子メモリを実現していく上で、重要な要素技術となることが期待されます。

本成果は、NTTにおいて素子作製・測定を行い、産総研において理論計算に基づいたデータ解析を行うことによって得られたものであり、イギリスの科学誌「ネイチャー・コミュニケーションズ」(8月28日付)に掲載される予定です。なお、本研究の一部は独立行政法人日本学術振興会(東京都千代田区、理事長:里見進)科学研究費補助金 新学術領域研究『ハイブリッド量子科学』 (領域代表 : 東北大学大学院理学研究科教授 平山祥郎)の一環として行われました。



1.背景

原子核の自転運動である核スピン(図1(a))は、磁場中に置かれると固有の歳差運動をします(図1(b))。この歳差運動は、長時間にわたって状態を維持できる性質を利用して量子情報を記録する量子メモリや、磁場に敏感である性質を利用した磁場センサなど、様々な素子への応用面で注目されています。一般に、核スピンを操作する方法としては、磁場中で歳差運動に共鳴する電磁波を照射する核磁気共鳴法が用いられます。しかし、一様に広がる磁場と空中を容易に伝搬してしまう電磁波を用いる従来の手法では、広い領域で同時に核磁気共鳴を引き起こしてしまうため、多数の素子を小さなチップに配置した集積回路において、所望の素子の核スピンを個別に操作することが困難であるという課題がありました。

2.成果の概要

今回、このような核スピンを個別に操作するために、核磁気共鳴の周波数が固体中のひずみに対して敏感に変化するという性質を利用しました。材料中の所望の位置に人為的にひずみを発生させることで、核磁気共鳴を素子ごとに制御することが実現可能になります。局所的なひずみを発生するために、ナノ加工技術を駆使して微細なメカニカル振動子*4を作製し、これを用いて、構造が振動するときに発生する周期的なひずみによる核磁気共鳴の制御を試みました。その結果、振動による共鳴周波数の変調や、振動ひずみと電磁波が組み合わさって引き起こされる新たな核磁気共鳴(サイドバンド*5共鳴)を世界で初めて観測することに成功しました。

3.実験の概要

作製した振動子(図2(a))は両もち梁*6と呼ばれる構造を有し、圧電半導体であるガリウムヒ素(GaAs)を微細加工することにより作製しました。圧電効果*7を用いてこの構造を電気的に振動させることにより、梁構造の根元の部分に周期的なひずみを発生させ(図2(b))、このひずみが発生している箇所の材料中に含まれる核スピンの振る舞いを変化させることができます。実験では、周期ひずみによる磁気共鳴周波数の変調(図3)に世界で初めて成功した他、梁構造の振動周波数だけずれたところに共鳴ピークが現れるサイドバンド共鳴(図4)と呼ばれる新しい核磁気共鳴現象の観測に成功しました。観測した実験結果は、いずれもひずみと核スピンの相互作用モデルに基づいた理論計算の結果とよく一致していることから、振動子によって発生させたひずみによる効果であることが実証されました。

4.技術のポイント

(1)結晶中でひずみが生じると核スピン周囲の原子の配置が変化するため、核スピンの状態が変化します。特に振動するひずみと核スピンが相互作用する現象は、核音響共鳴と呼ばれ、50年以上前から知られていました。しかしながら、核音響共鳴を利用した核スピンの制御には、極めて大きな振動ひずみ(音波)が必要であり、その発生はこれまで容易ではありませんでした。本研究では、通常の音波より格段に大きなひずみを発生させるために、鋭い共振と高い制御性を有するメカニカル振動子を利用するという新しい手法がブレイクスルーとなり、共鳴周波数の変化やサイドバンドの観測を世界で初めて実現することに成功しました。

(2) サイドバンド共鳴は、核スピンと振動ひずみが合わさった効果によって説明される新しい核磁気共鳴現象です。サイドバンド共鳴を利用することで、素子単位で個別に核スピンを操作したり、逆に核スピンの向きを読み出したりすることが可能になり、核スピンに情報を読み書きする量子メモリや量子センサを多重化・集積化するプラットフォームとして活用できます。

5.今後の展開

メカニカル振動子は、トランジスタなどと同様に半導体ナノ加工技術によって作製されるため、半導体チップへの組み込みが可能です。本技術を用いて複数の素子における核スピンの選択的制御を実現し、量子メモリや量子センサなどの集積化に向けたプラットフォームとしての活用を目指します。


図1 核スピンの概念図
図1
図1 (a) 原子の模式図。原子の中心には原子核があり、原子核は原子の種類によって決められた速さの自転をしています。この自転を核スピンと呼びます。 (b) 核スピンの歳差運動。原子核に磁場を加えると、核スピンの回転軸はコマのような歳差運動を行います。この歳差運動の周期は磁場と原子の種類で決まっており、その周期を核磁気共鳴の手法によって調べることにより、原子の同定が可能です。

図2 作製したメカニカル振動子の構造
図2
図2: (a) ひずみの発生に用いたメカニカル振動子構造の電子顕微鏡写真(色は疑似色)。表面に形成された電極(図左上黄色の部分)に交流電圧を加えることにより、メカニカルな振動を引き起こします。 (b)ひずみの発生の模式図。中空に支持された長さ50 µmの板バネ構造(両もち梁)が上下に振動し、根元の部分にひずみを発生させます。(c)ひずみが発生する部分の拡大図。電磁波照射アンテナに交流電流を流すことで電磁波を照射し、核磁気共鳴を引き起こします。その際の核スピンの状態変化を抵抗値の変化として検出します。

図3 振動ひずみによる核磁気共鳴周波数の制御
図3
図3: 振動ひずみによる核磁気共鳴周波数の制御。検出したヒ素(75As)の核スピンの共鳴周波数が、振動の印可によって変化する様子。右図中の記号(丸、四角、三角)はピークの中心位置を示したもの。赤丸で示された共鳴ピークの位置が、メカニカル振動が大きくなるとともに変化していく様子が観測されます。

図4 サイドバンド共鳴
図4
図4: サイドバンド共鳴。メカニカル振動子が与える振動ひずみと電磁波が合わさった効果により、本来の核磁気共鳴周波数(fNMR)だけでなく、メカニカル振動との和周波( fNMR + fM )ならびに差周波( fNMR - fM )の位置にも核磁気共鳴が見られました。これらはサイドバンド共鳴と呼ばれ、素子単位で核磁気共鳴の制御が可能であることを示しています。(図3とは異なり、この実験では69Gaの核スピンの共鳴を測定しています。)


用語解説

*1 核磁気共鳴
ある方向を軸に回転している核スピンに、それと異なる方向の磁場をかけると、磁場の方向を軸とした歳差運動が起きます。これは重力場中で傾いた軸のまわりで回転しているコマに似た運動です。この歳差運動の周期は原子核の種類によって決まっているため、この周期を測定することにより元素の分析が可能となります。この周期と一致する周波数の電磁波(ラジオ波)を照射することにより、歳差運動の周波数を測定する手法を核磁気共鳴法(NMR : Nuclear Magnetic Resonance)と呼びます。NMRは物質中の元素の分析を可能とする手法で、様々な用途に用いられています。また、水素のNMRを用いて体内の断層画像を非破壊に測定する核磁気共鳴画像法(MRI : Magnetic Resonance Imaging)も、広く医療現場で用いられています。[参照元へ戻る]
*2 量子メモリ
格段に速い計算速度が期待される量子計算機、ならびに絶対的な秘匿性が予想される量子鍵配送通信において、量子情報を一定時間保持することのできる量子メモリが重要な要素技術として注目されています。量子メモリとして最も重要な要件は、量子状態を長い時間維持できることですが、その物理系の候補として核スピンが期待されています。核スピンは、同じく電子の自転運動である電子スピンに比べて1000分の1程度の大きさの磁気しか持っていないため、外部の影響が小さく、長く量子状態を保持できる可能性を有しています。[参照元へ戻る]
*3 核スピン
すべての物質は原子を基本単位として作られていますが、原子は周囲を回転する電子と、中心に位置する原子核から構成されています。原子核の大きさは原子の直径(すなわち電子の回転軌道の大きさ)の約1000分の1程度と極めて小さいものですが、地球や月などと同様に自転をしています。この自転のことを核スピンと呼びます。核スピンの大きさは原子の種類によって決まっており、ある決まった速さで回転していますが、その向きは固定されておらず、磁場などの外場や電子との相互作用などにより、時間とともに変化します。[参照元へ戻る]
*4 メカニカル振動子(機械振動子)
弾性変形を周期的に繰り返すことにより機械的な振動が継続する人工構造体。鐘や鉄琴など楽器の振動板もメカニカル振動子の一種です。最近では微細加工技術の発展にともない、髪の毛よりも小さなメカニカル振動子を半導体チップに集積することも可能になっており、MEMS(Micro-Electro-Mechanical Systems)振動子として実用化が進められています。メカニカル振動子の最も代表的な形状のひとつは本研究でも用いられている両持ち梁と呼ばれるもので、橋や鉄琴の振動板に類似した形状をしています。 [参照元へ戻る]
*5 サイドバンド
二つの異なる周波数の波の作用が混ざることにより、それらの和周波数や差周波数の波として作用する効果を意味します。身近な例としてはラジオの増幅回路などに使われており、空間を伝搬してきた電波と、ラジオの内部で作り出した少し低い周波数の信号を混ぜ合わせることにより、増幅しやすい低い周波数の信号に変換します。このように、サイドバンドを用いると、信号を異なる周波数に変換することが可能になりますが、最近の量子情報技術では、サイドバンドを使って様々な量子情報を変換する手法が重要視されています。本研究では、外部から加えた電磁波とメカニカルな振動によって引き起こされた振動ひずみの二つの波が組みあわされることにより、それらの和あるいは差の周波数における新しい核磁気共鳴信号が観測されました。[参照元へ戻る]
*6 両もち梁
微細加工技術により作製されるメカニカル振動子の代表的な構造のひとつ。両側が固定された板バネ構造(図2(b))からなり、鉄琴の振動板のように弾性的な上下運動が振動を引き起こします。振動により、固定された部分の近辺に大きなひずみが加わりますが、このひずみにより核磁気共鳴を制御することに成功しました。[参照元へ戻る]
*7 圧電効果
物体に電圧を加えると、膨張したり収縮したりする現象のことを圧電効果と呼びます。この膨張・収縮により物体に作用する力を電気的に引き起こすことが可能です。また、逆の効果を用いることにより、振動を電気的に検出することも可能です。[参照元へ戻る]



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