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発表・掲載日:2008/12/08

溶液中の細胞を観察できる走査電子顕微鏡を開発

-電子顕微鏡で、光学顕微鏡と同一視野内の細胞を高分解能で観察可能-

ポイント

  • 細胞を乾燥させることなく大気圧で直接観察できる倒立型走査電子顕微鏡
  • 開放型試料室により、細胞への薬の影響も試験可能に
  • 大学や研究機関をはじめ、創薬や医療現場での利用に期待

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)脳神経情報研究部門【研究部門長 田口 隆久】構造生理研究グループ 研究グループ長 佐藤 主税、主任研究員 小椋 俊彦と、日本電子株式会社【代表取締役社長 栗原 権右衛門】(以下「JEOL」という)クレアプロジェクトリーダー 須賀 三雄、副主任研究員 西山 英利は共同で、山形県工業技術センター【所長 武蔵 毅】電子情報技術部 渡部 善幸 博士の協力のもと、大気圧のまま湿った試料や溶液中の試料を観察できる大気圧走査電子顕微鏡Atmospheric Scanning Electron Microscope:ASEM)を開発した(図1)。

 これまでの電子顕微鏡は真空中で試料を観察するため、湿った試料や溶液中の試料を観察することはできなかった。今回、試料を載せる特殊な皿「薄膜ディッシュ」を開発することにより、湿った試料や溶液中の試料を観察することが可能となった。薄膜ディッシュの底部には電子線を透過する耐圧薄膜を備えた窓が開いており、電子線は下方から入射する。薄膜ディッシュの上方は開放されており、光学顕微鏡を配置して同一視野の光学顕微鏡観察と、走査電子顕微鏡(SEM)による10nm(nm:ナノメートルは10-9 m)レベルの高分解能観察が交互にできる。大気圧のまま湿った試料や溶液中の試料を観察できるため、従来必要であった1~数日以上におよぶ試料の脱水・乾燥等の前処理は不要となり、飛躍的に観察効率を向上できる。また、乾燥による試料の変形も回避できる。

 開放型試料室で電子顕微鏡観察ができるというこの技術は日本独自の技術であり、基礎生物学だけでなく、将来は創薬や湿潤試料を扱う医療現場等にも活用でき、大きな発展が期待される。

 本成果は、2008年12月9~12日に神戸で開催される「第31回日本分子生物学会年会・第81回日本生化学会大会 合同大会」で発表される。

大気圧観察を実現するSEMの試作機と、液中細胞の光学顕微鏡像とSEM像の写真
図1.大気圧観察を実現するSEMの試作機と、液中細胞の光学顕微鏡像とSEM像

開発の社会的背景

<光学顕微鏡に頼った医療技術>

 医学は日々進歩しており、経験に頼ったものから、細胞の分子レベルでの研究に移行している。細胞の観察には主に光学顕微鏡が利用されている。光学顕微鏡は蛍光観察法等と組み合わせることで、生体分子の動きをも観察することのできる強力なツールとなった。しかし、その分解能は光の波長が長いため0.2µm程度が限界であり、研究の発展のためにはさらなる微細構造を観察することが求められている。

<従来の電子顕微鏡>

 電子顕微鏡は高い分解能を有するが、真空中で試料を観察する装置である。そのため、脱水・乾燥を含む1日~数日におよぶ試料の前処理が必要であった。走査電子顕微鏡(SEM)の場合は金属蒸着、透過電子顕微鏡(TEM)の場合はプラスチック包埋などによって観察試料を作製するため、試料は乾燥しており、観察中に薬物を与えてその反応を見ることができなかった。さらに、特定の色素で小器官を染め分けることもできず、小器官の特定が困難であった。乾燥させずに濡れた生物試料をそのまま見るという目的から、低真空SEMが開発された。しかしながら、1/100気圧以下という低真空状態に試料を置いて観察するため、観察中に水分が蒸発してしまう。したがって、試料が完全に干からびる前に観察しなければならないという課題がある。

 近年、溶液中の細胞と真空とを薄膜で分離することによって、脱水・乾燥工程を必要としない閉鎖カプセルが開発された。このカプセルではポリイミドや窒化シリコン(SiN)薄膜など、電子線を透過する窓が設置されている。しかしこのカプセルは容積が数10µlと小さく、かつ、閉鎖系であることから、長期培養や外部からの試薬投与は不可能であった。

 このようなことから、細胞を乾燥させずに光学顕微鏡の分解能を突破する観察方法の確立が望まれていた。

研究の経緯

 脳神経情報研究部門では、電子線により損傷しやすいタンパク質の構造を電子顕微鏡でいかに解明するかという研究を行っている。JEOLは試料の前処理なしに大気圧で観察ができる電子顕微鏡の開発を模索していた。平成19年度から産総研の得意とするバイオ技術とJEOLの電子顕微鏡技術を融合させて、液体や気体を用いる発症機構解明や創薬研究に用いることができる、あらたな電子顕微鏡の開発に共同で取り組んできた。

研究の内容

試作した大気圧走査電子顕微鏡の写真
図2.試作した大気圧走査電子顕微鏡

<電子顕微鏡を逆立ち>

 通常の電子顕微鏡は電子銃が試料の上方にあるため、電子線は試料の上方から照射される。開発した電子顕微鏡(図2)は下端に電子銃を有し、電子線は試料の下方から照射される倒立型のSEMである。

 その構造は図3に示すように、下端に電子銃を有し、電子線が出てくる上端には1-2 mlの液体を保持できる試料ディッシュをセットする。ディッシュの底面には、半導体微細加工技術を用いて作製(山形県工業技術センターの協力)した窒化シリコン(SiN)の薄膜窓を備えている(以下「薄膜ディッシュ」という)。このSiN薄膜は厚さがわずか10 nmでも1気圧の圧力差に耐えることをわれわれは世界で初めて確認した。本試作機では薄膜破壊のリスクを低減し、一般への普及を図るため当面は100 nm厚の薄膜を使用する。それでも十分に薄いため、高分解能を損なわず電子線を透過させることができる。

大気圧走査電子顕微鏡の構造図
図3.大気圧走査電子顕微鏡の構造図。倒立型SEMと対向して光学顕微鏡を配置し、間に薄膜ディッシュを備える。薄膜ディッシュは細胞の培養が可能で、SiN薄膜窓を底面に持つ。当薄膜は、電子線を透過するほど薄いが大気圧を保持できる。薄膜を介して細胞に電子線を照射させ、液中の細胞からの反射電子を検出することによりSEM像を高分解能で取得できる。また、蛍光を用いた部位の特定を光学顕微鏡で行うことができる。

 本薄膜ディッシュに培養液を入れることで、薄膜ディッシュ単体で細胞の培養を長時間行うことも可能となり、培養後の薄膜ディッシュをSEMにセットすれば、培養された細胞に薄膜の下方から電子線が照射され、細胞から反射される電子を薄膜の下方の検出器で検出しSEM観察できる。

 このように通常の電子顕微鏡観察に必要な前処理は不要である。試料を乾燥させないため試料に変形がなく、かつ迅速な観察ができる。また、本試作機には薄膜の上方に液浸レンズを備えた光学顕微鏡も配置され、同一細胞の同一視野をSEMと交互に観察できる。さらに薄膜ディッシュ上部は開放されているため、薬等の投与も容易にでき、投与後のSEMでの観察も即座に実行可能である。

<いくつかの観察結果>

 溶液中の細胞について確認したSEM像撮像・光学顕微鏡像の例を以下に示す。

(1)高速化・高分解能化を実現し、細胞内小胞体の構造観察に成功

 細胞内小胞体は神経での情報伝達や臓器の形成などの発生で重要な役割を果たす。ここでは、薄膜ディッシュ上でアフリカミドリ猿の腎臓の細胞を培養し、細胞内小胞体の観察を行った。細胞を培養後、細胞が変形しないようにグルタールアルデヒドで固定し、その後、蛍光色素染色およびSEM染色(染色によって重金属を試料表面や内部に付着)する。所要時間は1分程度である。光学顕微鏡で小胞体の位置を確認し(緑色に染色)、同一視野をSEMで撮像した。図4の、白黒写真がSEM、緑が光学顕微鏡での交互観察結果である。これまで1日~数日を要した脱水・乾燥等の工程が不要となり、高速化を実現した。また、光学顕微鏡では2,000倍程度が明瞭に撮像できる限界だが、SEMでは20,000倍での明瞭な撮像に成功した。これにより小胞体の構造を詳細に確認することができた。別の試料では、分解能8nm[付録参照]を実現している。このように、これまで光学顕微鏡では観察困難であった細胞の微細構造を溶液中で、短時間にSEM観察できることが確認された。

細胞内小胞体の観察写真
図4.細胞内小胞体の観察。蛍光染色させた小胞体を光学顕微鏡で位置確認し、SEMで高分解能な撮像を行った。

(2)細胞が外来の異物を飲み込む瞬間を観察

 体内に入ってきた病原微生物や異物を分解し、排除することは免疫システムの重要な働きである。その最初のステップ、細胞が異物を食作用により細胞内に取り込む様子を観察した。ここでは細胞全体を赤く染色し、細胞周囲に黄色く光る微粒子(商品名Qdot®直径10-20nm)を異物として散布した。本装置の試料室は開放されているため、容易に薬の散布が可能である。

 まず、細胞が食作用により微粒子を細胞内に取り込む瞬間を光学顕微鏡で観察した。その後、細胞をグルタールアルデヒドで固定し、SEM用の染色を行いSEM観察を行った。

 その結果を図5に示す。蛍光像では、矢印で示した6点に食作用される微粒子の位置を確認できた。SEM像では、蛍光像でハレーションの発生により1個に見えていた部分が、実は2個(図5左端、太い矢印)であること等、その周囲の細かな構造等を確認できた。このようにして、細胞のダイナミクスを光学顕微鏡で観察し、同一視野の決定的瞬間をSEMで高分解能撮像することが可能になった。

細胞の食作用の観察写真
図5.細胞の食作用の観察。光顕像では6個に見えていた微粒子の位置の一つが、SEM像では2個(左端、太い矢印)であること、その周囲の細かな構造等を確認できた。

<現在の到達点>

 このように、本試作機によって試料を完全な大気中に保持することが可能になり、外部からの試薬の投与も容易になった。従来必須だった脱水・乾燥等の前処理が不要で、試料の変形がなく、高分解能でかつ迅速なSEM像観察が可能になった。また、同一視野を光学顕微鏡像で交互観察も可能で、蛍光染色を利用した部位の特定が可能になった。

今後の予定

 本装置は、基礎生物学以外でも真空中での観察が困難であった湿潤試料(食品、化粧品、ポリマー等)や気体中の微粒子にも応用が可能である。また、特定のタンパク質を蛍光発光させ、さらにSEMで高分解能像を取得するという免疫電子顕微鏡への応用も考えられる。これにより、光学顕微鏡では明確にできなかった構造の観察も可能になるので、創薬や医療現場での利用も期待できる。

付録:その他の観察結果

(1) 驚異的な分解能8nmを達成

 細胞膜表面の糖鎖は生物の分化発生など、さまざまの生理現象に関係する重要な成分である。細胞を薄膜ディッシュ(ただし、SiN膜厚は30 nmを使用)上で培養し、糖鎖に特異的に吸着する金粒子(直径15 nm)を細胞周囲に散布した。SEM像図6a のように、糖鎖の分布に一致した白い斑点、すなわち金粒子を観察でき、細胞表面一面に糖鎖が存在することを確認できた。倍率を上げた時のSEM像である図6bでは、糖鎖の位置を明確に特定することができた。隣り合う金粒子の認識可能な最小間隔は、8 nm(図6c)であり、高分解能であることを確認できた。

糖鎖に金粒子を吸着させた細胞の液中SEM像
図6.糖鎖に金粒子(15 nm)を吸着させた細胞の液中SEM像。糖鎖の位置の確認が可能で、8 nmの分解能があることを確認できた。

(2) 神経の微細な結合を見る(脳の解明に向けて)

 神経細胞(PC12:ラット副腎褐色細胞腫由来細胞)の細胞間連絡を観察した(図7)。神経細胞が互いに神経突起を伸ばし、結合する様子をとらえることができた。記憶のメカニズムの解明に適応する予定である。

神経細胞間連絡の写真
図7.神経細胞間連絡。神経突起同士の結合を確認できた。

用語の説明

◆走査電子顕微鏡
真空中に保持した試料に、集束させた電子線を走査しながら照射する。その際、放出される二次電子や後方散乱電子を走査信号と同期させながら検出することにより試料の像を取得できる。[参照元へ戻る]
◆窒化シリコン薄膜(SiN薄膜)
半導体プロセスの化学気層成長装置を用いてシリコン(Si)基板上に成膜できる。半導体製造工程での絶縁膜に使用される。膜厚を均一にすることが可能で、大量生産に向く。[参照元へ戻る]
◆小胞体
細胞質に偏在する、リン脂質膜に囲まれた袋状の嚢。タンパク質の生産の場であると同時に、内部にCaを蓄えた器官であり、Ca放出によって細胞内での情報伝達を行う。[参照元へ戻る]
◆固定
細胞が変形しないように、試薬を用いて構造を保持すること。試薬には、主にグルタールアルデヒドやホルムアルデヒドが用いられる。[参照元へ戻る]
◆食作用
細胞が外部から固形の物質を取り込み、さらには分解などを行う。取り込んだ物質を認識するのにも使われ、白血球が菌・ウイルスなどを認識する免疫系は、このような作用からはじまる。[参照元へ戻る]
◆Qdot®
直径ナノメートルオーダーの半導体微粒子で、紫外光照射により発光する蛍光染色剤の一種。
http://www.invitrogen.co.jp/qdot/index.shtml [参照元へ戻る]
◆ハレーション
強く光る部分の周囲の輪郭がぼやけること。[参照元へ戻る]
◆糖鎖
各種の糖がつながりあった化合物で、生体を構成する主要成分の一つ。特に膜タンパクに結合しているものは、タンパク質の機能に関係するものも多く、さらにはタンパク質の寿命をも決定付けることが知られている。[参照元へ戻る]
◆神経突起
神経細胞表面に存在し、神経間の連絡に用いられる。突起間でシナプスと呼ばれる連絡構造をつくり、脳や末梢(まっしょう)神経系での情報処理を行う。[参照元へ戻る]


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