発表・掲載日:2007/06/13

脳の発達には脳内コレステロール合成が欠かせないことを発見

-脳の発達に重要な新しいメカニズムの発見-

ポイント

  • 脳機能の発達には、神経細胞内におけるコレステロール合成の促進が重要であることを発見した。
  • コレステロール合成を促進するのは、脳の成長因子(BDNF)である。
  • コレステロール代謝と脳の成長因子の関係は、脳疾患の治療薬開発に新たな指針を与える可能性がある。

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)セルエンジニアリング研究部門【部門長 三宅 淳】小島 正己 主任研究員は、独立行政法人 科学技術振興機構(以下「JST」という)鈴木 辰吾 研究員と産総研 脳神経情報研究部門【部門長 岡本 治正】脳遺伝子研究グループ 清末 和之 主任研究員らとともに、神経細胞内において脳の成長因子によってコレステロール合成が促進される新しいメカニズムを発見した。

 今回の発見は、脳シナプスにおける神経伝達(図1)が発達していくためには、神経細胞内のコレステロール合成が促進されることが重要であり、その促進因子として脳の成長因子(BDNF)が働いていることを見いだしたものである。

 さまざまな脳疾患に共通する機能障害として神経伝達の変調や発達障害があり、コレステロール合成と神経伝達の関係の発見はこれら疾患の治療薬開発に新たな指針を与える可能性がある。

 本研究の成果は、平成19年6月13日(アメリカ東部時間)に、米国の国際雑誌 The Journal of Neuroscience電子版に掲載される。

「シナプス終末」から放出された神経伝達物質が「シナプス後細胞」に存在する受容体を活性化する概要図
図1 神経細胞の電気的な活動によって「シナプス終末」から放出された神経伝達物質が「シナプス後細胞」に存在する受容体を活性化する。今回、脳の成長因子(BDNF)によるコレステロール合成の促進が、神経伝達物質の放出メカニズムの成熟に重要であることを見出した。


研究の背景

 脳の機能がどのようにして発達していくのかを解明する研究は、私たちの脳が健やかであることの理解や脳疾患の治療に貢献する重要な課題である。うつ病、統合失調症、アルツハイマー病、ハンチントン氏病などの脳疾患において共通する機能障害として、神経伝達の変調や発達障害が指摘されている。

研究の経緯

 コレステロールは脳内脂質の20~30%を占めており、コレステロールと神経機能の関係、さらには脳内コレステロールの代謝と脳疾患の関連を示す報告が近年増えている。

 脳の神経細胞膜は脂質2重層でできており軟らかく流動的である。この流動的な脂質2重層を大洋に見立てると、あたかも大洋に浮かぶ、いかだのような固い微小領域があって、脂質ラフト(用語の説明:コレステロールの項を参照)と呼ばれている。脂質ラフトは特にコレステロールに富む部分である(図2)。産総研では、脳の神経細胞におけるコレステロール合成や脂質ラフトの機能的役割を研究してきた。

 本研究は、JSTの戦略的創造研究推進事業・発展研究(SORST)および文部科学省の科学研究費補助金(特定領域研究「統合脳」)の支援を得て行ったものである。

コレステロールの分子構造とコレステロール結合色素による神経細胞の蛍光染色写真
図2 コレステロールの分子構造(左)とコレステロール結合色素による神経細胞の蛍光染色写真(右:青く光っている部分にコレステロールが多く含まれている。)

研究の内容

 この研究では、脳由来神経栄養因子BDNFBrain-derived neurotrophic factor)と呼ばれる脳の成長因子が、神経細胞におけるコレステロール合成を促進すること、このようなコレステロール合成の促進が、私たちの記憶や学習に重要なシナプス機能の発達に密接に関係することを発見した。

 実験においては、ラット大脳皮質の培養神経細胞および海馬神経細胞を用いていた。最初に見出したことは、BDNFという脳の成長因子を添加することによってこれらの培養神経細胞のコレステロール含量が増えるということである。この増加はBDNFの働きを特異的に止める阻害剤によって完全に抑制された。

 さらに、BDNFはコレステロールを合成する酵素(ヒドロキシメチルグルタリル-CoA レダクターゼ)やジホスホメバロン酸デカルボキシラーゼといったコレステロール合成経路の複数の遺伝子発現を上昇させていたことが分かった。

 このようなコレステロールの増加やその合成酵素の遺伝子発現上昇の生理的意義は何であるのか、生化学・細胞生物学・電気生理学の手法を用いてさらに解析を進めた結果、次の2つの重要な知見が見出された。

 第1に、BDNFによってコレステロール量が増加した神経細胞では、シナプス伝達機能が顕著に上昇していた。つまり、電気生理学の詳細な検討から、シナプス終末において神経伝達物質を放出しうるシナプス小胞数(図1)が顕著に増加していることが判明した。

 第2に、コレステロール量が増加した神経細胞では、神経伝達を担うタンパク質群が顕著に増加していた。つまり、BDNFによるコレステロールの増加は、神経伝達の分子基盤の増強において重要な役割を果たしていることを意味する。

 そして、コレステロール合成をつかさどる酵素(ヒドロキシメチルグルタリル-CoA レダクターゼ)の阻害剤「メバスタチン」を添加したとき、神経細胞内のコレステロールの合成量は低下し、シナプス伝達機構の成熟も著しく抑制された。

 以上の結果は、(1)神経伝達という脳の生理機能が発達するためには、神経細胞内のコレステロールの増加が重要なステップになること、(2)神経細胞のコレステロール代謝の調節因子としてBDNFを初めとした脳の成長因子類が作用していることを示唆する(図3)。


神経細胞発達のメカニズムの図
図3 経細胞発達のメカニズム:脳由来神経栄養因子BDNFは、神経細胞内におけるコレステロールの合成を促進する。このステップが神経細胞のシナプス伝達機構の発達に重要であることを見出した。

 以上、神経細胞におけるコレステロール代謝のメカニズムとその生理的役割を明らかにした。この研究成果は、アルツハイマー病やハンチントン氏病といった病態脳に見られるコレステロール合成反応の異常や変調に対する改善薬の開発につながる重要な知見を提示している。

今後の予定

 本研究をきっかけに、脳機能の発達とコレステロール代謝の関係をより詳細に研究し、その研究成果を脳の健康維持や疾患治療に役立つ創薬に役立つ技術開発に結び付けたいと考えている。


用語の説明

◆コレステロール
コレステロール (cholesterol)はステロイドに分類される有機化合物の一種であり、分子式は C27H46O である。図2には分子構造を示した。コレステロールは、生体膜の安定化や流動性、タンパク質の分泌や輸送の過程といった細胞機能に必須な脂質分子である。
近年では、脂質ラフトと呼ばれるコレステロール含有率の高い生体膜の微細構造が情報伝達や神経伝達に関与することが報告されている。[参照元へ戻る]
◆脳由来神経栄養因子BDNF
BDNFは神経細胞の成長・生存維持・シナプス機能の亢進などを行う脳の成長因子であり、神経細胞の遺伝子発現や翻訳調節も行う。近年では、BDNF遺伝子の一塩基多型がヒトのエピソード記憶に影響することも見出されている。[参照元へ戻る]
◆シナプス
神経細胞間の情報伝達を行う構造。神経伝達物質(主要なものはグルタミン酸、GABA)の入った小さな小胞を多く備えたシナプス終末とその受容体が並んだシナプス後細胞からなる(図1)。今回の報告では、コレステロール合成がシナプス小胞の放出を亢進することが明らかになった。[参照元へ戻る]


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