発表・掲載日:2015/08/04

マウスES細胞から胃の組織細胞の分化に成功

-幹細胞から胃を丸ごと作製-

ポイント

  • マウスES細胞を分化させることで胃の組織細胞を作製する技術を開発
  • ヒスタミン刺激に応答して胃酸を分泌し、消化酵素などを分泌する胃の組織細胞を作製
  • 創薬、安全性試験、病態モデル研究への応用に期待


概要

 国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)創薬基盤研究部門【研究部門長 織田 雅直】幹細胞工学研究グループ 栗崎 晃 上級主任研究員、二宮 直登 研究員、浅島 誠 産総研名誉フェローは、国立大学法人 筑波大学【学長 永田 恭介】大学院生 野口 隆明、関根 麻莉、王 碧昭 教授と学校法人 埼玉医科大学【理事長 丸木 清之】駒崎 伸二 准教授と、さまざまな細胞に分化する多能性幹細胞であるマウスES細胞から、試験管内で胃の組織を丸ごと分化させる培養技術を開発した。この胃組織は消化酵素を分泌し、ヒスタミン刺激に応答して胃酸を分泌した。さらに、メネトリエ病(胃巨大皺壁症)とよく似た状態を作り出す遺伝子TGFαを分化させた胃の組織で働かせると、胃粘膜が異常に増殖した前がん状態を引き起こすことが確認された。

 今回の技術はES細胞を、食道、胃、腸、すい臓、肝臓など、さまざまな消化管組織のもととなる胎児の組織細胞(内胚葉)を胚様体形成法によって分化させた後、分化条件を最適化して胃全体に分化する能力を持つ胃原基構造へと培養する。さらに3次元(3D)培養を利用することで立体的な胃組織への培養方法を開発した。試験管内で作製したこの胃組織により、胃の治療薬研究や病態研究への貢献が期待される。

 なお、この技術の詳細は、2015年7月20日Nature Cell Biologyオンライン版に掲載された。

マウスES細胞から胃組織細胞を分化させる培養方法(上)と作製した胃組織(下)の図
マウスES細胞から胃組織細胞を分化させる培養方法(上)と作製した胃組織(下)
赤:胃組織の上皮細胞、緑:間質細胞


開発の社会的背景

 最近、ES細胞やiPS細胞などの多能性幹細胞を利用して、失われた組織を再生させる再生医療が注目を集めている。また、ES細胞やiPS細胞は、患者数が限られた希少疾患の研究や薬の開発、薬の安全性試験技術の開発という分野での応用も期待されている。しかし、これまでこのような多能性幹細胞を利用してすい臓、肝臓、腸などの組織へと分化させる方法の開発が進められているが、胃の組織へと分化させる技術は、分化過程の組織を適切に区別する方法が整備されていなかったことからほとんど開発がおこなわれていなかった。

研究の経緯

 産総研は、2010年に幹細胞工学研究センターを設立し、幹細胞の評価方法や分化技術の研究開発を進めてきた。その中でも未開拓の組織細胞へと分化させる方法を開発すべく、アフリカツメガエルなどのモデル生物を用いた研究で知見を得つつ、ES細胞やiPS細胞の分化・培養方法の開発を進めてきた。

 なお、この研究開発は、独立行政法人 日本学術振興会 科研費 基盤研究Aと特別研究員DC2による支援を受けて行ったものである。

研究の内容

 今回、幹細胞から胃の組織細胞を試験管内で分化させる培養方法を考案し、特に、消化管組織の中で、胃の組織への分化を決定づける分化方法を開発した。胃は食道との境目の噴門部を経て、上部の胃底部、胃体部と下部の幽門前庭部から構成され、十二指腸に接続する幽門へと続いている。胃の内側は上皮で覆われ、外側は筋肉などの組織から構成される。2014年末、胃の十二指腸に近い幽門前庭部の作製方法が報告されているが、今回の技術によって、より上部の胃体部を含む胃全体を作製した。

マウスES細胞から胃組織を分化させる培養方法の概要図
図1 マウスES細胞から胃組織を分化させる培養方法の概要

 図1に、今回の技術の概要を示す。マウスES細胞から胚葉体という細胞塊を試験管内で形成させ、その後ShhDKK1という2種類の成長因子を加えて培養して、胃組織の元となる胎児の胃原基(紫色)を作り出した。この風船状の胃原基組織をピンセットでマトリゲル(水色)と呼ばれる特殊なゲル内に移植し、さらに培養を続けて成熟させた。図1の写真上段は試験管内で作製したES細胞由来の胃組織。写真下段は、それに相当するマウス胎児の正常胃組織。ES細胞から作製した胃組織でも正常胃組織と類似した胃粘液や消化酵素を分泌する胃上皮組織が確認された。

ES細胞由来の胃組織を利用したメネトリエ病(胃巨大皺壁症)の試験管内モデルの図
図2 ES細胞由来の胃組織を利用したメネトリエ病(胃巨大皺壁症)の試験管内モデル

 TGFα遺伝子が発現すると、胃がんへと進行する可能性があるメネトリエ病様状態を作り出すことが知られている。このTGFα遺伝子をES細胞由来の胃組織で発現させ続けたところ、赤色の胃粘膜上皮が何層にも重層して肥大化したメネトリエ病様組織が試験管内で作製できた(図2右上写真)。

今後の予定

 今回の胃組織への分化方法は、マウスの幹細胞を用いて行ったものであり、今後はヒト幹細胞を胃組織へと分化させるため、分化条件や培養条件の最適化を進める予定である。将来的には、ヒトの胃組織を用いた病態モデルや治療薬開発のための試験管内モデルとしての応用を目指している。

問い合わせ

国立研究開発法人 産業技術総合研究所
創薬基盤研究部門 幹細胞工学研究グループ
上級主任研究員   栗崎 晃  E-mail:a-kurisaki*aist.go.jp(*を@に変更して使用して下さい。)



用語の説明

◆多能性幹細胞
ES細胞やiPS細胞のように、無限の自己増殖能と、体を構成する全ての組織細胞へ分化する能力をあわせ持つ細胞。再生医療などでの応用が期待されている。[参照元へ戻る]
◆ES細胞
精子と卵子が受精した後、卵割を繰り返した後の胎児の大本となる幹細胞を取り出し、シャーレで培養することで樹立した胚性の多能性幹細胞のことである。[参照元へ戻る]
◆メネトリエ病
下痢の症状、吐き気、嘔吐(おうと)、上腹部の痛みなどが見られる。胃巨大皺襞症とも呼ばれ、胃粘膜の巨大な肥厚が特徴で、胃粘膜の最も表層にある被蓋上皮細胞の過形成、固有胃腺の萎縮が認められる。[参照元へ戻る]
◆TGFα
トランスフォーミング増殖因子α(Transforming growth factor-α)。上皮成長因子のひとつであり、細胞増殖、分化、発生に関与する。[参照元へ戻る]
◆内胚葉
発生学で使用される言葉であり、消化管の内側を構成する細胞を生み出す、初期の胎児の組織。食道から大腸までの内臓の組織を形作るのに使われる。また、甲状腺、肺、肝臓、胃、十二指腸、膵臓(すいぞう)、小腸、大腸などの器官を形作る。[参照元へ戻る]
◆胚葉体
多能性幹細胞を試験管内で分化させる方法のひとつ。数百個から数千個程度の細胞を塊にして試験管内で浮遊培養させることにより、疑似的な胚(胚葉体)を形成させ、幹細胞を効率的に分化させることができる。[参照元へ戻る]
◆原基
個体発生の初期に見られる、器官や臓器へと分化する前の未熟な細胞の塊。[参照元へ戻る]
◆3次元(3D)培養
通常のシャーレを用いた培養では細胞は単層で培養されるが、ゲル状の培養素材を用いると3次元的な構造を保ちつつ接着させた状態で立体的な組織を培養することができる。[参照元へ戻る]
◆iPS細胞
2006年に京都大学山中教授が、皮膚の細胞に数個の遺伝子を導入することで作り出した人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cell)。その性質はES細胞とほぼ同等と考えられている。[参照元へ戻る]
◆胃底部、胃体部
それぞれ胃の上部分及び中央部分であり、主に壁細胞から胃酸や内因子を分泌し、主細胞から消化酵素を分泌する。また、粘液細胞が塩酸の酸性とペプシンによる消化から細胞自身を守るための粘液を分泌する。[参照元へ戻る]
◆幽門前庭部
十二指腸に近い胃の下部を形成しており、腸内分泌細胞であるG細胞から胃酸の分泌を調節するホルモンであるガストリンやヒスタミンを分泌する。[参照元へ戻る]
◆Shh
細胞増殖因子のひとつ、ソニックヘッジホッグ(Sonic Hedgehog)。発生過程で多くの器官の形成をコントロールするタンパク質。 [参照元へ戻る]
◆DKK1
細胞増殖因子のひとつであるWntを抑制する分泌性のタンパク質。手や頭部の発生をコントロールすることが知られている。 [参照元へ戻る]