発表・掲載日:2009/11/10

ペプチド被覆ナノ粒子が細胞に取り込まれる機構を解明

-ドラッグデリバリーなどの設計に重要な知見を提供-

ポイント

  • ナノ粒子として蛍光性の量子ドットが細胞に取り込まれる過程を可視化した。
  • ペプチドで表面を覆ったナノ粒子が細胞に取り込まれる2つの機構の割合を定量的に評価した。
  • ナノ粒子が、細胞膜のタンパク質クラスリンの形成するポケットに入って細胞内に運ばれる機構が、他の機構に比べおおよそ2:1で支配的であることを実証した。

概要

 独立行政法人産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】 健康工学研究センター【研究センター長 国分 友邦】・生体ナノ計測チーム【研究チーム長 石川 満】のヴァスデヴァンピライ ビジュ(Biju  Vasudevan Pillai)研究員、石川 満 研究チーム長らは、動物およびヒトの培養細胞を用いて、ペプチド被覆したナノ粒子クラスリンと呼ばれるタンパク質の形成するポケットに入って細胞に取り込まれることを可視化し、その機構を定量的に評価することに成功した。

 この発見のカギは、蛍光による可視化が可能な半導体ナノ粒子である量子ドットを用いたことである。量子ドットの表面をアラトスタチン(AST1)という昆虫由来のペプチドで被覆した。ナノ粒子が細胞に取り込まれる機構としては、受容体経由でクラスリンポケットの関与する機構と、クラスリンの関与しない機構が併存していることが知られていたが、今回、初めて両機構の割合を定量的に評価し、クラスリンの関与する機構がおおよそ2:1で支配的であることを実証した。

 この成果は米国化学会発行のACS Nano誌(オンライン掲載、2009年8月4日)に掲載された(ACS Nano 3,2419-2429, 2009)。


研究の社会的背景

  生体親和性を付与したナノ材料は再生医療材料や種々の疾病を検出・可視化するために有用である。その観点から、直径が数ナノから数十ナノメートル(nm)の半導体の球形結晶である量子ドットは蛍光性であるので、種々のバイオメディカルの現場において、従来の有機蛍光色素に比べて高感度かつ耐久性の高い可視化プローブとして注目されている。従来の有機蛍光色素は、蛍光に必要な外部照射光によって観測中に光退色して観測できなくなるという欠点があった。

 また、ドラッグデリバリーへの応用が注目されており、ナノ粒子表面にDNA、タンパク質、ペプチドなどを結合させることが検討されている。しかし、ペプチド結合ナノ粒子がどのようにして生きた細胞中、さらには細胞核にまで到達するのか未知であった。

研究の経緯

 健康工学研究センター生体ナノ計測チームでは、生体ナノ計測を通じた健康工学への寄与という視点からナノ粒子に注目して、その細胞機能および疾病の指標となるバイオマーカーの可視化への応用に向けて研究している。

 有機色素を用いて細胞表面、細胞質内部の構造、および核を標識することは医療における細胞検査や生化学実験においてよくおこなわれている。一方、量子ドットは細胞質内部に取り込ませること自体が困難である。しばしば細胞膜の内側で凝集するので、細胞質内部さらに核内に到達させた例は知られていない。当研究チームは、量子ドットをアラトスタチン(AST1)と呼ばれる昆虫由来のペプチドで被覆すると、凝集せずに細胞質のみならず核内にまで(図1)、効率よく運搬されることを見出した(V. Biju et al. Langmuir 2007, 23, 10254)。

 今回、量子ドットが細胞質内部に取り込まれる初期過程の分子機構を解明するために、ペプチド受容体と細胞膜上の“くぼみ”を構成するタンパク質クラスリンに注目して研究をおこなった。

図1(A) 図1(B)

図1 ナノ粒子量子ドットを取り込んだ細胞の蛍光画像
(A)ペプチドで被覆しない量子ドットを取り込んだ細胞:量子ドットは細胞膜近傍に局在し、細胞内部には取り込まれない(ヒト扁平上皮がん細胞A431)。
(B)ペプチドAST1で被覆した量子ドットを取り込んだ細胞:細胞質内部および核にまで量子ドットが取り込まれている(マウス線維芽細胞3T3)。

 30µm
 10µm

研究の内容

 細胞が物質を取り込むエンドサイトーシスの代表的な機構として、受容体タンパク質の関与する機構がある。その機構によると外来のタンパク質やペプチド(ホルモン等)、あるいはウイルス等のナノ粒子は、細胞膜上でそれらを認識する受容体タンパク質と結合し、受容体の構造は変化する。一方、細胞膜上には“くぼみ”があって、これはクラスリンというタンパク質がいくつか集まって形成されており、クラスリンポケットと呼ばれている。ナノ粒子と結合した受容体タンパク質はクラスリンポケットと出会うと、クラスリンポケットにナノ粒子が補足される。(受容体とくぼみの出会いは、細胞膜表面における拡散過程で確率的に支配されている。)ナノ粒子を捕捉したクラスリンポケットは袋状(小胞)となって細胞膜からちぎれて細胞質内へ移動し、エンドサイトーシスが開始する(図2)。

図2
図2 タンパク質クラスリンが関与するエンドサイトーシスの初期過程を示す模式図。ただし、受容体は図に含まれていない。クラスリンはいくつか集まってクラスリンポケットを形成する。薬剤ウォルトマニンは酵素PI3Kを阻害してクラスリンポケットの形成を阻害する。

 もうひとつの機構として、ペプチドを構成するアミノ酸が有する正電荷の効果により細胞膜を透過する過程が支配的なエンドサイトーシス機構が提唱されている。この場合、受容体およびクラスリンは関与しない。

 クラスリンの関与するエンドサイトーシスと、関与しない機構の割合を定量的に評価するための実験をおこなった。

 実験で使用した細胞はマウス線維芽細胞3T3およびヒト扁平上皮がん細胞A431である。ナノ粒子としては、アラトスタチン(AST1)という昆虫由来のペプチドで量子ドットの表面を被覆したナノ粒子QD-AST1を用いた。ナノ粒子を細胞に取り込ませる実験では、104~105個の細胞を用いて、QD-AST1の蛍光強度をフローサイトメトリーにより測定し、ナノ粒子が細胞に取り込まれる数を評価した。

 ペプチドAST1の昆虫における本来の受容体が、動物細胞膜に存在するガラニン受容体に似ていることから、ガラニン受容体が動物細胞においてエンドサイトーシスの初期過程に関与していると予想した。そこでガラニン受容体の活性を阻害する薬剤を用いてガラニン受容体の活性を阻害したところ、意外なことにQD-AST1の細胞への取り込み阻害は10%以下であり、阻害をほとんど受けなかったと言って良い。このことはガラニン受容体以外の未知の受容体が関与していることを示唆している。

 次に、正電荷の効果により細胞膜を透過する過程の割合を評価するための実験を行った。ペプチドAST1を構成するアミノ酸の正電荷を除くために、正電荷アミノ酸アルギニンを無電荷のアミノ酸アラニンに置換したAST1の変異体を用い、さらに細胞膜表面に存在する糖タンパク質に由来する負電荷を酵素処理してとり除いた。その結果、ナノ粒子の細胞への取り込み阻害は30%以下であり、ペプチドの正電荷による過程も30%程度存在することが示唆された。

 最後にクラスリンポケットの形成に関与する酵素を阻害した。クラスリンポケットの形成には、PI3Kという酵素が関与している。この酵素を選択的に阻害する抗がん剤として知られる薬剤ウォルトマニンを用いて細胞を処理して(図2)、未処理の細胞と比較してクラスリン機構が関与する程度を評価した。図3はQD-AST1を取り込ませたA431細胞について、PI3K酵素を阻害しない場合(3A)と阻害した場合(3B)の蛍光強度のヒストグラムである。図3Bでは蛍光強度のピークは左側にシフトしており(3Aの150から3Bの50)蛍光強度が顕著に減少していることがわかる。蛍光強度×細胞数の面積から、取り込みの阻害率は約57%と計算された。

図3

図3ナノ粒子QD-AST1がヒト扁平上皮がん細胞A431に取り込まれた数をフローサイトメトリーで測定
(A)クラスリンポケットの形成阻害なし:細胞数最大の蛍光強度は150。ナノ粒子QD-AST1が細胞に取り込まれている。
(B)薬剤によりクラスリンポケットの形成を阻害した細胞:細胞数最大の蛍光強度は50。ナノ粒子QD-AST1の細胞への取り込みは減少した。蛍光強度×細胞数の面積から、取り込み阻害率は約57%と計算された。

 この結果は、PIK3酵素が関与するクラスリンポケット形成がQD-AST1の細胞内取り込みに大きく寄与していることを示している。さらに、QD-AST1を取り込んだ細胞を、異なる色の蛍光色素で標識したクラスリン抗体で処理してクラスリンを可視化したところ、QD-AST1とクラスリンそれぞれの蛍光が細胞内部で重なっていることが確かめられた。これはQD-AST1とクラスリンが細胞内部で共存していることを示している。この結果は細胞内でクラスリンポケットから形成された小胞によってナノ粒子が運ばれていることを支持し、クラスリン機構が支配的なことを示している。

 以上の結果を要約すれば、ナノ粒子QD-AST1のエンドサイトーシスには、受容体経由クラスリンポケットの関与する機構とクラスリンの関与しない機構が併存しており、クラスリンの関与する機構がおおよそ2:1で支配的であることを定量的に実証した。

今後の予定

 昆虫や、他の天然由来のペプチドは容易に入手できるので、量子ドットなどのナノ粒子とペプチドとの結合体が、生体親和ナノ材料のひとつとして有用となることが期待される。今後は、量子ドットを含むナノ粒子とペプチドなどの生体分子の新しい結合体の開発とその応用を展開したい。この際、生体分子としてはペプチドだけでなく、DNA、RNA、そしてタンパク質へと拡張する。特に、種々の疾病マーカーの検出、遺伝子デリバリーおよびドラッグデリバリーへの応用を目指す。

問い合わせ

独立行政法人 産業技術総合研究所
健康工学研究センター 生体ナノ計測チーム長
石川 満  E-mail:ishikawa-mitsuru*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)

用語の説明

◆ペプチド
アミノ酸が複数個、鎖状につながった物質を指す。アミノ酸の数は明確に定義されていないが、最大で数10個程度。通常、アミノ酸の数が100個以上になると通常タンパク質と呼ぶ。[参照元に戻る]
◆ナノ粒子
通例ナノメートル(nm、10-9m)サイズの金属、有機・無機半導体、有機・無機絶縁体を指す。サイズが小さいので相対的に表面に露出している原子の寄与が大きいので、ナノ粒子特有の機能、例えば触媒の機能発現などを示す。その他、光学特性にサイズ特異性を示すナノ粒子として量子ドットが知られている。[参照元に戻る]
◆クラスリン
細胞に存在するタンパク質。細胞外の物質をエンドサイトーシスにより、細胞内に取り込む際に嚢(ふくろ)状の小胞ができるが、クラスリンが複数個集まって嚢(ふくろ)の骨格を形成する。[参照元に戻る]
◆量子ドット
直径が数ナノ~10数ナノメートル(nm、10-9m)の半導体の結晶で、数ミリメートル(mm、10-3m)以上の大きな結晶にはない物性を示す。量子ドットは同じ元素組成であっても結晶のサイズによって蛍光の色が変化する。[参照元に戻る]
◆アラトスタチン
昆虫および甲殻類に見出される13個のアミノ酸からなるペプチド。[参照元に戻る]
◆受容体
細胞表面に存在して、外界からの何らかの刺激(ペプチド、糖鎖、イオン、温度変化、pH変化など)を受け取り、情報として利用できる仕組みを持つタンパク質で構成される構造。[参照元に戻る]
◆クラスリンポケット
クラスリンが複数個集まって嚢(ふくろ)状構造を形成し、細胞膜表面では円形の開口部を持つ。この嚢(ふくろ、ポケット)が細胞外物質を取り込むと、嚢(ふくろ)は細胞膜からちぎれて、細胞質内部に移動して袋状の小胞体となる。小胞体に入った細胞外物質が、細胞内の諸器官に運搬される。[参照元に戻る]
◆ナノ材料
そのサイズがナノメートルになると、有用な機能を発揮する材料の総称。ナノ粒子の他、遺伝子を細胞内に安全に送り込むための容器として、脂質膜で構成されるナノカプセルも知られている。[参照元に戻る]
◆プローブ
ブラックボックスの中に存在する物体の、例えば、位置、サイズ、硬さ等を推定するための方法として、そのブラックボックスに針を刺すという方法がある。この針をプローブ(探針)と称する。細胞の研究では、細胞の中に存在する物質の位置を可視化するために、しばしばその物質と特異的に結合する分子で標識した量子ドット等の蛍光体を用いる。この蛍光体を上記の針になぞらえて蛍光プローブと呼ぶ。[参照元に戻る]
◆ドラッグデリバリー
薬剤を体内の組織や細胞の狙った場所に送り届けること。狙った場所にのみ送り届けることによって治療効果を高めることができる。[参照元に戻る]
◆バイオマーカー
ヒトの健康あるいは病気の指標となる生体分子の総称。血糖、尿糖、善玉・悪玉コレステロールがよく知られている。がんの進行にともない血液中に遊離する特異的なタンパク質や糖鎖が、がんマーカーとして探索されている。[参照元に戻る]
◆エンドサイトーシス
細胞表面および細胞外に存在する外来物質が細胞質内部に運搬される機構。[参照元に戻る]
◆フローサイトメトリー
試料中の細胞の数、試料中の生きている細胞の割合、細胞の特徴(大きさ、形状、表面のがんマーカーの有無など)などを計測するための手法。蛍光色素で細胞を染色し、それを液体に混ぜて細い管の中を通過させた後に、レーザー光を照射して細胞からの散乱光の強度や、蛍光の色および強度を測定する。[参照元に戻る]
◆ガラニン受容体
ガラニンは神経伝達に関与するペプチドの一種であり、これと選択的に結合する受容体がガラニン受容体である。細胞表面には様々な分子と選択的に結合する受容体が多数存在する。[参照元に戻る]
◆PI3K( Phosphoinoside 3-OH kinase)
細胞質に存在する酵素でクラスリンポケットの形成等の機能を制御している。[参照元に戻る]
◆ウォルトマニン
PI3Kの活性を阻害してクラスリンポケットの形成をできなくする薬剤。抗がん剤、神経因性疼痛治療剤。[参照元に戻る]