発表・掲載日:2012/05/29

テルペンを安全かつ高効率にエポキシ化する技術を開発

-環境負荷の少ない過酸化水素を用いた酸化技術-

ポイント

  • 再生可能な植物資源である松やにの成分(テルペン)を酸化して化学品原料を製造
  • 新たな酸化触媒の開発と生成したエポキシドの加水分解を防ぐ添加剤の発見により実現
  • 非可食性植物資源からの高性能な各種電子材料の原料製造を期待

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)環境化学技術研究部門【研究部門長 柳下 宏】精密有機反応制御第3グループ 今 喜裕 研究員および企画本部 佐藤 一彦 総括企画主幹らは、荒川化学工業株式会社【代表取締役 末村 長弘】(以下「荒川化学」という)と共同で、過酸化水素を利用した酸化技術によって、松やに成分であるテルペンから、高効率にテルペンオキシドを製造する新しい製造法を開発した。今回用いた過酸化水素は酸化反応後の副生物が水だけであり、クリーンな酸化剤として知られている。また、有機溶剤を使用しないため、今回開発した製造法は安全で環境負荷の少ない製造法といえる。

 テルペンオキシドは不安定なため、これまで選択的に合成することが難しかったが、過酸化水素による酸化反応の触媒を新たに開発したこととテルペンオキシドの分解を防ぐ添加剤を発見したことが突破口となって、クリーンかつ簡便な製造法の確立に至った。生成したテルペンオキシドは、高性能な電子材料の原料としての用途が期待される。現在、荒川化学で年産数トンスケールでの製造工程の確立を進めており、事業化を検討中である。

 今回開発した触媒の詳細は、2012年6月12~13日に東京都千代田区で開催される第1回 JACI/GSCシンポジウムにて発表する。

環境にやさしいテルペンのエポキシ化法の模式図
環境にやさしいテルペンのエポキシ化法


開発の社会的背景

 最近、化学産業では環境にやさしい化学品の製造法が注目されている。特に、松やになど石油以外の原料から機能性化学品を製造する技術が期待されている。松やには、蒸留すると低沸点成分のテルペンと高沸点成分のロジンに分けられる。ロジンはインキ用樹脂や粘着付与剤など、さまざまな用途に使われている。一方、テルペンは石油に比べて取扱量が少ないが、石油と異なって複雑な環状の構造を持っており、将来の高性能電子材料原料として期待されている。しかし、機能化・高付加価値化させた製品は少なかった。これまでテルペンオキシドの開発が進まなかった理由として、テルペンオキシドを安定的かつ高効率に製造する技術がなかったことが挙げられる。従来、実用的な製造技術としては過酢酸法が主流であった。しかし、過酢酸法は爆発性が高く、反応後に酢酸が排出され、かつ環境に負荷のかかる有機溶媒を大量に使用するという問題があり、過酢酸以外の酸化剤を用いる安全で低環境負荷の製造技術が求められていた。

研究の経緯

 産総研は、種々の電子材料原料製造時に排出される廃棄物を極小化するプロセスの開発を目指している。特に主要な反応様式の一つである酸化技術に関しては、過酸化水素を酸化剤に用いるプロセスを開発してきた。過酸化水素は反応後の副生物が水だけであり、クリーンな酸化剤として知られている。今回、さらに、ハロゲンを含む化合物を一切使わず、さらに有機溶媒も不要なプロセスとしてクリーンな過酸化水素酸化技術を確立した。

 荒川化学は、松やにの入手から化学製品製造までを一貫して行うメーカーであり、ロジンケミカル技術を用いた世界的な市場規模をもつ。テルペンに関しても入手から蒸留、保存の取り扱いまでのノウハウをもっている。

 今回、両者の技術を組み合わせて、過酸化水素を利用した酸化技術によって、テルペンから高効率にテルペンオキシドを製造する新しい製造法を開発した。

 なお、本研究開発は、経済産業省(平成20年度)および独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)(平成21~23年度)の委託事業「グリーン・サスティナブルケミカルプロセス基盤技術開発/革新的酸化プロセス基盤技術開発プロジェクト」(プロジェクトリーダー 島田 広道)の一部として行ったものである。

研究の内容

 今回の技術は加水分解しやすい化合物に対し、室温でも高い反応性を示す新規触媒とエポキシドを保護する添加剤とを組み合わせる方法を考案したことがキーポイントとなった。この技術を用いることで、松やにを蒸留して得られるテルペンから加水分解性の高いテルペンオキシドが高効率に得られる。

 テルペンの主成分であるα‐ピネンを過酸化水素酸化技術によりエポキシ化する方法はこれまで多数報告されている。しかし反応効率を高めるために、高価なレニウムを触媒に用いたり、有機溶媒を大量に使用するなど、コスト面や環境負荷の観点から問題があった。α‐ピネンは、酸化(エポキシ化)されて生成するα-ピネンオキシドが、テルペンオキシドの中でも極めて加水分解しやすいため、エポキシ化が極めて難しいテルペンの一つである。α‐ピネンの実用的なエポキシ化法を実現するためには触媒に安価なタングステンを用い、有機溶媒を使用せず高効率にα‐ピネンオキシドを製造できる新たな製造法を開発しなければならない。ところが、一般に有機溶媒がない状態でα‐ピネンを過酸化水素によって酸化すると、共存する酸性の水によって、生成したα‐ピネンオキシドが加水分解してしまう(α‐ピネンオキシドの収率0%、選択率0%)。このため、過酸化水素を用いる高効率なα‐ピネンのエポキシ化法の技術開発は停滞を余儀なくされていた。

 今回、産総研はα‐ピネンオキシドを加水分解から保護する添加剤を開発し、新たに開発した三元系触媒と組み合わせることでα‐ピネンオキシドの高効率製造技術を確立した。三元系触媒については、さまざまな組み合わせを検討し、タングステン酸ナトリウムメチルトリオクチルアンモニウム硫酸水素塩フェニルホスホン酸の組み合わせからなる触媒が最適とわかった。また、添加剤としては硫酸ナトリウムが最適であった。この技術によって室温で速やかにエポキシ化反応が進行し、α‐ピネンオキシドが収率89%、選択率100%と極めて高効率に得られた。図1に今回開発したα‐ピネンのエポキシ化法の概略を示す。

今回開発した過酸化水素を用いるα‐ピネンのエポキシ化反応の模式図
図1 今回開発した過酸化水素を用いるα‐ピネンのエポキシ化反応

 新たに開発した触媒と添加剤を組み合わせた技術はα‐ピネンだけではなく種々のテルペンのエポキシ化反応にも有効で、それぞれのテルペンに対応するテルペンオキシドを高効率かつ高選択的に合成することができる。しかも生成したテルペンオキシドは加水分解せずエポキシ構造を保持したままの生成物として取り出せる。この技術の開発により簡便にテルペンオキシドのラインナップを製造することができる。図2にこの技術による種々のテルペンのエポキシ化反応の結果を示す。

種々のテルペンのエポキシ化反応の結果図
図2 種々のテルペンのエポキシ化反応の結果

今後の予定

 今後、触媒技術をさらに改良し、反応に伴う発熱や加水分解機構のさらなる検討と装置の改良を行う。荒川化学では1品種あたり年産数トンスケールの製造工程を確立し、事業化することを検討している。また、産総研では開発した触媒技術をベースにテルペンだけでなく加水分解を受けやすいあらゆる有機化合物に適用できるレベルの触媒開発を開始する。



用語の説明

◆過酸化水素

主に水溶液の形で殺菌剤や漂白剤として利用される無色透明の液体。2.5-3.5%水溶液に添加剤を加えたものは消毒薬オキシドールとして知られている。今回開発した技術では主に30%過酸化水素水溶液を使用している。[参照元へ戻る]

◆酸化
「鉄が錆びる」、「紙や木が燃える」、「摂取した食物が体内でエネルギーに変わる」などに代表される最も身近な化学反応。今回開発した技術では、過酸化水素を用いて対象とする化合物を酸化させる。[参照元へ戻る]
◆テルペン、テルペンオキシド
一般には植物や昆虫、菌類などによって作り出される化合物。今回のプレス発表資料では松やにを蒸留して得られる主に炭素数10個からなる低沸点成分の総称として使用している。今回開発した技術の適用例として下図に示す構造のものを反応に使用した。炭素―炭素2重結合(下図にて赤色の部分)を持つ。
テルペンの例の構造式
テルペンの例
 また、テルペンオキシドとはテルペンの炭素―炭素2重結合をエポキシ化した化合物。環状の化合物にエポキシが組み合わさった特異な構造から、高性能な電子材料原料として今後発展することが期待され、化学産業界で注目されている。[参照元へ戻る]
◆触媒、三元系触媒
特定の化学反応の反応速度を速める物質で、自身は反応の前後で変化しないものをいう。1回あたりの使用量が少なく何度も再使用できることからクリーンなプロセスに適している。過酸化水素による酸化反応では、三元系触媒という、機能の異なる3種類の触媒を組み合わせた触媒を使用する。その内訳は、タングステン触媒、アンモニウム塩、ホスホン酸である。最近の研究ではタングステン触媒は直接的に過酸化水素によるエポキシ化の促進、アンモニウム塩は触媒の輸送、ホスホン酸はタングステン触媒活性化のサポートという役割を担っていると考えられている。これらの3成分の割合を最適化しないとエポキシ化反応が進行しない。今回開発した触媒では、タングステン触媒としてタングステン酸ナトリウム、アンモニウム塩としてメチルトリオクチルアンモニウム硫酸水素塩、ホスホン酸としてフェニルホスホン酸を用いた。[参照元へ戻る]
◆ロジン
天然樹脂、常温では黄色から褐色の透明性のあるガラス様の固体。松やにを蒸留して得られる。主な用途に印刷インキ、塗料、接着剤、滑り止め(野球のロジンバッグ、バイオリンなどの弦楽器の弓への塗布)、はんだ用フラックス、医薬品、チューインガムベース、香料などがあげられる。[参照元へ戻る]
◆加水分解
化合物と水が反応し、主に水が付加することによって構造が変化(分解)すること。[参照元へ戻る]
◆エポキシ化、エポキシド
炭素―炭素二重結合から、炭素2個と酸素1個から成る三角形型の構造へと変換する酸化反応の一つ。得られた生成物はエポキシドと呼ばれ、各種電子材料の原料として現在幅広く使用されている。[参照元へ戻る]
エポキシ化の模式図
◆α‐ピネン
松やにを蒸留して得られるテルペンの主成分。下図に示すように炭素数10個からなる2つの環が組み合わさった環状化合物。そのエポキシ化生成物(α‐ピネンオキシド)は高機能電子材料の原料として期待されている。[参照元へ戻る]
α‐ピネンの構造式
◆タングステン酸ナトリウム
この研究では、過酸化水素によるエポキシ化を直接的に促進するタングステン触媒である。[参照元へ戻る]
タングステン酸ナトリウムの化学式
◆メチルトリオクチルアンモニウム硫酸水素塩
この研究では、過酸化水素水(水相)とテルペン(油相)の間を行き来し、触媒(タングステン酸ナトリウム)を輸送する。[参照元へ戻る]
メチルトリオクチルアンモニウム硫酸水素塩の構造式
◆フェニルホスホン酸
この研究では、触媒(タングステン酸ナトリウム)の働きをさらに促進させる。[参照元へ戻る]
フェニルホスホン酸の化学式

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