上から与えられるのではなく、研究者が自らの「芸」を磨き続ける場所を守るために
私は、工業技術院にあった研究所それぞれから集まった、40代くらいの研究者の一人として、産総研立ち上げに向けた議論に参加していました。
独立行政法人というこれまでとはまったく違う形で研究を続けることになり、「これからどんな組織を作るべきなのか」を、各研究所から1人か2人ずつ集まって話し合うところから始まりました。
組織が大きく変わるということに対して、不安や反発がなかったわけではありません。従来、自分たちが長い時間をかけて培ってきた研究や組織のあり方が、大きく変えられてしまうのではないか、という思いを持っていた人も多かったと思います。私自身、学会などで抵抗の声を聞いたこともありました。ただ一方で、研究所というのは研究者が作るものだという意識は、参加していたメンバー全体に非常に強くありました。上から与えられる組織ではなく、自分たちで考え、自分たちが潰されないための組織をどう作るのか。そのために、既存の力に対する防波堤を作る、という感覚で必死に議論していたように思います。
結果的に、最初はガス抜きのつもりだったのかもしれない議論が、今の産総研の組織の骨格につながっていきました。もちろん、立ち上げ当初は細かい部分まで十分に詰め切れておらず、現場としては戸惑うことも多かったですが、本当に「独立行政法人としての産総研」を実感できるようになったのは、そうした混乱期を乗り越えた後、1年ほど経ってからだったと思います。今振り返ると、あの立ち上げ期は、研究者が組織を自分たちの手で作ろうとしていた、非常に濃密な時間だったと感じています。
研究所というのは、研究者一人ひとりが長い時間をかけて自分の芸を磨く場所です。私はよく、研究者を舞台の役者に例えてきました。それぞれが異なる得意分野を持ち、その組み合わせによって期ごとの「芝居」をどう見せるかを考える。その際、センターという枠組みは、研究のシナリオを社会に分かりやすく示すための重要な仕組みでした。
「良賈は深く蔵して虚しきがごとし」。国立研究所時代には、蔵に技術を蓄え、産業界から求められたときにそれを取り出して渡す文化がありました。設立当時、その“蔵を深く持つ”精神を、独立行政法人という新しい制度の中でいかに守り、つないでいくか――それが、私自身が強く心に刻んできた、産総研設立時の原体験です。