発表・掲載日:2017/08/07

カルシウムイオンの欠乏が染色体異常を引き起こす原因を解明

-生物がゲノムを安定に維持する仕組みの解明に貢献-

ポイント

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  • カルシウムイオンの欠乏により動原体微小管が不安定化し、染色体の整列異常が生じることを発見
  • 動原体の構築に必要なCENP-Fタンパク質の消失により動原体微小管が不安定化
  • 生物がゲノムを安定に保持するためにカルシウムイオンを利用していることを示唆


概要

 国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)バイオメディカル研究部門【研究部門長 近江谷 克裕】 細胞・生体医工学研究グループ 髙田 英昭 主任研究員らは、カルシウムイオンが欠乏すると、染色体動原体の構成因子であるCENP-Fタンパク質が動原体から消失することで動原体微小管が不安定化し、その結果染色体の整列が異常になることを明らかにした。

 細胞分裂中に細胞内のカルシウムイオン濃度が低下すると、分裂期の染色体の整列異常が観察される。今回、細胞内の微小管と動原体タンパク質の動態をライブセルイメージングや免疫学的手法により詳細に観察して、カルシウムイオン濃度の低下が、動原体タンパク質の一つであるCENP-Fの動原体からの消失を引き起こすことを発見した。これにより、動原体微小管が不安定になり、染色体の整列異常が発生すると考えられる。今後、カルシウムイオンがCENP-Fに作用するメカニズムを明らかにすることで、生物がゲノムを安定に維持する仕組みの解明が進むと期待される。

 なお、この成果の詳細は、2017年8月4日に学術誌Scientific Reportsにオンライン掲載された。

カルシウムイオンの欠乏が染色体異常を誘導するモデル図
カルシウムイオンの欠乏が染色体異常を誘導するモデル


開発の社会的背景

 生物の遺伝情報はDNAに記録されており、細胞が分裂するときにはDNAが染色体と呼ばれる構造に折り畳まれることで、2つの娘細胞に、複製されたDNAが安全・均等に分配される。ところが、どのようにして生物が染色体の構造を構築するのかは明らかになっていない。もし、細胞が染色体構築に失敗すると、DNAが正しく娘細胞に分配されなくなり、染色体数の異常や細胞のがん化につながる。このため、染色体の構築メカニズムを解明すれば、疾患の治療・予防につながる手掛かりが得られると期待されている。

 染色体構築に必要な因子はいくつか報告されており、その一つが二価陽イオンのカルシウムイオンである。カルシウムイオンは細胞内の情報伝達を仲介するシグナル分子としての役割がよく知られているが、細胞内のカルシウムイオン濃度が減少すると、染色体の構造が膨らんだり、染色体が異常な整列をしたりするため、カルシウムイオンの染色体構造因子としての働きが注目を集めている。

研究の経緯

 産総研は、生命現象を理解し、その成果を疾患スクリーニングや創薬基盤技術の開発に応用する研究を推進してきた。近年、DNAとタンパク質の集合体であるクロマチン構造と遺伝子発現の関係が注目されており、胚発生や細胞分化の過程でのクロマチンの構造変化(例えばクロマチンの構造が閉じたり開いたりする変化)の報告が増加している。また、細胞分裂時のクロマチン構造の異常は、ゲノムの不安定化につながり、重篤な疾患の原因となる。こうした背景から、今回、細胞分裂期のクロマチン構造の変化(染色体構築)に着目し、カルシウムイオンが及ぼす影響を調べることとした。

 なお、この研究は、独立行政法人 日本学術振興会 科学研究費助成事業「若手研究(A)」と、文部科学省 卓越研究員事業による支援を受けて行った。

研究の内容

 今回、細胞内カルシウムイオン濃度の減少により生じる染色体整列異常(図1)の原因を解明するために、まず、分裂期染色体の動態に重要な微小管の安定性を評価した。プロテアソーム阻害剤(MG132)でヒト培養細胞(HeLa細胞)を分裂中期の状態で停止させ、その細胞をBAPTAイオノマイシンで処理して細胞内のカルシウムイオンを減少させた。この細胞を低温にさらすと、染色体の動原体に結合していない不安定な微小管が脱重合する。カルシウムイオンが減少した細胞では大部分の微小管が消失したので、通常の細胞に比べて動原体に結合した微小管(動原体微小管)の安定性が低下することが分かった(図2)。

 動原体微小管が不安定化する原因として、(1)微小管の重合・脱重合の異常、(2)染色体動原体の構造異常の2つが考えられる。(1)については、微小管を構成するタンパク質であるチューブリンに蛍光タンパク質mCherryを融合したものを発現する細胞を、ライブセルイメージングにより検証した。分裂期の細胞を微小管重合阻害剤で処理すると、微小管が脱重合し紡錘体が消失する。その後、微小管重合阻害剤を除去した培地中でこの細胞を培養すると、再び微小管が伸長し紡錘体が形成される。試験管内の実験では、カルシウムイオンは微小管の重合を阻害することが分かっているが、今回の細胞内の実験では、カルシウムイオンが減少した細胞でも、通常の細胞と同様に微小管の重合・脱重合が起こったことから、カルシウムイオン濃度の低下は細胞内の微小管の重合・脱重合に影響しないことが判明した。

 次に、(2)を検証するために、動原体の形成に必要なタンパク質の局在を免疫学的手法により観察した。その結果、カルシウムイオン濃度の低下により染色体が膨らむにもかかわらず、動原体の外板内板に位置するタンパク質の局在には影響しないことが分かった。一方で、動原体の冠状繊維の構成因子の一つであるCENP-Fの消失が観察された。このことから、カルシウムイオンがCENP-Fの動原体への局在を制御する因子であると予想される。CENP-Fが消失した不完全な動原体は、微小管との結合を確立・維持することが困難になって動原体微小管が不安定化し、染色体の整列異常が引き起こされると考えられる。

分裂期の細胞での染色体の整列異常の割合の図
図1 分裂期の細胞での染色体の整列異常の割合
通常、分裂中期では染色体は細胞の赤道面上に整列するが、カルシウムイオン濃度が減少すると、整列異常を示す細胞(部分的な整列異常、不整列)が増加する。

分裂期の細胞での染色体の整列異常の割合の図
図2 低温処理後の細胞の微小管
カルシウムイオン濃度が減少した細胞(右)では、動原体微小管(緑)の量が、正常なカルシウムイオン濃度の細胞(左)に比べて大幅に減少する。動原体からCENP-Fが消失すると、微小管が不安定化することが明らかになった。

 今回、カルシウムイオンが染色体の動原体タンパク質であるCENP-Fの局在を制御する因子であることが明らかとなった。これは、分裂期の染色体の挙動がカルシウムイオン濃度によって調節されていることを示している。

今後の予定

 今後は、カルシウムイオンがどのようにしてCENP-Fの局在を制御しているのかを追究し、生物がゲノムを安定して維持する機構の解明を目指す。また、疾患細胞を用いてカルシウムイオン濃度や染色体の挙動を測定することで、カルシウムイオン濃度の異常がヒトの健康に与える影響についても調べる予定である。これらにより、細胞のがん化などを防ぐための新たな手掛かりを得ることを目指す。 



用語説明

◆カルシウムイオン
細胞内にはマグネシウムイオン、カルシウムイオン、亜鉛イオン、鉄イオンといったさまざまな金属のイオンが存在している。カルシウムイオンは細胞内の情報伝達に用いられ、その濃度は細胞内で厳密に制御されている。細胞内では小胞体と呼ばれる細胞内小器官に蓄えられている。[参照元へ戻る]
◆染色体
細胞が分裂する時に、DNAが凝縮してできるX字型の構造体。ヒトの場合、一つの細胞には46本の染色体が存在している。[参照元へ戻る]
◆動原体、外板、内板、冠状繊維
動原体は染色体の重要な構造の一つで、微小管と染色体を結びつける足場として働いており、分裂期の染色体の動きを生み出している。複数のタンパク質により、染色体のセントロメア領域に構成されている層状の構造をとり、染色体に近い方から内板、外板、冠状繊維と呼ばれる。[参照元へ戻る]
動原体、外板、内板、冠状繊維の説明図
◆微小管、紡錘体
微小管とは、チューブリンの二量体が重合してできる繊維状の構造のことで、紡錘体は染色体を2つの細胞に分離する中心的役割をする構造体である。細胞分裂時には、中心体(微小管が伸長する起点となる構造で中心小体と呼ばれるタンパク質から構成される)から放射状に微小管が伸長し、カゴのような紡錘体が形成される。微小管は染色体の動原体との結合によって安定化し、染色体の動態に関与する。この動原体と結合した状態の微小管を動原体微小管と呼ぶ。[参照元へ戻る]
◆ライブセルイメージング
細胞を培養しながら顕微鏡を用いて観察して、生きた細胞の中でのタンパク質や染色体の挙動を解析すること。[参照元へ戻る]
◆二価陽イオン
原子から2個の電子が失われて正に帯電したイオン。[参照元へ戻る]
◆クロマチン
DNAはヒストンと呼ばれるタンパク質に巻き付いてヌクレオソームと呼ばれる構造を形成する。ヌクレオソームはさらにヒストン以外のタンパク質と結合して、クロマチンと呼ばれる繊維状の高次構造を形成し、細胞の核の中に収められている。[参照元へ戻る]
◆遺伝子発現
遺伝子はDNAに記録されているが、DNAの情報はRNAポリメラーゼと呼ばれる酵素に読み取られてDNAからメッセンジャーRNAが合成される。そして、メッセンジャーRNAの情報を元にリボソームと呼ばれるタンパク質複合体によりタンパク質が合成される。このように、DNAの遺伝情報が読み取られてタンパク質が合成されることを遺伝子発現と呼ぶ。[参照元へ戻る]
◆プロテアソーム
タンパク質の分解を行う複合体。細胞の分裂中期にプロテアソームの活性を阻害すると、細胞周期が分裂後期に進まなくなり、染色体が細胞の赤道面上に整列した状態で停止する。[参照元へ戻る]
◆BAPTA、イオノマイシン
BAPTAはカルシウムイオンと結合して錯体を形成する化合物の一種で、イオノマイシンはカルシウムイオンの細胞膜透過性を高める試薬。BAPTAとイオノマイシンを培地に添加すると、培地中のカルシウムイオン濃度が減少し、細胞の中から外へカルシウムイオンが流出して、細胞内のカルシウム濃度が減少する。[参照元へ戻る]
◆微小管の重合、脱重合
微小管はチューブリンと呼ばれるタンパク質が繊維状に集合することで構築される。チューブリンが集まることを重合、逆にチューブリンが微小管から分散することを脱重合という。重合速度が脱重合速度より早いと微小管が伸長し、脱重合速度が重合速度を上回ると微小管は短くなる。[参照元へ戻る]



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