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発表・掲載日:2009/10/01

嗅覚機能の他覚的検査方法の開発

-嗅覚減退を伴うアルツハイマー病やパーキンソン病の早期発見につながる可能性-

ポイント

  • 日本において嗅覚機能の検査方法は、これまで自覚的検査しかなかった。
  • 嗅覚誘発脳波・脳磁場の同時計測により嗅覚異常を他覚的に診断できる。
  • 脳波のみの計測でもかなりの確率で、嗅覚脱失の他覚的計測が可能である。

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)人間福祉医工学研究部門【研究部門長 赤松 幹之】マルチモダリティ研究グループ 氏家 弘裕 研究グループ長、小早川 達 主任研究員は、学校法人 自治医科大学付属病院 耳鼻咽喉科と共同で嗅覚機能の他覚的検査方法を開発した。

 今回開発した検査方法は、特殊な嗅覚刺激装置と産総研が独自に開発したニオイセンサーを用いて嗅覚誘発脳波・脳磁場の同時計測を行うものである。嗅覚脱失患者4名と健常者5名に対して計測を行ったところ、両者に計測値の明確な差が認められた。今回開発した技術は嗅覚検査における詐病の発見に用いることも可能である。また、アルツハイマー病、パーキンソン病では早期に嗅覚減退が起こるといわれ、これらの診断・疾病の発見につながるとともにそのメカニズムの解明に役立つと思われる。

 本技術の詳細は、2009年10月1~3日に島根県民会館で開催予定の第48回日本鼻科学会 学術講演会で発表される。

脳磁波の計測写真、嗅覚脱失者の脳波・脳磁波と健常者の脳波・脳磁波の図
図1 脳磁波の計測
嗅覚脱失者の脳波(上)
脳磁波(下)
健常者の脳波(上)
脳磁波(下)

開発の社会的背景

 五感の中で視覚、聴覚や触覚と比較して人間の嗅覚機能の検査は難しく、交通事故による嗅覚脱失や風味障害があっても、それを適切に診断できる医療機関が日本では数少ないのが現状である。通常の医療機関では多くの場合、定性的な静脈性嗅覚検査が用いられ、定量的な診断が可能なT&Tオルファクトメーターを備えた施設は少数である。また、これらの嗅覚検査は自覚的な検査方法であり、詐病などの恐れもある。視覚、聴覚、触覚などでは他覚的な診断法が存在するが、嗅覚の場合は刺激が気体によるものであり、その制御が難しいために他覚的診断法は確立していない。

 一方、最近ではアルツハイマー病やパーキンソン病の初期段階において嗅覚が減退することが知られるようになり、嗅覚能力の測定が通常の嗅覚障害のみならず、アルツハイマー病やパーキンソン病の早期発見においても重要になってきているが、日本国内ではその報告例はごくわずかである。

研究の経緯

 産総研では、自覚的または他覚的嗅覚検査法の開発を行ってきた。産総研の開発した、自覚的な嗅覚能力検査法についてのデータベースは下記ウェブサイトで公開されている。

 【嗅覚変化データベース】http://riodb.ibase.aist.go.jp/db068/db2/main.html

 他覚的嗅覚検査法としては、嗅覚刺激提示システムと脳波・脳磁場の同時計測を組み合わせ、嗅覚異常者と健常者における嗅覚認知の観点から研究している。

研究の内容

 自治医科大学付属病院の嗅覚外来においてT&Tオルファクトメーターおよび静脈性嗅覚検査によって嗅覚疾患と診断された患者4名、ならびに産総研で集めた健常者5名に対して計測を行った。自覚的検査として、産総研で開発したニオイマイクロカプセルをカードに印刷したものを被験者に提示して、8/12以上の正答数のものを正常とみなした。これらの実験参加者に対して嗅覚誘発脳波・脳磁場の同時計測を実施した。

 ニオイにはT&Tオルファクトメーターの中の一嗅素である2-フェニルエチルアルコール(バラ様の香り)を用いた。同一の刺激を1回の実験で40回、1人の実験参加者に提示した。刺激の時間間隔は30秒、1回の刺激は0.4秒間である。嗅覚刺激の提示にはドイツで開発された嗅覚刺激提示装置を用い、産総研で独自に開発した超音波高速嗅覚センサーを用いて、実際の刺激の変化(空気からニオイつきの空気に変わる変化)をリアルタイムにモニタリングした(図2)。

嗅覚刺激提示装置と超音波高速嗅覚センサーの写真
図2 上:嗅覚刺激提示装置
下:超音波高速嗅覚センサー
 
脳磁場の計測写真
図3:脳磁場の計測
超伝導量子干渉計 (SQUIDs)を用いる

 脳波は国際的な手法により計測した。脳磁場計測は64chの全頭型の超伝導量子干渉計 (SQUIDs)を用いた(図3)。1秒間に625個のデータを取得し、100Hz以上と0.16Hz以下の信号はカットした。上記の計測で得られたデータから目の瞬きなどによる妨害信号が含まれている試験を除き、刺激提示のタイミングで平均加算した。

 脳磁波測定の結果は図1に示した。嗅覚脱失者の脳磁波は刺激提示前後で脳磁波の振幅は変化しないが、健常者では刺激提示後に振幅が大きくなっている。脳磁場計測は脳活動の時間だけでなく、活動部位も知ることができるため、パーキンソン病やアルツハイマー病の初期段階における、嗅覚減退の発生するメカニズムの解明にもつながると考えられる。

 脳波測定の結果を図4に示す。嗅覚脱失者の脳波はニオイ刺激提示の前後で信号振幅に変化がないことがわかる。一方、健常者5名中4名において刺激提示後振幅が大きくなる応答が見られた。

 これらの結果から嗅覚誘発脳波、脳磁場計測により、嗅覚機能の他覚的な検査が可能であることが示された。脳磁波の計測には超伝導磁石を用いる大規模な装置が必要であるが、脳波のみの計測でもかなりの確率で、嗅覚脱失の他覚的計測が可能であることを示している。結果を次の表にまとめる。
4名の嗅覚脱失者の脳波と、5名の健常者の脳波の図
図4 4名の嗅覚脱失者の脳波(左図)と、 5名の健常者の脳波(右図)

嗅覚誘発脳応答の表

今後の予定

 被験者の数を増やし嗅覚機能の他覚的診断法の普及に力を入れる。今回の技術の鍵になるのは嗅覚の刺激方法にある。今回の実験で用いられた嗅覚刺激システム(装置とニオイセンサーの組み合わせ)の安価な値段による製品化を目指す。それと同時に、より被験者に対して負担をかけない検査方法の開発を行う。また、パーキンソン病やアルツハイマー病の早期における嗅覚減退のメカニズムを調べることで、これらの疾病の早期発見に貢献したい。


用語の説明

◆他覚的検査
患者の報告以外の指標(本研究成果では脳波や脳磁場)によって診断を行う検査法を他覚的検査と呼ぶ。[参照元へ戻る]
◆ニオイセンサー
ニオイのもととなる気体分子を検出するセンサー。従来のニオイセンサーでは刺激による脳内の応答の計測に必要な、ミリ秒の気体分子の変化を追跡することは不可能であった。産総研では超音波を用いることで、マイクロ秒の時間変化を追うことができるニオイセンサーの開発に成功している。[参照元へ戻る]
◆嗅覚誘発脳波・脳磁場
人間の脳内活動を調べる方法の一種。嗅覚に刺激を与えられた場合に、その刺激に関わる脳内の応答(脳波や脳磁場)を計測する方法である。通常数十回から数百回の同一の刺激を被験者に与え、そこで得られた刺激を加算する。刺激に関わる脳の応答は常に同じタイミングで同じ活動が起こると予想されるが、刺激に関わらない脳の応答はランダムに発生するために、上記のような加算を行うと刺激に関連した脳活動だけのデータを得ることができる。
刺激による脳内の応答を計測するためには被験者に与える刺激をミリ秒レベルの精度で制御を行う必要がある。すなわち刺激がない状態から100%の強度に達する時間が数ミリ秒から数十ミリ秒である必要がある。視覚刺激(光)や聴覚刺激(音)などの物理刺激はこのような時間制御も容易であるが、嗅覚刺激は刺激源が気体であるためにこの制御は困難であった。それを最初に可能にしたのが今回用いた特殊な嗅覚刺激方法であり、この手法はドイツで開発されたものである。[参照元へ戻る]
◆詐病
偽りの病、病ではないのに疾病にかかったふりをすること。[参照元へ戻る]
◆静脈性嗅覚検査
静脈中にアリナミン溶液を注入し、それが体内で分解されると肺からメルカプタン(タマネギが腐ったようなニオイ)として呼気中に拡散され、ニオイがする。そのニオイがし始める時間ならびにニオイのする継続時間を計ることによる嗅覚機能の自覚的検査法。[参照元へ戻る]
◆T&Tオルファクトメーター
一般的に5種類のニオイを10段階に希釈し、それらのニオイがどの濃度から被験者に感じられるようになるか(閾値検査)によって嗅覚機能をはかる自覚的検査法。[参照元へ戻る]
◆脳波、脳磁場
脳活動が起こった場合、脳内では電気的変化が起こっている。この電気的活動を反映した頭部表面上の電位差を計測するものが脳波計測であり、電気的変化に伴う磁場変化(電気的変化には必ず磁場変化が伴う)の計測を行うものが脳磁場計測である。[参照元へ戻る]
◆自覚的検査
患者(被検査者)の報告に基づく診断法を自覚的検査と呼ぶ。一般的に自覚的検査の方が手軽であるが詐病を防ぐことが困難である。[参照元へ戻る]
◆超伝導量子干渉計 (SQUIDs)
超伝導の性質を利用した非常に高感度な磁気センサー。脳の活動による脳内電流の変化はたいへん小さいので、それによって誘起される磁場もたいへん小さく超伝導を利用した高感度のセンサーが必要である。[参照元へ戻る]

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