発表・掲載日:2007/05/10

内視鏡による鼻内手術の遠隔指導・自習システムを開発

-内視鏡手術の安全性向上に向けて-

ポイント

  • 遠隔地にいる指導医が、あたかも学習者の隣にいるかのように指導できるシステムを開発した。
  • 指導医の録画映像を用いれば、そのまま精密ヒト鼻腔モデルを練習台として自習できるシステムとなる。
  • 患者に苦痛の少ない内視鏡による鼻内手術の安全性向上と普及に貢献する。

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)人間福祉医工学研究部門【部門長 赤松 幹之】は、内視鏡による鼻内手術の遠隔指導および自習を可能にするシステムの開発に成功した。

 先端医療を指導できる熟練医は少なく研修の機会が限られるため、手術技能の遠隔指導・自習環境の整備が切望されている。

 本システムは、内視鏡の画像に加え、正面および側面から撮影した指導医と学習者の映像を合成・左右反転し鏡像で表示する。これは指導医と学習者が映った電子的な鏡として機能し、学習者は指導医の手術操作を自然に比較・模倣できる。これにより手術を行うときの立ち位置や姿勢、手術器具の持ち方、挿入角度など3次元的な手術技能のわかりやすい遠隔指導を可能にした。さらに、指導医の録画映像を用いれば、自習が可能である。本システムにより、患者に苦痛の少ない内視鏡による鼻内手術の安全性向上と普及への貢献が期待できる。

 本研究成果については、2007年5月17日~19日に、金沢市で開催される第108回日本耳鼻咽喉科学会学術講演会で発表する。また同学会の展示会場にて、本システムのデモンストレーションを行う。

内視鏡下鼻内手術遠隔指導システムの写真
図1


開発の社会的背景

 内視鏡下で行なう低侵襲手術は、傷口が小さいため患者の身体的苦痛が少なく、患者にとっては福音である。しかし同時に、従来の手術に比べ視野・操作空間が著しく制約されるため、執刀する医師は、高度な手術技能を要求される。内視鏡による鼻内手術(内視鏡下鼻内手術)は、特に、その対象である副鼻腔が、極めて複雑な構造を持ち、薄い骨の壁を隔てて視神経・脳・動脈等の重要臓器に隣接するので、十分な研修を必要とする手術の一つである。

 従来の手術技能研修方法は、書籍・ビデオ教材を利用した方法および、実際の手術場での指導医によるマンツーマン指導であるが、前者では手術時の姿勢や手術器具の挿入角度・深さなどの3次元的な手術操作の学習は難しい。また、後者の場合、指導医の数が限られる新技術の普及初期や遠隔地においては、指導を受ける機会が少ない。これを補うため、学会や主要大学などで実技研修会が開催されているものの、多くても年に数回であり、十分ではない。

研究の経緯

 人間福祉医工学研究部門は、医療福祉機器技術研究開発プロジェクト「内視鏡等による低侵襲高度手術支援システム(平成12~16年度)」等において、低侵襲手術支援技術の研究を行ってきた。これまで、手術実験用の精密ヒト鼻腔モデル(患者ダミー)を開発し、鼻腔モデルと内視鏡にセンサー類を取り付け、学生・若手医師から熟練医までの手術技能を計測・分析している。その結果、初心者・若手医師がうまく器具を操作できない大きな原因の一つは、器具の持ち方・操作者の立ち位置や姿勢であることがわかってきた。

 

 同時に、同研究部門では、事物の指差し指示や互いの動作の模倣を可能にする遠隔対話システムであるハイパーミラー(HM)の研究開発を行っている。HMは遠隔地間を結ぶ擬似的な鏡である。舞踏家は鏡を使って指導者の技能との比較や模倣を行うが、HMはこれを遠隔地間で電子的に実現する。HM画像は左右反転した鏡像であり、これに向かい合うことにより、あたかも指導医の隣にいるかのように手術操作を模倣できる。HM技術を用いることで、器具の持ち方・操作者の姿勢を含めた3次元的な手術技能をわかりやすく遠隔指導できる。

 この2つの技術を結合して、HM技術を応用した内視鏡下鼻内手術の遠隔指導システムの研究開発を、独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の平成17年度第1回産業技術研究助成事業により実施している(テーマ名「ハイパーミラーによる遠隔技能トレーニングシステムの研究開発」平成17~19年度)。

研究の内容

[システム概要] 

 今回開発した遠隔指導システムを図2に示す。ほぼ同じ機器構成の指導医サイトと学習者サイトがインターネットで接続されており、指導医と学習者は同じ形状の精密ヒト鼻腔モデルに対して手術を実施して研修する。各サイトでは、互いの内視鏡画像と、手術操作を行う各自の身体の映像を合成・左右反転したHM画像をリアルタイムで見ながら、ハンズフリーで会話しつつ、手術器具の操作を比較・模倣する。

内視鏡下鼻内手術遠隔指導システムの写真
図2 内視鏡下鼻内手術遠隔指導システム(一次試作機)

[システム詳細]

 各サイトに4台あるモニターのうち、上段2枚は学習者と指導医の内視鏡画像を表示する。内視鏡手術ではまず、手術を行う部位を内視鏡画像の中央に安定してとらえること、内視鏡画像の上下方向を保持することなど、「視野の確保」が最も大切である。学習者は、自分と指導医の内視鏡画像を見比べて、正しい視野が確保できているか確認する。手術対象の患者モデルは形状が同じであるため、内視鏡を指導医と同じように操作すれば、全く同じ視野が得られる。内視鏡画像が異なれば、それは内視鏡の操作が指導医と違っていることがわかる。

 下段の2台のモニターは、その内視鏡の操作、すなわち内視鏡の挿入方向や深さが指導医と学習者でどう違うかを比較するためのものである。下段左側のモニターには、学習者・指導医を正面から撮影した映像を合成・左右反転したHM画像(図3)が表示されている。この画像を見れば、患者モデルに対する操作者の姿勢(立つ位置や身体の方向、腕の角度など)や、内視鏡の挿入方向(左右)を容易に比較できる。下段右側のモニターには、操作者の手元を右前方から撮影した映像の HM 画像が表示されており(図4)、内視鏡の前後方向の角度・挿入深さや器具の持ち方を比べることができる。この2枚の HM 画像を見比べて内視鏡の操作(挿入方向・深さ)を倣うことで、指導医の内視鏡操作(視野の確保)と鉗子操作という3次元動作を習得できる。

 通常のマンツーマンの指導では、指導医が学習者の内視鏡画像を指で指しながら「ここは何」と解剖学的な構造を説明したり、「次はここをこちらに向かって切る」と手術操作を指導することが良くある。そこで、本システムにもその指示機能を実装した。図5に示すように、指導医側の指示動作を撮影する小さいカメラを設け、その指示画像を学習者の内視鏡画像に合成することで、指導医が学習者の内視鏡画像に「手を出し」て解剖構造の説明や手術の指示を与えられるようになっている。

 本システムは、上記の互いのライブ映像を送り合う遠隔指導の他に、指導医の録画映像を用いた自習システムにも対応している。名医の録画教材を使っていつでも好きなだけ自習が可能となるため、手術の安全性の向上や新しい手術の普及促進に役立つと期待される。

正面HM画像の合成写真

図3 正面HM画像の合成
  右側HM画像の合成写真

図4 右側HM画像の合成

指導医による学習者内視鏡画像の指示の写真
図5 指導医による学習者内視鏡画像の指示

今後の予定

 2007年6~7月に金沢医科大学と共同で、医師・研修医・医学生を対象に、金沢・つくば間で遠隔指導実験を行う。実験結果に基づき、本システムをさらに現場に適合するよう改善する。また製品化に向け、自習ソフトウェアの充実、画像合成部、画像通信部等を改善する。

 なお本システムは、内視鏡下手術以外にも、身体動作を伴う様々な技能のトレーニングに適用できる。今後、スポーツ、伝統技能等のトレーニングやリハビリテーションへの応用を検討していきたい。



用語の説明

◆内視鏡下鼻内手術(内視鏡による鼻内手術)
鼻腔から内視鏡や鉗子などの手術器具を挿入し、内視鏡画像を見ながら行なう手術。上唇を大きく持ち上げて歯茎を切って入り、さらに顔の骨を削る従来の手術に比べて、痛みや出血が少なく患者の負担が小さい。副鼻腔の構造は複雑で狭隘な上、薄い骨の壁を隔てて視神経・脳・動脈等の重要臓器に隣接しており、高度な手術操作技術が要求される。[参照元へ戻る]
◆副鼻腔
頭蓋骨の顔の裏側部分にある、薄い骨の壁で仕切られた空洞。副鼻腔に溜った膿を、生理的線毛機能により自然に排出できなくなったのが慢性副鼻腔炎で、手術の適応対象となる。[参照元へ戻る]
◆精密ヒト鼻腔モデル
産総研で2003年に開発された、世界初の手術可能な内視鏡下鼻内手術手技トレーニング用モデル。副鼻腔を含む鼻内の骨形状が、人体CT画像より精密に再現されている。[参照元へ戻る]
◆ハイパーミラー
ハイパーミラー(HM)は、ビデオカメラで撮影した自分の像(自己像)と対話相手の像を合成し、左右反転してディスプレイ(HM画面)に表示する遠隔対話インターフェースである。HM画面は擬似的な鏡として機能し、遠隔地間の握手や指差しなど空間を共有した相互のやりとりが可能になる。通常のテレビ会議システムに比べ、より優れた空間把握・遠隔地との一体感を実現する。HMの対話者が空間を共有している傍証として、無意識に適切な距離を保つ行動(パーソナルスペースの確保)が観察される。[参照元へ戻る]


関連記事


お問い合わせ

お問い合わせフォーム