発表・掲載日:2002/05/31

脳は頑張れば褒美が貰えることを知っている

-世界で初めて、褒美への期待の大きさを表す脳細胞が前頭葉内側部にあることを発見-

ポイント

  • 目標を達成すればより大きい報酬が得られるというのは我々の行動の基本である。
  • 前頭葉内側部の前帯状皮質に報酬への期待の大きさを表す脳細胞活動を発見した。
  • 人間が行動計画を立てたり選んだりすることや、やる気を起こすのは、この報酬への期待による。
  • 本発見は、人間が行動を決定するための脳内プロセスの解明に役立つことが期待される。
  • 本発見は、秩序だったモチベーションが失われていると考えられる強迫性障害や薬物濫用患者の症状の理解や改善に役立つことが期待される。

概要

 我々の行動の基本は、「目標」と「報酬への期待」を関連付けるモチベーションによる。この時、目標を達成すればどれだけ報酬が得られるかという「期待の大きさ」は脳内のどこでどのように表現されているのだろうか?

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】脳神経情報研究部門【部門長 河野 憲二】の 設楽 宗孝【しだらむねたか】 主任研究員は、米国国立精神衛生研究所(NIMH)の Barry J Richmond博士と共同で、これまで困難だった「目標」と「報酬への期待の大きさ」をコントロールできる課題(多試行報酬スケジュール課題)を開発し、この課題遂行中のサルの脳より単一神経細胞活動を記録・解析した。

 開発した課題を簡潔に説明すると、「数段階の試行を正解すると初めて報酬が貰える」というものである。何回正解すると報酬が貰えるかの手がかりを示しながらサルに課題を遂行させると、エラー率は報酬が近づくにつれて小さくなる。これは報酬がもうすぐ貰えるという期待が大きくなっていることを表す。この時、前頭葉内側部の前帯状皮質【図1】に報酬への期待の大きさに比例して、反応が強くなる神経細胞があることを世界で初めて発見した。さらに、この課題において何回正解すると報酬が貰えるかの手がかりをランダムに表示するように変更すると、報酬にどのくらい近いかがわからなくなってしまうので、秩序だった神経細胞の反応が失われることも確認した。

 今回の成果は、人間のやる気であるとか、行動計画を立てたり選んだりする時の脳内プロセスの解明や、秩序だったモチベーションが失われていると考えられる強迫性障害や薬物濫用患者の症状の理解や改善に役立つことが期待される。

 本成果は、米国サイエンス誌5月31日号に掲載された。

図1 サルの脳のMRI像:赤枠の部分が前帯状皮質



研究の背景

 我々の行動の基本は、目標と報酬への期待を関連付けるモチベーションによる。では、目標を達成すればどれだけ報酬が得られるかという期待の大きさは脳内のどこでどのように表現されているのだろうか? 特に、強迫性障害や薬物濫用の患者では、秩序だった目標と報酬への期待の関連付けが失われていると考えられる。しかし、これら患者の根本的治療の前提となる、正常時における報酬への期待の大きさは、脳内のどこでどのように表現されているのかということがわかっていなかった。これを調べようとする時まず問題になるのが、モチベーションというものが科学的に取り扱い難く、その大きさを定量的に表すことが難しいということである。そのため、「脳の単一神経細胞レベルでこれがどのように処理されているのか」の詳しい研究はほとんどなされていなかった。そこで我々は、モチベーションの大きさをコントロールできる課題(多試行報酬スケジュール課題)を開発してサルに学習させ、課題遂行中のサルの脳内の単一神経細胞から記録・解析を行った。

 今回、次の理由で「前頭葉内側部にある前帯状皮質」を有力候補として記録・解析を行った。

  1. 解剖学的位置:モチベーションや情動の上で重要な刺激に反応して運動を起こすときに重要であるといわれている神経回路がある。解剖学的に神経線維連絡を調べると、[前帯状皮質→腹側線条体→腹側淡蒼球→視床MD核→前帯状皮質]というループを形成していることがわかっている。しかも、前帯状皮質は前頭前野および辺縁系のいろいろな部位と線維連絡があり特に重要な役割を担うことが想像される。
  2. 前帯状皮質が、パフォーマンスモニターとエラー検出、葛藤のモニターと反応選択に重要と言われているが、これらはすべて報酬への近さや見込みを評価することに依存している。
  3. 強迫性障害や薬物濫用の患者など、モチベーションのプロセスに障害があると考えられる患者のfMRI研究では、前帯状皮質に通常より強い活動があることが報告されている。

研究の内容

 モチベーションの大きさをコントロールするためにはどうしたらよいだろうか。我々はまず、サルに単純な視覚色弁別課題【図2A】をトレーニングした。ここでの最終的なゴールは、報酬のジュースを得ることである。「画面中心にあるターゲットの色が赤色から緑色に変わったら、1秒以内にバーから手を離さなければならない」という課題で、通常の課題では1回正解すれば報酬が与えられる。しかしここでは、4回正解しないと報酬が得られない課題とした【図2B】。するとサルは、スケジュールの何回目を行っているかの手がかりを示した場合、1回目、2回目、3回目と報酬に近い試行ほどエラー率が少なくなり【図3白丸】、報酬期待が大きくなった。また、このスケジュールの何回目を行っているかを示す手がかりをランダムにして報酬へどれくらい近いかをわからなくしてしまうと(ランダム条件)、サルは常に低いエラー率でがむしゃらに課題を行うようになった【図3赤丸】

図2 A 視覚色弁別課題 B多試行報酬スケジュール課題  図3 課題遂行のエラー率のグラフ

 そこで次に、この課題を遂行中のサルの前頭葉内側部にある前帯状皮質より単一神経細胞の活動を記録・解析した。すると、スケジュールが進行するに従って、反応強度が徐々に大きくなるものがあることがわかった【図4黒線】。しかも、ランダム条件ではこれらの神経活動は消失するか、一定の強さで常に反応するようになり、徐々に強くなるという特徴は失われることがわかった【図4赤線】

 したがって、このような秩序だった神経活動が失われることが、強迫性障害や薬物濫用の患者の脳内で起きている原因である可能性が示唆された。

 今回の成果は、人間のやる気であるとか、行動計画を立てたり選んだりする時の脳内プロセスの解明や、秩序だったモチベーションが失われていると考えられる強迫性障害や薬物濫用患者の症状の理解や改善に役立つことが期待される。

図4 単一神経細胞の反応例のグラフ



今後の予定

 モチベーションによる目標達成への行動発現の仕組みの一端が解明されたが、[前帯状皮質→腹側線条体→腹側淡蒼球→視床MD核→前帯状皮質]というループ回路全体でシステムとしてどのような情報処理がなされているのかを今後調べていく。これにより、モチベーションシステムの障害に原因があると考えられる患者の症状改善への応用や、モチベーションに基づいて能動的に目標を達成するロボットシステムへの応用に役立てることができるよう、モチベーションシステムの脳内情報処理機構の解明に取り組んでいく。

用語の説明

◆単一神経細胞活動
脳は多数の神経細胞より構成されている。個々の神経細胞が特定の信号を出し、それらが複雑に絡み合って様々な情報処理を行っている。したがって、脳が行っている情報処理のメカニズムを解明するためには、1つ1つの神経細胞が出している信号を捉えて、それらから全体の情報処理機構を構成していかなければならない。[参照元へ戻る]
◆前頭葉内側部の前帯状皮質
【図1】にサルの脳のMRI像を示す。前額断で示しており、赤線で囲った部分が記録・解析を行った前帯状皮質である。帯状皮質は帯状溝の上下に存在するが、前半部の前帯状皮質と後半部では機能的に異なっているといわれている。[参照元へ戻る]
◆神経線維連絡[前帯状皮質→腹側線条体→腹側淡蒼球→視床MD核→前帯状皮質]
脳内で、どの領域の神経細胞の信号が次にどこの領域の神経細胞へ伝わっているかを解剖学的に調べたのが神経線維連絡である。脳内では、「大脳皮質→大脳基底核(入力部と出力部)→視床→大脳皮質」というループ回路がいくつかあり、各ループは異なる行動発現に関与しているといわれている(Alexander, 1986)。大脳皮質のうち前帯状皮質を含むループ回路は、モチベーションや情動の上で重要な刺激に反応して運動を起こすときに重要であるといわれている。[参照元へ戻る]
◆前頭前野、辺縁系
前頭前野は前頭葉のうち前半部に位置し、さまざまな高次機能、特に、状況に応じた文脈の情報を担っているといわれており、一方、辺縁系は大脳半球内側面辺縁部にあって、情動および自律運動系・内分秘系に関与しているといわれている。[参照元へ戻る]
◆パフォーマンスモニター、エラー検出、葛藤のモニター、反応選択、fMRI研究
fMRIは機能的MRIのことで、通常のMRIが形態を観察するのに対し、機能的MRIでは脳のどこが働いているのかを調べることができる。ヒトの被験者にいろいろな課題を行ってもらい、そのときに脳のどこが働いているのかを調べた研究がこれまでに報告されている。課題をどのくらいうまく行っているか、或いは間違っているか、葛藤するような条件があるときにどこが反応するか、色々な選択肢から1つの反応を選択するときにどこが反応するかなどを調べた研究で、前帯状皮質が働いているという報告がある。[参照元へ戻る]


お問い合わせ

お問い合わせフォーム