発表・掲載日:2008/08/25

歯(親知らず)からiPS細胞を樹立

ポイント

  • ヒト人工多能性幹細胞(iPS細胞)の樹立が報告され、臨床応用への期待が高まっているが、この樹立に用いられた細胞の種類は限られている。
  • 今回、日常的に数多く捨てられるヒト組織(親知らず)からiPS細胞樹立を試みた。
  • 長期間冷凍保存された細胞からも樹立でき、多くの患者に将来適応でき得ることを示した。

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】セルエンジニアリング研究部門【研究部門長 三宅 淳】組織・再生工学研究グループ大串 始主幹研究員(研究グループ長兼務)、小田泰昭らは、親知らず(歯胚)の歯胚由来間葉系細胞からiPS細胞を樹立した。

 京都大学山中伸弥教授のiPS細胞樹立の報告以後、この細胞の増殖能と分化能が非常に優れていることは証明されつつあるが、実際の応用、特に臨床応用への展開は不明の点が多い。多くの患者に適応するためには、細胞を得やすく、保存でき得るヒト細胞からiPS細胞への誘導技術の確立が求められていた。

 今回、我々はiPS細胞の再生医療への実用化を目指し、患者の同意の下に得られ、産総研で数年間冷凍保存されていた歯胚由来間葉系細胞を融解し、この細胞にSOX2, OCT3/4, KLF4遺伝子を導入することにより、iPS細胞を樹立することに成功した(図1)。

 これまで抜歯時に捨てられていた親知らずの歯胚組織が、iPS細胞樹立の源となることが明らかになり、広範囲な再生医療に利用できる可能性を示した。

 本技術の詳細は、2008年8月21日に東京大学で開催された再生医療を目指したナノバイオテクノロジーのシンポジウムで発表された。

図1

図1 樹立したiPSの活発な増殖能(同一コロニー)


背景

 京都大学山中教授の人工多能性幹細胞(iPS細胞)の樹立により再生医療は次の時代へ入りつつある。当初のiPS細胞は癌の発生が懸念されるMYCを含む4遺伝子が使用されていた。その後、MYCを含まない3遺伝子で作製可能であることも山中教授より報告された。しかし、現在発表されているヒト細胞を用いてのiPS細胞作製の多くはMYCを用いている。また、細胞ソースとしては幼弱な細胞が多く、ほとんどが皮膚細胞で一部骨髄細胞等であり、成人の細胞からのiPS細胞の報告はまれである。

 iPS細胞を臨床応用するには細胞ソースの年齢や種類が問題となる。もし、成長したヒトより得られる組織でかつ捨てられる組織からiPS細胞が誘導されれば、iPS細胞作製が容易になるのみならず、バンキングも可能となる。特に若年者の組織からiPS細胞を樹立できれば、将来の疾病に自身のiPS細胞が利用可能となる。また、HLAのタイプをマッチングすることで、他家移植も可能となる。すなわち、iPS細胞を臨床応用にむけて実現化するためには、適切なヒト組織の選択と、それを用いてのiPS細胞の樹立方法確立が希求されている。

結果

 以上の背景をふまえ、我々は歯科医で抜歯されている親知らず(歯胚)に注目し、歯胚からiPS樹立が可能かの検討を行なった。

 冷凍保存されている患者の歯胚由来間葉系細胞を解凍して、間葉系細胞を増殖させた。増殖した細胞にOCT4, SOX2およびKLF4遺伝子をレンチウイルスを用いて導入し(図2)、6日間牛胎児血清を用いて培養をおこなった。その後、細胞を剥離してマウスフィーダー細胞の上に播種しさらにb-FGF蛋白を培地に添加して約30日間培養を行うと、図1にみられるようなコロニーが検出できた。

図2

図2 歯からiPSの樹立

 このコロニーは扁平な形状(図3A)で、日が経過するとともに中心部が分化細胞へ転化した(図3B)。コロニーを分散し、他のシャーレに播種することにより、数日で多くのコロニーを形成した(図3C)。繰り返し同様の操作ことを行うことにより一個の歯胚由来間葉系細胞から約17日間で1万個、25日間で100万個のiPS細胞が得られた。このように、非常に増殖能と分化能の高い細胞である。さらに、ES細胞胚性癌腫細胞(EC)に発現している遺伝子の発現も確認でき、さらにテロメラーゼ逆転写酵素の高い活性も検出できた(図4)。

図3

図3 iPSのコロニー


図4

図4 テロメラーゼ逆転写酵素活性
階段状にDNAが伸張され、熱処理(heat +)により酵素活性は失活する。

 このコロニーをES細胞に多く発現している蛋白に対する免疫染色を行なったところ、コロニーの中の未分化細胞が含まれている領域にNANOG、SSEA3およびTRA-1-60等の蛋白が検出できたが、一部分化が始まっている領域(図5星印)にはこれらの蛋白が検出できなかった。このことより、未分化の状態を維持しながら増殖するが、条件によって一部分化を開始することが判明した。 また、NANOGやREX1遺伝子のプロモーター領域のDNAは脱メチル化されている傾向にあった。さらに、浮遊培養をおこなうことにより多数のボール状の細胞塊(Embryoid body)が得られた(図6)。これらの結果は、歯胚由来間葉系細胞がリプログラミングを起こし、胚性幹細胞(ES細胞)様の細胞にもどり、iPS細胞になったことを示している。

図5

図5 未分化および分化(星印)領域のES細胞関連蛋白発現


図6

図6 胚様体(embryoid body)

 以上、これまで抜歯時に捨てられていた親知らずの歯胚組織が、iPS細胞樹立の源となることが明らかになり、広範囲な再生医療に利用できる可能性を示した。

 本技術の詳細は、2008年8月21日に東京大学で開催された再生医療を目指したナノバイオテクノロジーのシンポジウムで発表された。

問い合わせ

(研究担当者)
独立行政法人 産業技術総合研究所
セルエンジニアリング研究部門 主幹研究員 兼 組織・再生工学研究グループ長
大串 始
E-mail:hajime-ohgushi*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)

独立行政法人 産業技術総合研究所
セルエンジニアリング研究部門 組織・再生工学研究グループ 研究員
小田泰昭
E-mail:y-oda*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)

用語の説明

歯胚
歯と歯周組織の源は歯胚に由来する。この歯胚はエナメル器、歯乳頭、歯小嚢で構成され、歯として完成し萌出するまで顎の骨の中に埋伏している。[参照元に戻る]
◆間葉系細胞
間葉系細胞とは未分化な細胞で、筋肉、骨、脂肪等、種類の異なるさまざまな細胞に分化できる能力を持ち、かつ自己複製の能力を持つ細胞である。骨髄に存在する間葉系幹細胞がその代表的なもので、骨、軟骨、心筋の再生の臨床応用が始められつつある。しかし、この分化・増殖能は限りがあり、一ヶ月も培養をすることで、これらの能力が激減する例も数多い。[参照元に戻る]
◆iPS細胞(induced pluripotent stem cell:人工多能性幹細胞)
2007年11月21日、京都大学の山中 伸弥 教授らはヒト皮膚細胞に4つの遺伝子を導入することで、ES様細胞のiPS細胞の確立を報告した。また米国ウィスコンシン大学のジェームズ・トムソンらも同様の発表を行った。[参照元に戻る]
◆分化
細胞にはいろんな種類があり、それぞれの役割を担っている。例えば、骨細胞、筋肉細胞、神経細胞等である。分化とは未分化な細胞がその目的に応じて、形や性質をかえて種々の役割を担う細胞になることを意味する。[参照元に戻る]
◆再生医療
人工的に培養した細胞や組織を用いて、病気やけがなどによって失われた臓器や組織を修復・再生する医療。[参照元に戻る]
◆バンキング
必要な資源をいつでもどんなときにでも迅速に提供できる体制。ここでは細胞を資源と捉えている。[参照元に戻る]
◆HLAタイプ
HLAタイプとは、ヒト白血球型抗原の略で、個人に固有の遺伝性の抗原。[参照元に戻る]
◆他家移植
自身の組織や細胞を自身に移植する場合を自家移植といい、他人の組織や細胞を移植する場合を他家移植という。[参照元に戻る]
◆コロニー
培養細胞などが形成する単一細胞由来の細胞塊。[参照元に戻る]
◆ES細胞
胚性幹細胞。発生初期段階の細胞塊より作られる幹細胞株。生体外にて、理論上すべての組織に分化する多能性を示す。[参照元に戻る]
◆胚性癌腫細胞(Embryonal carcinoma, EC)
マウスの奇形癌腫から樹立された細胞でES細胞と似た性質をしめす。[参照元に戻る]
◆テロメラーゼ逆転写酵素(TERT)
染色体の末端にあるテロメアは、細胞が分裂するたびに少しずつ短くなる。そしてある長さに達すると、細胞は分裂をやめ、活動を停止する。ところが、精子や卵子といった生殖細胞は、分裂を繰り返してもテロメアの長さが変わらない。短くはなるのだが、そのたびに「テロメラーゼ」という酵素が修復、伸ばしてしまう。人間の場合、生殖細胞以外の細胞ではテロメラーゼが働かない。間葉系幹細胞も例外ではない。しかしES細胞やiPS細胞は、テロメラーゼが機能するので増殖活性が高い。[参照元に戻る]
◆免疫染色
免疫染色とは抗体を用いて、組織標本中の抗原を検出する組織学(組織化学)的手法のこと。[参照元に戻る]
◆胚様体(Embryoid body, EB)
ES細胞は種々細胞に分化しうる多様性を持つが、細胞間の相互関係が関係している。その一つに、胚様体と呼ばれる細胞塊の形成がある。この細胞塊は、ES細胞が分化しつつ集合し分化した器官(組織)として機能し始めるプロセスにあるものと示唆される。[参照元に戻る]