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原器から物理定数へ!130年ぶりとなるキログラムの定義改定定義改定に産総研が大きく貢献!挑み続けた研究者の30年

2020年9月掲載
作:藤井賢一

単位とは

日常の生活のなかで自分の身長や体重、体温などを測ることがあると思いますが、それらの測定結果について家族や医者と相談するときには単位が必要ですね。

「物理量」は「数値」と「単位」との積として与えられるので、単位さえ統一しておけば、国境を越えて物理量の大きさを互いに正しく把握することができるのです。このことは科学技術に限らず、商業や産業、貿易などにおいても重要です。

このため、エジプトやメソポタミアで古代文明が誕生した頃から、建設や農耕のためにいくつかの基本的な単位が用いられてきました。現在では国際単位系(SI)と呼ばれる世界共通の単位が用いられています。

物理量とは

ものごとの量。例えば、「質量(重さ)」は物理量で、「72kg」の体重は、「1kg」という基準の重さの「72倍」の重さであることを示しています。

このSIには七つの基本単位があります。

例えば「メートル」は北極から赤道までの子午線の長さの1千万分の1としてフランス革命の頃に定義されました。その後、相対性理論が登場し、光の速さが宇宙の何処でも一定であるという法則を利用して、光が一定時間に進む距離としてメートルは定義されています。「秒」も以前は地球の自転や公転の周期によって定義されていましたが、現在はセシウム原子時計の振動周期よって定義されています。キャンドルを語源とする「カンデラ」も昔はロウソク一本分の明るさが基準でしたが、現在では電磁波のエネルギーから定義されています。

このようにSI単位には、人間の五感で感じ取れる大きさの物理量が選ばれてきましたが、科学技術の進歩とともにその定義は変遷を重ね、より普遍性の高い定義へと進化してきたのです。

ただし、質量の単位である「キログラム」だけは、1889年に、国際キログラム原器という人工物(白金90%、イリジウム10%から成る合金)の分銅の質量を1キログラムとする、と定義されて以来、一度も変わることなく現在に至ってしまったという珍しい単位なのです。

メートル条約の加盟国に配られた各国のキログラム原器(国際原器の複製品)の質量を、パリ郊外にある国際度量衡局が、国際キログラム原器と定期的に比較して値付けすることで、世界の質量の基準は維持されてきました。

メートル条約とは

「メートル法」という単位の決まりを使うことを定めた条約。1875年に締結されました。現在の加盟国は準加盟国を含め101か国で、日本は1885年(明治18年)から加盟しています。この条約に加盟している国では、(ヤード・ポンド法やcgs法ではなく)メートル、キログラムなど7つの基本単位を使用する「メートル法」を使用します。

 
1889年に日本がパリで受領した日本国キログラム原器No. 6の写真
1889年に日本がパリで受領した日本国キログラム原器No.6
直径と高さがとともに39㎜の直円筒型。白金90%、イリジウム10%から成る合金製。
 

写真は1889年に日本が受領した日本国キログラム原器No.6です。産総研の計量標準総合センター(NMIJ)で大切に保管されています。

しかし、人工物である以上、その質量の安定性には限界があります。過去100年間にわたる国際原器と各国の原器との質量比較などから、原器の質量は表面汚染などの影響で変動し、その安定性は1億分の5程度が限界であることが分かってきました。このため、現代的な手法でその定義を変えるための研究が日本でも50年程前から行われてきました。

それでも、キログラムの定義改定はなかなか実現しませんでした。130年前の最新技術である真空冶金技術で鍛造された白金イリジウム合金の質量の安定性が極めて優れていたからです。当時の技術者が、この合金を使えば数万年経ってもその質量は変わらないだろうと豪語していたほどです。

このため、キログラム原器の安定性を超える、高精度な質量の国際的な基準を作り出し、新しい定義を作ることが、ごく最近までできなかったのです。2012年に科学誌『ネイチャー』に掲載された記事では、キログラムの定義改定は重力波検出などと並んで、物理学で解決できていない五つの重要課題の一つに挙げられていたほどです。

ところがようやく近年、「プランク定数」という物理定数を使うことによって、キログラム原器を上回る精度で質量の基準を実現することが可能になり、2018年11月に開催された国際度量衡総会(メートル条約の最高会議)で、キログラムの定義をプランク定数を用いた定義に改定することが採択されました。

そして、2019年5月20日の世界計量記念日(メートル条約の締結日)から新しい定義が施行されました。

アボガドロ定数との出会い

筆者が工学部の学生だった頃は、密度や温度などの物理量を精密に計測して省エネルギーに役立てる研究を行っていたので、つくばに工業技術院計量研究所(現在の産総研計量標準総合センター)という研究機関があることを知り、1983年の夏、就職面談のために計量研究所を訪問しました。そのとき、お昼休みの研究所の食堂で、ある年配の研究者に偶然出会いました。

彼はキログラムの定義を変えるためにアボガドロ定数の精密測定を行っているというのです。19世紀末に国際キログラム原器という人工物の分銅によって定義されて以来、その定義は変わっていないということをそのとき初めて知りました。

入所直後は水の密度を再測定する研究に加わりました。水は他の物質の密度や体積を測るときに用いられますが、その値は19世紀末に測定されたのが最後でした。このため、石英ガラス球の直径をレーザー干渉計で測り、その体積を基準として水の密度を精密に再測定するための研究が行われていました。

この頃、シリコン(ケイ素)の結晶を1kgの球体に磨くことが日本でもできるようになりました。X線結晶密度法と呼ばれる方法でアボガドロ定数を測り、原子の数からキログラムの新しい定義を実現することができると考えられましたが、そのためには、シリコン結晶の格子定数(原子間距離)とモル質量(同位体存在比)の他に、密度の精密な値が必要です。

アボガドロ定数によるキログラムの新しい定義

アボガドロ定数を決めることができれば、物理の式に従って、プランク定数を求めることもでき、高精度なキログラムの定義が可能になります。

格子定数、モル質量とは

格子定数とモル質量、密度測定を用いたアボガドロ定数の計測について、詳しくは、計量標準総合センターの解説「プランク定数にもとづくキログラムの新しい定義とその実現方法」をご覧ください。

このため、石英ガラス球の直径を測るレーザー干渉計を既に開発していた筆者がシリコン結晶球の密度測定を担当することになりました。そして、1988年に計量研アボガドログループが結成されました。

当時は5人でシリコン結晶の格子定数と密度を測るところから開始しました。100年間誰もできなかったことを成し遂げてみたいという意気込みはありましたが、原器の安定性を超える精度で原子の数を測ることは極めて難しく、研究プロジェクトが危機を迎えたこともありました。当時のプロジェクトリーダーだった田中さんは、「我々が生きている間にキログラムの定義を変えるのは無理でしょう」と語っていたほどです。

数年後にアボガドロ定数を測ることに成功しましたが、精度向上の見通しはなかなか得られません。この頃、私が担当していたシリコン結晶の密度測定の精度は1億分の9が限界でした。原器の安定性である1億分の5という壁を超えられないでいました。別の測定原理を模索して、ライバルである米国の標準技術研究所(NIST)に滞在し、電気的な方法でキログラムの定義を改定するための研究を行っていた時期もありました。

研究を支えた海外との交流

転機が訪れたのは帰国後の2002年です。

私たちと同様の研究を行っていたドイツ物理工学研究所(PTB)の研究者から提案があったのです。結晶の材料として用いるシリコンの同位体を濃縮してみないか、と言うものでした。同位体とは陽子の数が同じでも中性子の数が異なる元素のことです。

シリコンには28Si、29Si、30Siの3種類の安定同位体がありますが、28Siの同位体濃縮が実現できれば、それまでアボガドロ定数の精度でボトルネックとなっていたモル質量の測定精度を一気に上げることができます。

シリコン(ケイ素)の同位体存在比の図
シリコン(ケイ素)の同位体存在比
左:自然界のシリコン。右:質量数28のシリコン(28Si)を遠心分離技術によって同位体濃縮したもの。
2004年に開始したアボガドロ国際プロジェクトでは28Siを濃縮した結晶を用いることでアボガドロ定数の測定精度を飛躍的に向上させました。

ところが、数キログラムの28Siを濃縮するためには巨費を要します。技術的にも難易度が高く、ロシアの核技術を使って濃縮する必要がありました。しかも、キログラムの定義改定は計量学(metrology)における長年の夢だったので、過去にNIST(米国)やPTB(ドイツ)など幾つかの研究機関が大規模な研究開発を行ったものの、十分な測定精度が得られなかったという失敗の歴史もありました。

このため、定義改定を本当に実現できるのかという関係者の懸念もありましたが、今回はシリコンの大規模な同位体濃縮という過去に取り組んだことのない新しい技術を導入することなどを国内外に広く説明し、そのための詳細な研究計画を立案しました。

その結果、徐々に関係者の理解も得られるようになり、2004年からこの同位体濃縮プロジェクトが始まりました。この頃から筆者はドイツ、イタリア、国際度量衡局などとのこの国際プロジェクトのコーディネーターを務め、産総研内では研究プロジェクトリーダーとして更なる精度向上を目指していました。

その後、この国際プロジェクトは順調に進み、2007年には28Siだけを99.99%にまで濃縮した結晶が得られました。この結晶から1kgの結晶球を作成し、その直径(約94mm)をほぼ原子間距離の精度(0.6nm)で測ることができるレーザー干渉計などを開発して、結晶密度の測定精度を1億分の2まで向上させることに成功しました。

レーザー干渉計の写真
中央に見える1kgのシリコン結晶球の直径をサブナノメートルの精度で測るレーザー干渉計

2011年には原器の質量安定性を凌ぐ精度での最初のアボガドロ定数の測定結果が得られました。その後も改良を重ね、世界を納得させるのに十分な精度のデータがいくつか得られるようになりました。

さらに2017年には、キログラムの新しい定義に用いるプランク定数の値を決定するために、科学技術データ委員会(CODATA)による物理定数の調整が行われました。

そのうちの四つは産総研やドイツ、イタリアの研究機関などがアボガドロ国際プロジェクトで測定したアボガドロ定数の値を、基礎物理定数の関係式を使ってプランク定数に換算したものです。130年ぶりとなるキログラムの定義改定に産総研が大きく貢献する成果を残すことができました。

そして、2018年11月にベルサイユで開催されたメートル条約の総会で、キログラムの定義を改定することが承認されました。筆者がこの研究を始めてから、ちょうど30年目のことです。

各国のプランク定数のデータ
プランク定数の値の決定
CODATAがキログラムの新しい定義に用いるプランク定数の値を決定するために行った特別調整。
赤:産総研、ドイツ、イタリアなどの研究機関がアボガドロ国際プロジェクトで測定したアボガドロ定数の値をプランク定数に換算したもの。
青:ワットバランス法と呼ばれる電気的な方法でカナダ、米国、フランスが測定した値。
黄:これら八つのデータの重みづけ平均からCODATAが決定したプランク定数の特別調整値。
エラーバーは標準不確かさを表します。

新しい定義がもたらすもの

キログラムの定義改定がもたらす最も大きな恩恵は、パリ近郊の国際度量衡局(BIPM)に保管されている国際原器に頼ることなく、技術さえあれば誰もがプランク定数に基づいて質量の基準を持つことができるようになるということです。これは長さの定義がメートル原器から光の速さに置き換えられ、光の周波数さえ測ることができれば、誰もが長さの基準を持つことができるようになったのと同じです。

また、これまでの定義で測定できる最小質量は1µg(マイクログラム:100万分の1グラム)程度が限界でした。新しい定義では分銅に頼る必要がないので、プランク定数と比較することができる新しい計測技術さえ開発すれば、さらに小さい領域の質量を測ることが可能になります。

このような新しい計測技術の開発にも産総研は既に取り組んでいます。このような計測技術は例えば新薬の開発や環境中の微粒子の計測、インクジェット技術、半導体デバイスの質量計測などを通じて、バイオテクノロジーやナノテクノジーなどに広く貢献するものと期待されています。

このような単位の進化には長い時間がかかりますが、約半世紀にわたる研究者の夢がようやく結実し、キログラムの定義改定が130年ぶりに実現しました。