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世界でいちばん正確な1秒!テクノロジーと「不確かさ」とのあくなき闘い

2023年10月更新

高精度原子時計

あなたが携帯電話をかけているとき、携帯電話器と基地局の間には、電波が交わされています。その電波の周波数は、800MHz~1.5GHzくらい。これは、電波が1秒間に進む間に、8億回~15億回も振動するという意味です。

もし1秒間という時間の長さがあいまいだったり、狂っていたりしたら、周波数も狂ってしまい、あなたの携帯電話はまったく(カメラ機能は別でしょうが)役に立たなくなります。友達にかけたのに見ず知らずの人が出たり、どこにもつながらなくなったりしてしまうでしょう。

ではそもそも、1秒間とはなんでしょうか?

1956年までは、地球の自転周期から定義されていました。「地球は24時間で1回転するから、その86,400分の1が1秒」というわけです。1967年までは、地球の公転周期が基準でした。「地球が太陽の周りを一周する時間の31,556,925分の1が1秒」でした。

しかしどちらも、一定ではありません。自転周期や公転周期は、わずかながら、早くなったり遅くなったりするからです。

現在では、セシウム(Cs)という原子の共鳴周波数が1秒の基準になっています。これを利用して、きわめて正確な時間を測る時計が、原子時計なのです。

産業技術総合研究所(産総研)で開発した原子時計「NMIJ-F2」は、7000万年に1秒しかずれないという、世界最高水準の高精度を誇っています。7000万年といってもピンと来ないかもしれません。人類が誕生してから200万年、恐竜が絶滅してから6500万年と言われていますから、途方もない時間なのは確かです。

それでは、この高精度を実現したテクノロジーと、「NMIJ-F2」の役割をご紹介していきましょう。

図1

文字盤のない時計

機械の写真

皆さんが持っているクオーツ時計は、水晶の振動を利用して1秒を測っています。たとえば水晶振動子が32,768回振動すると1秒、といった具合です。一般的なクオーツ時計の精度は、6桁~7桁程度。これは、100万秒から1000万秒につき1秒ずれる、という意味です。かなり高精度のように見えますが、100万秒はたったの11日半でしかありません。クオーツの中でも最高のものは、10桁の精度がありますが、これを使って時計を作ったとしても、100年に1秒程度ずれてしまいます。

ずれた時間は、正確な時間に合わせなくてはなりません。その正確な時間の基準を決めているのが、原子時計なのです。

すべての原子は、固有の共鳴周波数を持っています。原子は、この共鳴周波数のマイクロ波だけを吸収したり放出したりします。

1秒の基準となっているセシウムの共鳴周波数は、9,192,631,770Hz。この周波数にぴったり合ったマイクロ波を浴びたときだけ、セシウム原子のエネルギー状態がわずかながら高くなります(「励起れいき」と呼びます)。共鳴周波数は一定不変ですから、励起しない場合は、周波数が間違っているということになります。言い換えれば、セシウム原子が励起したなら、そのマイクロ波の周波数は9,192,631,770Hzである、と証明できるのです。

周波数が9,192,631,770Hzなら、その周期は9,192,631,770分の1秒です。当然、周期の9,192,631,770倍の時間が、1秒になります。

つまり原子時計とは、マイクロ波の周波数を確認することで、1秒の長さを決めるものなのです。原子時計というのも実は通称で、正式名称は「原子周波数標準器」といいます。ですから、原子時計には文字盤が必要ありません。

原子時計は、周波数を確認して、クオーツ時計の水晶発振器にフィードバックし、安定化させるためのものなのです。原子時計は、テレビ局やラジオ局、NTT、携帯電話の基地局、GPSの衛星など、正確な時間や周波数を必要とする、さまざまな場所で使われています。

これらの原子時計、すなわち「原子周波数標準器」は、12桁から13桁の高精度を実現しています。1万年から10万年に1秒のずれです。

しかし、これらの「原子周波数標準器」もチェックを受けています。チェックしているのは、「1次周波数標準器」と呼ばれる、世界に十数台しか存在しない、より高精度な原子時計です。

産総研が開発した原子時計「NMIJ-F2」は、その1台なのです。

不確かさをもたらすもの

原子の共鳴周波数が一定不変なら、それを利用した原子時計で測った1秒も一定不変で、ずれることはないはずだ、と思われる方もいるかもしれません。ところがそうはいきません。原子時計に「不確かさ」をもたらす要因が、いくつもあるのです。

そのひとつが、「原子の熱運動」です。

原子時計で使うセシウムはアルカリ金属で、常温では固体です。まずはこれを熱して、気体にしなければ、原子を扱うことはできません。ところが、気体となったセシウム原子は、熱運動が活発になり、平均300m/sという音速に近いスピードで飛び回ります。

相対性理論にある「ウラシマ効果」という現象をご存じでしょうか。高速で移動していると、時間の流れが遅くなる、というものです。300m/sでの「ウラシマ効果」は微々たるものですが、それでも確実に存在し、正確な測定を阻んでしまいます。

もうひとつが、「観測時間の短さ」です。

マイクロ波による原子の変化を観測する時間が長ければ長いほど、原子時計は高精度になります。ところがセシウム原子は、原子時計の中を平均300m/sで飛んで行きます。観測時間はほんのわずかしかありません。これを解決するには、原子時計を大きくするしかありませんでしたが、それにも限界があります。

原子を止めてしまえばいい

産総研の「NMIJ-F2」が、「原子の熱運動」と「観測時間の短さ」という問題点をクリアした手段は、画期的なものでした。

「NMIJ-F2」では、まず、原子の運動を止めてしまいました。

光には輻射圧ふくしゃあつという圧力があります。ごくわずかな圧力ですが、小さな原子に対しては、重力の1万倍もの影響力があります。これを利用して、運動している原子に、上下左右前後の6方向から、共鳴周波数よりも少しだけ低い周波数のレーザーを当てるのです。原子はレーザーが交差する中心に集められ、速度が落ちるために温度が下がりますので、この効果を「ドップラー冷却」と呼んでいます。

原子はぴたりと止まりましたが、そのままではマイクロ波を照射するわけにはいきません。レーザーによる影響があるため、相互作用を正確に観測することができないからです。いったん捕まえた原子を、解き放ってやる必要があります。とはいえ、レーザーを切れば原子は重力にしたがって落ちるだけですから、レーザーの圧力で、ぽーんと上に放り投げてやるのです。

放り投げた直後と、落ちてきたときに、マイクロ波を照射して共鳴周波数を確認します。そのときの原子のスピードは4m/s程度。止まっている、とまではいきませんが、格段にスピードが落ちています。

この方式により、「NMIJ-F2」は、16桁(4.6×10-16)の高精度を実現しました。これは、7000万年に1秒しかずれないというもので、もちろん世界最高水準です。

ドップラー冷却の説明図
ドップラー冷却
「共鳴周波数」よりちょっと低い周波数を持つレーザー光を6方向から照射すると、運動している原子はその中心に集められ、速度がなくなる=冷却される。
原子泉方式の原理の説明図
原子泉方式の原理
6本のトラップレーザーがセシウム原子の動きを止め、真上に加速して原子の噴水を生成させる。上方にはマイクロ波が配置されており、そこで励起された原子は下方でレーザー光によって検出される。

不確かさを追求する

「NMIJ-F2」は、レーザー技術、マイクロ波技術、超高真空技術(内部は10-9パスカルという、限りなく真空に近い状態にされています)など、さまざまな技術の極限を結集したものです。

 

それでも、「不確かさ」は存在します。「不確かさ」をもたらすものは、「原子の熱運動」や「観測時間の短さ」だけではないのです。

 

まず、磁場があります。「NMIJ-F2」は厳重な磁場シールドを備え、地磁気などの磁場の影響を限りなくゼロに近づけていますが、磁場がゼロでない限り、周波数シフトというずれが生じてしまいます。

 

静電気などの電場や、原子同士の衝突、装置そのものの黒体こくたいふくしゃなども、無視できない周波数シフトをもたらします。

 

また、セシウム原子のスペクトルに、他の無関係な信号が混ざってしまい、どうしても分離できないという「他遷移の引き込み」という現象も発生してしまいます。

 

重力の影響もあります。アインシュタインが予言したとおり、重力と時間は密接に関係していて、たとえば標高が高いほど、時間の進み方が早くなります。

 

宇宙の彼方で、セシウム原子がぽつんと浮かんでいるのであれば、周波数シフトもなく理想的なのですが、そうもいきません。

 

周波数シフトの原因を究明し、原因がわかれば、それがもたらすシフトの大きさを見積もり、さまざまなシフトを積み上げて、原子時計の「不確かさ」を評価する必要があるのです。

最大の目的は、国際貢献

「NMIJ-F2」を開発し、その「不確かさ」を評価し続けている目的は、国際貢献にあります。

「NMIJ-F2」は、「1次周波数標準器」として、時間の標準となる「協定世界時(UTC)」を監視する使命を担っています。世界の時間の番人といえるでしょう。

時間の標準が正確に決まれば、他の標準もより高精度になっていきます。たとえば長さの標準は、現在では光の速度から決定していますが、その測定に時間の正確さは欠かせません。電圧の標準も、周波数で決定します。これまでに述べてきたように、周波数と時間は表と裏の関係にあります。

最先端の科学研究にも貢献します。重力波を検出して相対性理論を検証したり、一定不変のものと考えられていた基礎物理定数を再検証したりするには、高精度な時間の標準が不可欠なのです。

産業界にも、大きな影響を与えています。

1秒の精度が高まれば、電波の周波数がより正確になり、これまで以上に大容量・高速の情報通信が実現します。カーナビや携帯電話などに使われるGPS測位技術も、高度化していきます。

原子時計がはじめて開発されたときには、そんなに正確な1秒が必要あるのか、という声もありましたが、正確な1秒のおかげで、それからGPSが開発され、携帯電話などの情報通信も格段に進化しました。原子時計が進歩を続ければ、これからも新しい技術を生み、新しい商品開発につながっていくのです。

セシウム原子時計は、9.2 GHzというマイクロ波領域の共鳴周波数を持ちます。現在、それよりも約5桁高い光領域の共鳴周波数を利用する、光時計の開発が進んでいます。光時計は、セシウム原子時計よりも更なる高精度が期待されており、特に我が国で発明された光格子時計は、秒の再定義の有力な候補となっています。

高精度原子時計のは休講の図

ここで紹介した研究は、物理計測標準研究部門で行われています。