Vol.7 No.3 2014
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研究論文:放射線による生体障害を軽減する高安定化細胞増殖因子の開発(今村)−141−Synthesiology Vol.7 No.3(2014)ガンマ線、X線、中性子線等放射線の種類や生体に吸収されるエネルギーにより、質や程度に差はあれ、水が励起されて生成する活性酸素やフリーラジカルによる生体物質の変性、遺伝子核酸の切断等さまざまな影響が現れる。このような影響の多くは正常な生命活動にとって好ましくない。しかし、生命は元来、宇宙線や地球自体の発する放射線、食物として取り込んだ物質に由来する放射線等、自然環境中の放射線に適応し進化してきたため、それらの影響を克服する分子メカニズムを内包している。したがって、自然環境中に存在する程度の放射線による影響の大部分は個体レベルでの問題には至らない。しかし、非常に高線量の放射線を一度に被ばくすると必ず短期間で障害が発生し(これを確定的影響:急性障害という)、生体の自然治癒力を越えて最悪の場合には個体死に至る。また、より少ない被ばくによっても、ある確率で長期間が経過してから障害が生じることがある(これを確率的影響:晩発性障害という)(図1)。そこで、事故や医療行為等で発生する高線量の放射線に対する対策の第一は、線源からの距離を取る、また放射性物質や放射能を帯びた粒子を体内に取り込まないようマスクをするなど、物理的な方法によって生体を放射線から遮蔽することである。しかし、物理的に遮蔽できない場合に備えて、放射線が生体に与える影響を軽減するための第二の対策として主に化学物質を用いた防護方法が開発された。例として、放射線により発生するフリーラジカルを化合物により無毒化することによって遺伝子核酸など障害を受けやすい生体物質を守る、また体内に入ってしまった放射性物質をキレートして体外への排出を促進するなどの方策が開発されてきた。しかし、これらはいわば受け身の対策であるといえる。これに対し、攻めの対策とも表現できる第三の対策が近年開発されてきた。すなわち、生体の構成単位である細胞に直接働きかける分子を用いる生物学的機構を介する放射線防護方法である。その事例として、生体の構成単位である細胞の生存を維持したり増殖を促進したりする活性を有する細胞増殖因子やサイトカインなどと呼ばれるシグナル分子群が、細胞の放射線障害を予防したり減弱する活性を示すことが確認されたのである。そこで、これらシグナル分子群を利用した生物学的防護方法を、放射線からの電磁気的遮蔽や放射性物質からの物理的遮蔽や化学物質を用いた防護と組み合わせれば、総体としての放射線障害を最大限防護できると期待される。よって、生物医学の最新知識やシグナル分子に関する知見を総動員して、防護効果のより高いシグナル分子を開発することに大きな研究開発の余地があると我々は考えている(図1)。我々は、シグナル分子の多機能性に注目し、その新規生理機能と分子機構の解明を通じてさまざまな応用につなげるという研究のパラダイムを掲げている。この論文では、放射線防護剤という応用の実現へ向けたシグナル分子の研究という観点から、これまで行ってきた研究を総括し、今後の展開について述べる。この研究の過程で我々は、一般の医薬品と放射線防護剤とでは、製品として社会に出していくためのシナリオが異なることを知った。すなわち一般の医薬品の開発のような対象疾病患者群に適用する臨床試験によって有効性を検証するというシナリオは、全身性の高線量放射線障害の防護剤開発には用いることはできない。そのため、放射線防護剤の開発は一般の医薬品開発よりも困難が多い。この論文では、放射線防護剤の創薬に向けた基礎研究機関における研究開発のシナリオについて述べる。3 実用的な防護剤というアウトカムにつなげるためのシナリオと実現のための構成的方法我々は、開発したシグナル分子タンパク質(FGFC)を基盤とした放射線防護剤開発を行っている。FGFCの詳細については後段(項目7)で述べる。放射線防護剤候補分子としてのFGFCを防護剤医薬品というアウトカムにつなげるためのシナリオとして、我々は当初は直線的な開発を想定していた。直線的な開発とは通常の医薬品の開発でたどる過程であり、1)医薬候補物質の安全性試験、2)対象疾病(この研究では高線量放射線被ばくによる生体障害)を持つ患者の治療における医薬候補物質の有効性試験、3)承認申請、4)必要に応じて追加試験実施と再申請、5)承認の過程を意味する。しかし、このシナリオでの開発の実現可能性について国内外の放射線防護関係の医師や研究者、薬務当局関係者や世界保健機構(WHO)関係者等と議論を行い、そのような開発は困難であるという認識に至った。その主な理由は、統計的に有意な解析が可能な数の放射線被ばく患者集団は普段は存在しないこと、仮に存在しても、対照群としての図1 放射線被ばくによる生体障害と生物学的防護法開発の余地生物学的防護方法の開発対象とする範囲生物学的防護方法の開発可能性は未知確率的影響(晩発性障害)確定的影響(急性障害)・発ガンリスク増大・世代を超えた遺伝子変異 (ヒトでは不明)・組織幹細胞死滅による臓器不全 腸管、皮膚、粘膜、骨髄、生殖系など被ばく線量生体組織被ばく・びらんや炎症による即時機能停止 中枢神経系、皮膚など・組織恒常性維持機能不全 造血系、免疫系など

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