Vol.11 No.2 2018
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研究論文:我が国における5万分の1地質図幅整備(宮崎)−58−Synthesiology Vol.10 No.2(2018)いる[4]。20万分の1地質詳図はオリジナルな地質調査によりはじめて日本全国を完備した図幅となった。明治から大正にかけての先人たちの地質調査には、多くの困難が伴っていたと想像される。これにより、日本列島の野外調査による地質図の第一段階が完了したと考えて良いであろう。3.2 7万5千分の1地質図幅20万分の1地質詳図の全国完備は偉業であるが、明治40年(1907年)に当時の地質調査所長らが世界各国の地質調査事業を調べた結果、さらに大縮尺の地質図の整備が必要と認識された。大正3年(1914年)には7万5千分の1地質図幅の計画立案がなされた。7万5千分の1地質図幅は、現在の5万分の1地質図幅3枚分の面積に相当する。これを所要日数4か月(約120日)の野外調査で作成する計画が立てられていた[4]。5万分の1地質図幅1枚当たり、1か月強の日数である。当初計画では、日本国内を324図幅に分け、年間8図幅を調査し、40年間で完成するという意欲的な計画だった[4]。実際に、7万5千分の1地質図幅の作成が開始されるのは大正6年(1917年)からである。計画通りだと、1957年頃には全国完備が達成されていたことになる。昭和初期までは政府の緊縮財政下であっても地質図幅調査には重点が置かれていた[3]。しかし、臨戦態勢下の昭和18年(1943年)についに地質図幅調査が中止される[3]。地質調査所創立以来初めてのことである。地質調査所の基幹業務であった7万5千分の1地質図幅の調査が戦後再開されたのは、昭和21年(1946年)からである[3]。しかし、昭和33年(1958年)出版の「鬼首」が最後の7万5千分の1地質図幅となる。全国完備を目標として計画された7万5千分の1地質図幅は結果的に83図幅を作成して中断してしまう。戦後荒廃した国土の保全並びに産業振興の面から図幅事業の推進が強く要望されており、社会の発展のためにはその基礎となる地質図の作成が重要であることが認識された[4]のだが、戦後、国土の地質図を整備する役割は後述する5万分の1地質図幅に引き継がれることになる。3.3 地質調査所時代の5万分の1地質図幅前述の7万5千分の1地質図幅整備は、昭和24年(1949年)から現在まで作成が続く5万分の1地質図幅の整備に切り替わる。その理由は、基図となる国土地理院の地形図の縮尺が5万分の1であること、地形図との比較を考えたときの利用者の利便性と調査時の位置精度を考えての判断である[3]。この変更により、全国完備の目標はどうなるのであろうか。縮尺を大きくしたことで完備に必要な図幅の枚数は単純計算で3倍に膨れあがる。1枚の作成にかかる時間が同じだと仮定すると、40年計画が120年計画になる。加えて、より詳細な地層・岩体区分が要求されることから、室内研究の増加分も含めるとこの数倍の期間が必要であろう。即ち、7万5千分の1地質図幅から5万分の1地質図幅の整備へ切り替えたことは、縮尺の変更以上に図幅整備の全体シナリオ、直接的には全国完備、がほぼ100年未満では不可能になったことを意味する。それではどのような全体シナリオで5万分の1地質図幅の作成はこれまで行われてきたのだろう。地質調査総合センター(地質調査所)における地質図作成の歴史 18801890190019101920193019401950196019701980199020002010A RACC2020内務省20万分の1シームレス地質図 Cp野外調査及び室内研究によるもの主として既存資料の編集によるもの内務省地理局地質課地質調査所創立工業技術院地質調査所地質調査所創立100周年つくば移転万国地質学会(京都)地質調査所創立120周年A: 地質アトラスR: 複製版C: CD-ROMCp: 全国124区画完成備考観測強化地域の図幅400万分の1地質図 1/300万500万分の1200万分の1地質図 200万分の11/200万100万分の1地質図 100万分の1地質図50万分の1地質図幅 (17枚完成) 20万分の1地質図幅(124区画完成)5万分の1地質図幅(全国1,274 区画)特定観測地域の図幅農商務省商工省通商産業省独立行政法人40万分の1予察地質図(完成)20万分の1地質詳図 (98枚完成)軍需省7万5千分の1地質図幅(83枚)5万分の1地質図幅 地下資源調査所V2: 次世代版(凡例の階層化・構造化)V2商工省図4 地質調査総合センター(地質調査所)における地質図の歴史

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