Vol.6 No.1 2013
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研究論文:地下水観測による地震予知研究(小泉)−25−Synthesiology Vol.6 No.1(2013)は、100−200年程度の間隔でM8(マグニチュード8)クラスの巨大地震が繰り返し発生してきた(図1、2)。歴史的には、南海トラフの東側と駿河トラフの両方を破壊している地震でも東海地震と呼ぶが、ここでは簡単に、駿河トラフで生じる地震を東海地震、南海トラフ沿いの熊野灘から遠州灘で起こる地震を東南海地震、南海トラフ沿いの潮岬から西側で起こる地震を南海地震とする(図1、2)。四国~紀伊半島の沖で発生する巨大地震である南海地震は、古くから都のあった京都周辺で被害を生じたためか古文書によく記録が残っており、世界で最も発生履歴がよくわかっている巨大地震の一つである。過去8回の南海地震のうち、愛媛県松山市の道後温泉(図1のN10付近)における水位や湧出量は4度、和歌山県本宮町湯峯温泉(図1のN5付近)における水位や湧出量は4~5度、地震発生に伴い大きく低下している(図2)。ただし、それが地震前から起こっていたことなのか地震後からなのかはよくわからない。また、1946年南海地震(M8.0)においては、紀伊半島~四国の太平洋岸の11カ所で生活用水として使っていた井戸水(不圧地下水(後述)と考えられる浅い地下水)が、地震の直前~10日前に涸れたとされていて[3]、推定で数十cm以上水位が低下したと考えられる(図3)。勝浦(図3)では、温泉の湧出量も地震の6時間前に低下した。地下水位や温泉湧出量が地震前に低下した地点は合計12カ所で、紀伊半島~四国の太平洋岸周辺に広範囲に存在する(図3)。ただし、海上保安庁水路局による調査地域は160カ所以上で[3]、出現率としてはごく低いことになる。このような地震前の地下水位の低下は、1854年の南海地震前にも四国や紀伊半島の太平洋岸で発生したことが知られている[4]。3 多孔質弾性論による地下水と地震との結びつけ上述のように、地下水が地震前に変化することがあるのは日本では古くから知られていて、脇田(1978)[5]が過去の例を表の形にまとめている。しかし、これらはいわば観測事実のみであり、地震と地下水を結びつける理論が薄弱だったために、組織的な研究が日本で始まったのは1975年からである[6]。ダイラタンシー水拡散モデル[7][8](震源域に力が集中して割れ目が増加し、その割れ目に周囲から地下水が流れ込んで震源域の強度が下がり地震が発生するというモデル)が提案されて、地下水変化と地震の関係の理論的な裏付けができたことが、1975年から本格的な研究が始まったことの一因である。ダイラタンシー水拡散モデルが支持されなくなると[9]、地下水観測はいったん理論的裏付けを失うが、その代わりに理論的根拠になったのが多孔質弾性論である。物体にかかる力(応力)と変形(歪(ひずみ))の関係を記述したのが弾性論であり、地震と地殻変動(地面の変形)は弾性論によって理論的に結びつけることができる。地震を断層における食い違いとし、それによる変形が(地震に伴う)地殻変動であるとすることで地震と地殻変動は結びつけられるのである。GPSや歪計等で観測される地殻変動と地震との関係は一般に弾性論で説明され、弾性論における変数は応力と歪の二つであるからここに地下水の関与する余地はない。1946194418541854170716051498136110991096887684AD 200015001000道後 湯峯▼▼▼▼?????南海東南海東海▼▼▼??▼▼??図1 東海・東南海・南海地震の想定震源域(破線)と産総研の地震予知研究のための地下水等観測網(●(黒):2004年度以前に整備した観測点、●(赤):2006年度以降に整備した新規観測点N1-N14、●(青):現在整備を行っている観測点N15-N16)。四国~紀伊半島~愛知県内陸部の灰色の領域は、短期的ゆっくりすべりおよび深部低周波微動が定常的に発生していると考えられる地域。N5の観測点の近傍に湯峯温泉があり、N10の観測点の近傍に道後温泉がある。湯峯温泉と道後温泉については図2参照。図2 東海・東南海・南海地震の発生履歴と道後温泉・湯峯温泉の湧水量や水位の低下▼は低下を表し、?は古文書に変化の有無の記載がないことを示す。●は液状化等の地震の痕跡。寒川(1992)[2]に加筆。この結果を考慮して、湯峯温泉の近傍にN5の観測点を、道後温泉の近傍にN10の観測点を設けた。1321351381413336100 kmN12N4N3N9N7N6N8南海地震東南海地震東海地震N11N10N5N2N1N13N14N15N16豊橋草薙榛原大東浜岡小笠
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