Vol.6 No.1 2013
12/70

−9−Synthesiology Vol.6 No.1(2013)座談会:科学・技術・イノベーション時代の新しい研究方法で、あるいは社会の中でどこにあるのか、関係はどうなのかということが十分認識できていないのではないかという不安を感じることがしばしばあります。一方、ある大学の経営協議会の場で、学生から「先生は一方的に講義するだけでこの授業はどういう位置付けなのか教えてくれない」と言われて、若い人たちも問題意識や危機感を持っていることがわかって感激したことがあります。今、社会技術センターでキーワードにしようと思っているのは「踏み出す研究者」「踏み出すマネージャー」、分野・組織を超えてつなぐ人材。対語的には「こもる研究者」「こもるマネージャー」。しかし危険なのは「踏み荒らす研究者」「踏み荒らすマネージャー」もいる(笑)。最終的にはアナリシスとシンセシスということで、アナリシスは学問の伝統であり大事なことはもちろんですが、シンセシスあるいはデザインやシステムも大事なのです。去年、「世界化学年」の特集で、ネーチャー誌が「化学は今後どういう方向にいくのか」という特集をして、「化学はアナリシスもあるけれど、歴史的にシンセシスが重要で来たはずではないか。これが今から21世紀の化学が他の分野をリードしていく思考の枠組みや方法論になるのではないか」とまとめていましたが、シンセシスの重要性はいろんな分野で認識されてきていると思います。もう一つ、大きなイノベーションをおこそうとすると、理工系だけではなく社会科学系の知識や人材も動員しないといけない。経済学では「ポリシーデザインにはあまり関与したくないという」と言う人たちも多勢いますが、私はそこが一番大事なところだと思うのです。科研費だけに任せるのではなく、ミッションオリエンティッドのファンドを作って、社会科学者たちもある社会的課題に対して問題解決に知恵を出してもらう構造を作らないと、今のままではさまざまな危機の中で社会科学はバラバラで、社会に役に立っているのかという批判が大きくなることを危惧しています。古川 日本としてのイノベーションの方向かなと思うのは「水素社会実現」です。水素社会はどうあるべきかを考えると、規制問題や安全性の問題等のトップダウン的なところから、最終的には蓄電池や燃料電池をどうするかまでポイントになってきます。燃料電池もSPring-8(大型放射光施設)やJ-PARC(大強度陽子加速器施設)を使って基礎的なところからアナリシスをやっているのですが、現実問題として電池の振る舞いはよくわかっていない。一番上の社会的なシンセシスから電池自身の分子・原子レベルのアナリシスまで、これができることが日本の強みだと思います。水素社会に関してはいろいろなご意見がありますが、2015年に500万円程度のFCV (燃料電池車)を販売するとコミットされている自動車会社もあり、社会の仕組みから部品レベルまで社会全体がそういう方向に行くことがイノベーティブな動きになるのではないかと思います。桑原 今のお話は大変重要で、国として水素社会を構築するように最大の努力を傾けていこうということであれば、研究の重点化は自ずとできます。国としての大きなプロジェクトは多くないし、あってもできない。そのくらいは国で候補を挙げるべきですし、日本の研究開発だけで駄目なら海外の成果も使う等、日本が世界に先んじて着手するという気概がないとイノベーションはおきません。ただ、それを決めると予算はみんなそっちに行ってしまうと考える人が大勢いるのですが、明確に「他を排除するものではない。大型のものはこれを進めよう」とすれば、安西先生が言われた「フィールドは無限にある」ことも含めていけるだろう。無作為は何も生まないと思います。Synthesiology は産業の出番赤松 研究の進め方、組織の作り方、人材育成について皆さまからご意見を伺いましたが、吉川先生から総括をお願いできますか。吉川 最近は、Synthesiologyに外部の大学や企業の人、国外等から投稿もあり、非常にいい方向だと思っています。その根幹であるSynthesiologyのコンセプトが何かという厳しいご質問を桑原さんから受けたわけですが、最後はわかっていただけたようで安心しました(笑)。簡単に言えば、科学の進歩がアナリシスを主体にしてきたけれども、人間の行動のほとんどはシンセシスであった。行動した結果や自然物についての議論はあったが、行動そのものに迫ろうとしたとき、シンセシ吉川 弘之 氏

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です