Vol.5 No.3 2012
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−206−Synthesiology Vol.5 No.3(2012)座談会:価値の創造とシンセシスもう一つの「創造」ですが、キャッチアップは創造ではありません。通常の学術論文は、イントロに「社会でこういうことが必要と言われている。これに対して他の研究者はこれをやったけれども、欠点がある。その欠点を私はこういう新しい方法で解決し、ここまでの性能を出しました」といったことが書ければ、極めて通りやすい論文になるのですが、よく考えると、与えられた課題を解いているだけで、新しい価値の創造という観点からはキャッチアップ以外の何ものでもなく、こんな論文に独創性はないと考えています。私が本当に独創性のある論文と考えているのは、例えば「私はここに価値があると思うけれども、社会はまだ認めていない。比較する論文は何もない。でも、ここまでできるはずだし、その一部はできました」、といった論文で、本当はこのような論文を書かなければいけないと思っています。現実的に優れた論文は、これらの中間あたりにあるのかもしれませんが、後者、すなわち未来のニーズや未来のマーケットを開拓する力をどう評価していくか、という観点は、今後の科学技術に課せられた大きな課題だと思います。論文という成果の主張自体は、前述したように、評価としては途中段階のものですので、その時点で正当なかつ独創的な主張があればとりあえず100点満点ですが、何年かたっても社会が評価しなかったら100点満点は取り下げて50点にする、ただし研究者の活動としては正当なもので、これが正当な失敗だと思います。もちろん、社会が価値を認めてくれたら100点満点、いや200点の成果として評価すべきだと思います。このことから、私は、「創造」をきちんと社会の中で認めていくようなプロセスに日本が変わっていかなければいけないと思っています。これは口で言うのは簡単ですが、相当に難しい話です。そもそも「イノベーション」を目指すということはアメリカのイノベーション政策のパクリなわけで、そのことを独創的な科学技術政策の中心等と標榜すること自体パラドックス(笑)。創造とは、みんなが右へ行ったら、自分は左に行くのだと。ほら吹きと紙一重のところに独創性があるわけですが、これを組織体あるいは社会がどう認めていくかです。シンセシオロジーは「ほら吹きでない論理があるでしょう」ということですから、私は実に面白い試みだと思いますが、何らかの答えを急ぐのではなく、その先の社会の価値の評価は全くわからない、わかるようなものはキャッチアップであるという、その心意気が必要だと思うのです。「正当な失敗」を評価する小野 時代が変化すればその技術が浮かび上がるかもしれないし、社会の変化によってどの技術がベストになるかは分からないというところがあるので、我々としては全部受け入れていいんじゃないかという気がしております。ちょっと甘すぎるかもしれませんが。石川 その前提として、正当な失敗がいっぱいあって、その先は社会が決めるのだということが受け入れられていれば、今の小野さんの論理は素晴らしい。ところが、社会に受け入れられずに、失敗は失敗だろう、という話になってしまうと、この論理は正論とならないのです。小野 ええ。産総研のやった、あるいは経済産業省の施策は全部成功したかというとそんなことはないわけで、それを外に対してちゃんと提示して議論できないがゆえに、自分の小さな論理の中で処理してしまい、次の展開につなげていくという力が弱くなってしまう。みんな、小さくまとまってしまう危険性があります。赤松 「正当な失敗」はすごくいいと思うのですが、失敗かどうかを判断すべきなのかどうか、ということもあるのではないでしょうか。失敗の中を分析しはじめるとあまりいいことはなくて、これがうまくいかなかったので最終的にモノが出なかったのだという、小さな論理の中で正当性を言い出しかねないと思うのですが、そこはどうしたらいいでしょうか。石川 私の言う「正当な失敗」は、主張の独創性が有り、研究のプロセスはちゃんとしている研究のみが対象であって、研究のプロセスで失敗したのは能力がない失敗です。能力のある人たちは研究をある程度行えば必ず成果を出す。ただ、成果を出したことをもって、今までは全部成功と言ってきたけれども、そうではない。成果を社会に出したときに、まだ見ぬ社会の評価とのミスマッチがあったら「正当な失敗」といっているわけです。これは独創性は大事にしなければいけないし、正当な失敗は蓄積することが価値を生み出す可能性があります。何年かたったら、もしかしたらこれがまた活きるかもしれない。ですから、蓄積された成果が、変わり続ける社会のなかでいつの日か価値をもつようにしよう、という力を働かせなければいけないわけです。社会とのマッチングがとれないということに関しては、偶然も作用するし、時代の流れも関係するので、その中でのミスマッチは、独創性との紙一重の世界で許容しましょうと考えるべきです。研究をいかに社会とつなげるか赤松 研究としては成功したけれども、社会で受け入れ

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