Vol.5 No.3 2012
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研究論文:糖鎖研究のための基盤ツール開発およびその応用と実用化(成松)−192−Synthesiology Vol.5 No.3(2012)することがよくある。その結果、かなり多くの糖タンパク質にシアル酸や硫酸基が付加される。癌細胞表面にシアル酸や硫酸基が増加することにより、細胞表面には負電荷が上昇する。つまりほんの一握りの糖転移酵素の制御により多くの糖タンパク質の機能を制御しているらしい。その結果、細胞の性質を大きく変化させている。③さらに、一個の細胞が産生する多種類の糖タンパク質の糖鎖構造は糖タンパク質の種類により異なる。一つの細胞が産生するのであるから、細胞内に発現している糖転移酵素の発現パターンは同じである。にもかかわらず、糖タンパク質の種類が異なれば、その糖鎖構造は異なる。これを決定するメカニズムは全く解明されていない。④糖鎖には個体特異性がある。代表的なのは血液型である。ABO式血液型に限らず、ルイス式、P式、Ii式といった血液型は、糖鎖構造の個体間の違いである。それらを合成する糖転移酵素遺伝子に変異が起こり、酵素活性が失活したり基質特異性が変化したりすることにより、合成する糖鎖構造が異なっている。この変異遺伝子が親から子へ遺伝されている。ヒト間の臓器移植の最も大きな障壁は、ABO式血液型の糖鎖構造の違いである。⑤糖鎖には種特異性がある。すべての遺伝子進化の中で、糖転移酵素遺伝子の進化は最も早い。これは外界環境の変化に直接に触れるのは、細胞表面上の糖鎖であり、環境変化に対応して糖鎖構造が選択されてきていることが想像できる。医薬品としての抗体や造血剤としてのエリスロポエチンは、現在、ハムスター細胞で産生している。糖鎖部分はヒト型とは異なり、ハムスター型の糖鎖構造となる。エリスロポエチンは運動選手がドーピングに使うことがある。ハムスター型の糖鎖を検出すればドーピング検査ができる。ブタの臓器を移植に使おうとする試みがある(異種移植)。この際も、ヒトにはない糖鎖構造をブタがもっているために、糖鎖構造の違いが急性拒絶反応を引き起こす。⑥病原微生物は宿主細胞の特定の糖鎖構造に結合して感染を開始する。インフルエンザをはじめとする多くのウイルスが糖鎖に結合する。この逆の関係もある。病原微生物の糖鎖構造を、宿主側の細胞表面にあるレクチンが認識して結合し、細胞内に感染する。外界の環境と最も接触するのは糖鎖の末端である。多くの病原体は糖鎖に結合して感染を開始する(あるいはその逆)。外界の病原体から逃れるための個体選択が、糖鎖構造の進化速度が速い原因と考えられる。病原体から逃れるためには、糖鎖構造を変化させて遺伝的に種を保存する必要があるのだろう。インフルエンザウイルスは、末端のα2,6シアル酸、ピロリ菌はルイス式血液型糖鎖、ノロウイルスはABO式およびルイス式血液型糖鎖に結合して感染する。糖鎖を合成する糖転移酵素遺伝子に変異がおこり、病原体が感染しにくくなった個体が子孫を繁栄させる。この個体選択は数万年単位くらいで続いている。ABO式血液型は類人猿以上にあるが、ルイス式血液型はヒトにしかない。ルイス式血液型を決定する糖転移酵素遺伝子の変異は、2−3万年前に生じている。3 糖鎖研究のシナリオと戦略これまで述べたように、糖鎖構造は細胞の分化・脱分化(癌化)状態をよく反映する。また組織特異性をよく反映する。このことが、糖鎖バイオマーカー開発の基盤となっている。糖鎖構造を決定するのは、主に糖転移酵素の発現パターンであるから、糖転移酵素の転写制御機構、またはエピジェネテイックな制御(遺伝子配列からは読みとれない遺伝子修飾によるその発現制御)が糖鎖構造を決定しているのであろう。しかし10年前には、この基礎的な研究はまだほとんどなされていなかった。そのため、まずは糖鎖研究に必要とされる基盤技術を開発しなければならなかった。自ら基盤技術をまず開発することが、その研究分野の飛躍的な発展に貢献できる。このことは新規な研究分野の開拓者として最もやりたいことであり、またやらねばならないことであった。どの分野でもそうであるが、外国で開発された技術を使って研究を始めたのでは、どうしても外国の研究に遅れをとることは否めない。遺伝子研究、タンパク質研究の分野と同様に、糖鎖研究分野でも基盤技術として要求されるのは、まずは合成技術、構造(配列)解析技術である。それらの技術は、「誰でも簡単に使える技術」でなければならない。10年前には合成・構造解析ともにまだまだ稚拙な技術しかなかった。また専門家でないと使えない技術ばかりであった。そこで、図2にあるような10年がかりの長期展望をたてて、順序立てた一連の研究を推進することを計画した。最初の5年間は基盤技術開発に精力を注ぎ、残りの5年はその技術の応用編であった。一連の研究を次の順番で行った。1)ヒト由来の糖鎖遺伝子を網羅的に探索し解析する。→2)網羅的に取得した糖鎖遺伝子からリコンビナント(遺伝子組み換え)の糖転移酵素を発現し、それを組み合わせて種々の構造の糖鎖を合成し糖鎖ライブラリーを作成する。→3)これら構造の判明した糖鎖を標準物質として、糖鎖構造解析技術の開発に供する。→4)生体内における糖鎖機能を解析する。糖鎖構造の変化により糖タンパク質の機能および細胞の表現型がどのように変化するか、その解析には、以下の1)、2)、3)の基盤ツールが必須となる。

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