Vol.5 No.2 2012
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−139−Synthesiology Vol.5 No.2(2012)座談会:科学技術政策と構成学、その具体化と価値への“つながり”行う本格研究が大事ですとおっしゃった。第1種基礎研究は、これまでのピアレビューで評価されるようなアナリティカルな研究が中心ですが、我々は「第2種基礎研究」を軸に、シナリオに基づいて異なる分野の知識を幅広く選択し、構成・統合する研究を推進したいと考えているのですが、それを成果として発表し、学として評価する場がないではないかということで、自分達で作ったのがこの『シンセシオロジー』です。ですから、一番大きなコンセプトは、「社会のために」ということですが、有本さんがおっしゃったように、どうやってシナリオを描き、社会への実装につなげていくかが、最も重要です。ただ、このジャーナルはあくまでも-ology-、“学”ですので、スタートは研究者のキュリオシティドリブンであっても、それがどう社会につながるか、というところをきちんと述べ、シナリオを描き、そのためにどのような要素技術を選択したか、その要素間の関係と統合、そして将来の展開を学術論文として書いていただいています。今日のお話を聞くと、科学技術振興機構(JST)なり、RISTEXでおやりになっている仕事も『シンセシオロジー』とつながるところがあるのではないかな、という気がしたのですが。有本 とてもつながると思います。『シンセシオロジー』の「発刊の趣旨」はとても緻密に書かれている。これから一種の学問としてちゃんと成熟させ、認知させていくことが大事です。しかし、一方では、常に学問はドメインをつくると他を排除しようとする。ですから、『シンセシオロジー』もRISTEXも賛同してくれる仲間やコミュニティーを増やすことが大切ですね。赤松 RISTEXは、社会や自然を観察し、地域のニーズや社会的な問題を把握する「観察型科学者」と、問題解決のための方法論や制度設計を提案する「構成型科学者」、そして社会の中の「行動者」と「科学者」の連携を目指すとあります。その構成型の研究をできる人達のキャリアパスをどうするかというところの問題と、「社会のための科学」は密接に絡んでくると思うのです。有本 そうですね。先ほどの「政策のための科学」をする人たちの多くも構成型科学者とかなり類似していると思っていますが、そのときのキャリアパスはとても心配しています。小林 まさに「社会のための科学」ということですね。有本 産総研は昨年、研究・技術計画学会において構成学ワークショップをされましたが、ああいう形で外に出て活動されるのはとても大事だと思います。それぞれが独立性を維持しながら、共に創るという、“コクリエーション”。私は社会技術の取り組みにおいて、この“共創”がキーワードになると思っています。これは運動だとも思っています。この運動をそれぞれ個別的にやってきた、産総研の『シンセシオロジー』、RISTEXは具体的な事例の実践が主ですけれども、それぞれがメタフェーズで方法論をまとめようというフェーズにきています。ケースを集めることが大事です。継続して積み上がっている事例をある一定の軸でまとめられるといいと思います。それから、『シンセシオロジー』では査読者の名前や議論をオープンにしていますが、これは新しい方法論や評価の軸が発展するためにとても大事です。とてもいいことをやっておられる。ぜひ続けてほしいと思います。赤松 査読者はその分野がわかる人と分野外から選ばれますので、ピアレビューの査読にならないということが特徴の一つです。それから、先ほど人材のキャリアパスの話が出ましたが、これは重要なことだと思います。有本 そうです。やはり人材です。RISTEXには、1テーマに一人のポスドクあるいは若い研究者がいるとして、100人近くになります。印象に残っているのは、群馬大学の先生が「津波災害総合シナリオ・シミュレータ」を開発して、住民への意識啓発活動や小中学生の防災教育訓練を継続されていたのですが、その活動拠点の一つが釜石市です。「津波のシミュレーションに頼るな。自然はそれを乗り越えることが往々にしてある」と言われていたのですね。そこまで行動の原理を埋め込まれていたから子ども達が自分たちで判断して逃げた。だから、ほとんどの子供達が助かった。これですよ。最後は“人”になります。社会実装にウエイトをかけている人は、論文生産とは目標が違うわけです。論文ではない、「いざとなったときに一人でも助けたい」。伝統的な近代科学のディシプリンベースの研究者は、そんなことは言いません、自分を否定することになるから。ただ、アクションリサーチが中心の研究活動をしている多くの若手研究者が悩んでいるのは、論文が書けない、ということです。だからこそ、この『シンセシオロジー』ができたのでしょうね。赤松 ええ、確かに社会実装に関連することは論文には書きにくいです。そういう受け皿として『シンセシオロジー』があると思うのです。
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