Vol.5 No.2 2012
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研究論文:災害救助支援のための情報共有プラットフォーム(野田)−125−Synthesiology Vol.5 No.2(2012)ものを載せてあります。なお、アクセス制御についてはこの論文では主題でないため、説明を省いてあります。議論4 マップ質問(赤松 幹之)この論文では、実証システムとして、見附市の実証実験、豊橋市の実証実験、そしてHONDAの通れた道路マップが示されています。この研究では、実現場で実証することは極めて重要なことだと思いますが、実証実験の場として提供してもらえた理由はどういったことが背景にあるのでしょうか? 現場の人達が参画するモチベーションがどのような点にあったのか、分かる範囲で結構ですので紹介していただけませんでしょうか(これらは、いずれも文科省、科振費等のプロジェクトメンバーだったのでしょうか。プロジェクトメンバーだったのでしたら、それぞれの組織がこのプロジェクトに参画することになったモチベーションが何だったのでしょうか。モチベーションのある組織とモチベーションのない組織の違いはどこにあるのか等も、構成学としては明確化していきたいと思いますので)。同様に、東日本大震災でのITS Japanによる通れたマップは、だれが最初に働きかけて実現したのでしょうか。回答(野田 五十樹)現場となる自治体等との関係は、プロジェクト単発ではなく、事前や事後に継続して維持することが最も大事であると言えます。この論文で紹介した各実証実験を行った各自治体は、プロジェクトに参画していた研究者の個別のつながりで協力していただきました。このつながりの多くは、自治体の首長や防災担当者が熱心であった等の偶然がきっかけになっています。ただ、この偶然のつながりを各研究者が大事に継続し、現地や現場に足を運んで共通の問題意識を培っていくことで、新しい技術への理解が生まれ、実証実験に結び付いていきました。各プロジェクトは数年の期間しかありませんが、自治体とのつながりはそれ以前から、あるいはプロジェクト終了後も続いているものが多くあります。私自身はここで紹介したプロジェクトで他の共同研究者のつながりの恩恵を受けたに過ぎませんが、プロジェクト終了後はできるだけ多くつながりを維持できるよう努力しています。ITS Japan のケースについては、きっかけは、中越地震の際の山梨大学の秦先生の着想を温めていたところ、中越沖地震でたまたまHONDAの協力が得られ、即席に造ったシステムで小規模に情報発信できたことが発端になっています。この成功があったおかげで、東日本大震災ではHONDAやGoogleが動き出すきっかけができ、最終的には ITS Japan のもとで、オールジャパンで情報発信する体制となりました。この例でも、中越・中越沖地震の頃(さらには、それ以前よりさまざまなツールを造り始めた時期)から、NPOの研究会等の活動を通じて関係を維持していた継続性が大事であったと考えています。
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