Vol.5 No.2 2012
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研究論文:鉄鋼厚板製造プロセスにおける一貫最適化に向けて(西岡ほか)−107−Synthesiology Vol.5 No.2(2012)6.2 マルチスケール階層モデルの意義鉄鋼製造の生産管理のルーチンは、業務効率性の観点から各タスク階層に分断されており、各ルーチンに関する熟練を形成しても、製造における生産管理システムの全体像をとらえることは極めて難しい。マルチスケール階層モデルの最大の意義は、システムの全体像を俯瞰的に提示することによって、生産管理を通じた工場単位の一貫最適化という経営課題を技術的に詳細に検討できるフレームワークを提供することにある。そもそも、製造システムの設計と再設計による継続的改善を使命とする技術者にとって、生産管理システムの全体像の俯瞰的な把握は業務推進のための大前提であり、提案モデルの果たす役割は大きい。しかし、今回提案のモデルは全体最適を実現する最適化評価関数を有するものではなく、理論的、定量的に全体最適を保証するものではない。最適化の探索には種々のモデルが不可欠だが、自動車に代表される組み立て産業と比較すると、鉄鋼業では特に上流工程である製銑、製鋼工程における日々の生産操業変動が極めて大きく、計画の変更も頻繁に発生する。このような状況の中で、モデルは外乱を含む実績に基づき構築されることから高精度な予測は困難であり、その信頼性にはおのずと限界がある。完全情報を前提として最適解を探る決定論的アプローチは明らかに適しておらず、トップダウンの分析によって得られるモデルをシステムに組み込んで膨大な計算を精緻に行うことは、時間的にも、また有効性の観点からも現実的ではない。対照的に、提案モデルの構築の経緯を振り返ると、この研究が対象とした生産管理システムにおいては、(i)システムを構成する個別要素は局所的に組織化され、システムに要求された機能を実現する構造は、試行錯誤(仮説形成と検証)を通じて、順次、決定され、(ii)導出された適応解は(最適解ではないとしても)、これまでの方法では解けない複雑な問題に対して予想を超えた解答を与え、動的環境で活動する製造現場の意思決定を実効的に支援していることが判る。筆者らの観察は、提案モデルを構築するプロセスが創発的プロセスであったことを強く示唆するものである[24]。それでは、本事例でみられた創発現象はどのように誘発されたと考えるべきなのであろう。組織の戦略展開を創発的プロセスとして理解する経営学者は、企業活動に適切な「場」(環境)を設定することによって、組織を構成する個人間での創発現象を誘発することが促進可能であると主張する[25]-[27]。筆者らは、4章で示したように、本事例においては、本社レベルでの経営革新、また、工場レベルでのミドルマネジメントのリーダーシップのもと、現場で創発現象を誘発するための基本的環境設定が行われたと考える[26]-[27]。さらに、生産管理システムがどうして可能になったかという観点からは、当該企業において、ボトムアップ型シンセシスを担える中核的人材が組織的に育成され、そのような人材が現場における創発活動を推進する役割を果たした事実が重要である。提案モデルの構築に貢献した技術者が所属する「技術グループ」の役割を紹介すれば、同グループは製造現場とスタッフ部門をつなぐ中継点に位置し、工場運営に関し単に製造技術に限定されない広範な調整機能を持ち、生産システムの運用と革新に中核的役割を果たす注4)。技術系スタッフは、入社時に、「技術グループ」に配属されることが一般的であり、新入社員時には3交代勤務の現場経験を積む。その後、技術系スタッフはさまざまなキャリアを経験するが、工場長他、製鉄所の幹部の候補となる優秀な人材が「技術グループ」に定着する傾向がある。このようなキャリア・パスは、企業が、「技術グループ」のスタッフに対して、幅広いOJTを経験させることによって調整や問題解決手段についての知識を身体化させ(プルデューのハビトゥス用語5にあたる[28])、創発的プロセスにおける主要なイネブラー[29](創発活動において他者に目的の実現を可能にする人材)として育成することを志向してきたことを示唆する。システムインテグレーターとしての技術者には、設備・操業技術の高度化による技術的優位性と経済合理性を両立する使命がある。鉄鋼業に対してリーン生産方式を自動車業レベルで導入するときに発生するコストとリスクは、現場の工場経営に許される許容範囲を大きく超えると想定される。生産プロセスの一貫最適化は、工場経営における全体最適化の視点から評価する必要があり、提案モデルは、現場のマネジメントが技術と経営からの相反する要請をどのようにバランスするか、具体的に検討するための定量的指針を提供する。例えば、リーン生産方式の推進のために必要になるボトルネック工程の解消のために、どの程度の設備投資が最適なのかを検討する際、これまでは、精整工程の設備増強による一貫能率向上が定量的に評価できなかったために、精整工程に対する適切な投資判断が難しかった。提案モデルは、一貫最適化の効果と必要性を、厚板工場内はもとより、君津製鉄所の経営層や営業部門に対して効果的に提示する可能性を開いた。また、現場の操業改善やスタッフによる生産管理業務の改善を目的とした材料設計や出鋼スケジュールの最適化およびサプライチェーンマネジメント基盤整備等の生産管理システムを順次開発したが、その過程においてマルチスケールモデルを用いた定量的な解析は大きな効果を発揮した。このようにこの研究が提案するマルチスケールモデルの形成の経緯には、以下のような二面性がある。まず、モデ
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