Vol.5 No.1 2012
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−64−Synthesiology Vol.5 No.1(2012)報告:シンセシオロジー(構成学):知の統合からイノベーションへは東京大学)) 最初に「システム論から見たシンセシオロジー」、次に「イノベーションから見たシンセシオロジー」、最後に「知の創出と再編成は社会的価値転換と産業競争力強化にどう貢献するか」という議論に入っていきたいと思います。システム論の確認です。現象学的解釈主義に基づくシステミックなシステム論、その意味ではアメリカ型ではなくむしろイギリス型です。我々が対象にアプローチするときに①成り行き、②科学的アプローチ、③ハードシステムアプローチ、④ソフトシステムアプローチの4つを持っています。日常生活では、“先入観”、つまりさまざまな既存の世界観や暗黙の前提によるフレームワークを通じて“成り行き”で接する。これに“科学的な知”のアプローチが加わった。それは3つのRで示されます。要素還元主義(reductionism)に基づく分析、再現性(repeatability)のある世界への適応、その結果を実証的あるいはPopper流に言えば反証的(refutation)な言明で示すこと、です。それが「知」として構成されるのが科学的知と言えましょう。これが有用だったことは19、20世紀の科学の世界を見れば明らかです。しかし、限界が来た。なぜか?実践的・経営的あるいは政策的な知は再現が不可能だからです。そこで出てきたのがBertalanffyを初めとする一般システム論の世界です。つまり要素還元的に部分を見るのではなく、それらの関係性に着目したシステム論です。そのシステム論は、まず、世の中は存在としてのシステムによって構成され、それにシステマティックにアプローチできるだろうという工学的なアプローチが先行しました。第二次世界大戦の影響もあってこのハードシステム思考が優勢を占めました。その方法論はシステムエンジニアリング(SE)、オペレーショナル・リサーチ(OR)、システムアナリシス(SA)、そして経営科学(MS)等を発展させました。これに対して、イギリスを中心に80年代以降に進展したのがソフトシステム思考です。「世の中はシステムだ」ということを前提として仮説検証を行うハードシステム思考ではなく、「世の中をシステムとして見ることはできるけれども、それが何かは分からない」という前提に立ち、そこにシステミックに探索学習というアプローチをとるパラダイムです。ハードが存在論的言明による仮説検証を軸にした論理実証主義的哲学を基盤にもつのに対し、ソフトは認識論的言明による探索学習を軸にした現象学的解釈主義を基盤にします。特に人間活動をシステムとしてとらえるという社会意味論や概念論に特徴があるとも言えましょう。これらの観点から「シンセシオロジー」を見るとどうなるか。私は二つの観点があるのではないかと思っています。第1は、シンセシオロジーは、アナリシスをするか、シンセシスをするかという考え方に対して、関係化(rationalize)と創発(emergence)というパラダイムもあるのではないか。第2はlogyの三面性です。シンセシオロジーは、存在論的(Ontology)、認識論的(Epistemology)あるいは方法論的(Methodology)のどの言明を求めるのか。おそらくシンセシオロジーはこの3つの側面の全てがあるのではないでしょうか。我々は“創発性”を重視しますので、重要な概念は“関係付け”です。“関係付け”とは、社会事象を創発として解釈し、了解する一方で、社会事象を創発的に産み出すための実践の方法論が要ります。①現在、創発を産んでいるシステムを構成する個を取り替える、②システムを構成する個の関係性を変える、③設計的に新結合を起こす、④誘導的に新結合させる、⑤場と機会による新結合の発見と育成を行う、⑥自らが当事者として場と機会に入り込み創発を起こす探索学習的な実践を行う、今のところこれらの6つのスタイルがあると私は考えています。次に、「イノベーションから見たシンセシオロジー」です。イノベーションの話をするときに、“成長(growth)”と“発展(development)”を分けなくてはいけないというのが私の持論です。成長とは同一モデルの量的拡大を言い、発展は新規モデルへの不連続的な移行を指します。成長を促すのは現状を磨き上げる錬磨(improvement)ですが、イノベーションはモデル自体の創新を指します。私はイノベーションを日本経済新聞が“技術的革新”と未だに訳していることを憂いておりますが、improvementをいくらやってもイノベーションにはかなわない。ただし、イノベーションは長くは続かない。イノベーションを続ける不断の努力をしなければ産業競争は勝ち抜けません。産業競争力的な意味でのイノベーション論では、錬磨モデルと創新モデルを理念的にきちんと分けなければいけない。このとき、両者を企業内に内在化させること、すなわちChristensen流のイノベーションジレンマを同時に内在化させることは極めて重要な仕事です。キャノンの中央研究所はキャノンをつぶす研究をしている、トヨタの中央研究所はトヨタをつぶす研究をしている。それをしない限り、外部からのイノベーションにやられる。イノベーションにやられたくなければ自らがセルフイノベーションを起こす以外に道はない、こういう世界に入ってくるわけです。では、イノベーションをシンセシオロジーが支えるとしたらどうすればよいのか?その前に、まず二つの確認をしたい。第一は、イノベーションはinvention(技術革新)そのものではないということです。“科学技術のイノベーション”という言葉が私はいまひとつよくわかりません。なぜならば社会的価値を創発するだけではなく普及・定着させるまでやらなければイノベーションとは言えないからです。技術的

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