Vol.4 No.3 2011
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−178−Synthesiology Vol.4 No.3(2011)座談会:システム科学技術の研究開発材産業として生きるのだというふうになってしまいました。他の業界もそうだと思います。赤松 製造システムの価値でありながら、「もの」という要素的技術に帰着して、そこに価値があるのだと思ったということですね。木村 あのころ日本人にそういう“驕り”があったということと、本質を見極めて、次に備えようという気がなかったのです。このまま日本は世界をずっと制覇し続けるだろう、そして経営も日本的経営が世界を制覇したというふうに思ってしまいました。日本の産業を転換するとき小林 今回の大震災で、製造業は相当打撃を受けていると聞いています。1970年代初頭の石油ショックで、それまでの鉄鋼、造船等を中心とする重工業による高度成長は終焉し、産業の主体が自動車や電機産業に移ったと言われています。今は自動車もこのような状態ですし、将来EV(電気自動車)が主流になるとどうなるかわかりません。たぶんこの大震災を機に日本の産業は転換をする必要があるのだろうと思うのですが、まさにシステム科学技術をもう一度取り戻すときではないでしょうか。赤松 とかく物事がうまくいかなかったときに、人災というふうに、人に原因を求めることが多いのですが、それはすごく危険です。人に帰着するというのは要素へ帰着するという思想です。震災からのリカバーのときに、どこがミスをしたとか、ある1点にその問題点を帰着させて議論が進んでしまうということは、その発想自身がシステム的にものを見ていないということです。システム技術が輝いていた例として、新幹線のシステムを挙げられましたが、新幹線の技術面の開発をマネージしていた国鉄の島技師長が「ごく当たり前のこと。行き届いてものを考えることに尽きる」と言っておられます。新幹線を動かすために必要なものは何なのかということを考えてひたすらちゃんと作ったという意味だと思うのです。その頃の優れた人は、当たり前のように、システム的にものを考えて、ものを作っていたわけですね。ただ、「これがシステムなのだ」と言ってくれなかったために、それが伝わらなかったのです。当時は、“計算機システム”とおよそ同じ意味の言葉として使われ始めていたので、そこがシステム的なものの考え方というふうに広まっていきませんでした。教育の中にうまく組み込まれなかった感じがします。木村 システムという言葉もそんなに多用されなかったかもしれません。ただ、新幹線やNTT-DIPSはとても先進的でしたし、鉄鋼の1,000万トン一貫生産、これはシステム技術の勝利で、世界の先端を走っていました。“驕り”があったのでしょうが、これからもう一度頑張ってやればいいのです。赤松 過去を見てそこから何を学ぶかというときに、要素で勝っていたと思っていたために、課題の設定自身を要素に落としてしまいました。課題がシステムになっているのだということを問わないと、いくら課題解決型とうたったところで解決できないということですね。システム構築のための戦略研究が必要-やみくもにやらない小林 「課題がシステムになっている」と言うのは、とてもいい分析ですね。システムというと、初めからある構造を設計して、それをロバストに作っていくものもありますし、部分最適化を自律分散的に作っていくようなシステムもあると思います。それは、まさに課題をどう解決するかによって違ってくると思うのですが、システムをデザインする方法論はさまざまにあるのでしょうか。木村 部分的最適化に陥ってはだめです。自律分散にするにしても、あらかじめこういう自律分散にしようということで設計しないといけません。私達が提案したのは「システム構築戦略研究が必要である」ということです。これはCRDSのシステム科学技術推進委員会の終わりのほうの議論で出てきたのですが、日本の科学技術に欠けているものです。私は制御屋ですが、制御系の設計では、大きなプラントにコントローラーをインプリメントするときに、やみくもにやりません。モデルベーストと言って対象を徹底的に解析し、モデルを作って、コンピューターの中にそのモデルを入れて、パラメーターを最適に設計して、これでいいかというシミュレーションを何度もやって、いいとなったら実装するわけです。これが鉄則です。赤松 幹之 氏
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