Vol.4 No.3 2011
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−177−Synthesiology Vol.4 No.3(2011)座談会:システム科学技術の研究開発小林 直人 氏木村 英紀 氏木村 あの時期は、システム技術は名実共に強かったと思います。私が学生の頃は数学が好きなやつが幅を利かせていましたし、そういう類の学科も大学にたくさんあって、時代精神に合っていたのではないでしょうか。これは日本だけでなく、アメリカ等もそうだったかもしれません。しかし、80年代以降、要素技術の深掘りが極めて大きな価値をもつようになりました。小林 世界のアカデミアがそちらの方向にいったということでしょうか。木村 日本だけでしょう。“ものづくり”という言葉が現れたのが90年代初めくらいですから、あの頃からです。まだ分析はできていないのですが、一つは、“驕り”でしょう。日本の製造業が世界を制覇しましたが、そのときに目立ったのは要素技術でした。要素技術において勝った、という認識があったのだと思います。赤松 「勝った」理由が実はシステム技術だったというふうに認識しなかったわけですね。海外に輸出することが「勝った」基準になっている場合は、どうしても要素技術になります。木村 鉄を例に挙げますと、60年代の半ばに日本で年産1,000万トンの一貫製鉄所が世界で初めてできました。それより前はUSスチールで500万トン程度だったので、一気に倍増しました。なぜ500万トンで抑えられていたかと言うと、システムが難しかったのです。鉄鋼は注文生産なので一品生産です。生産ラインを個々の注文品が追っていかなければいけないから、目視でやらざるを得なかったのですが、それを完全にコンピューターライズすることによって、スケールメリットが出ただけでなく、品質もはるかにいいものになりました。しかし、システム技術の貢献は結果として評価されませんでした。これは人事を見ればよくわかります。そういう人は役員になっていないですよ(笑)。日本の鉄が世界を制覇したのは品質が良かったからだ、鉄は素いうことではありません。それがこの分野の科学の特徴だと思います。一方で、「設計科学」ということを木村先生も吉川先生もよく言われます。システム科学技術はそういう範疇にあると考えて良いでしょうか。木村 まさに設計科学の一つだと思います。赤松 「システム技術」ありき、なのですね。課題解決に必要なシステム技術があって、それの基礎となるものがシステム科学だと。システムはそもそも課題解決のためのものだということですね。小林 要素技術だけでは課題解決はできませんから、システムが必要ですね。日本は、システム科学技術、システム思考も含めてこの分野では弱いと言われますが、明治以来これまで百何十年、それなりに世界に伍してやってきたと思います。なぜ、システムの分野では弱いと言われるのでしょうか。木村 ある特定のフェーズではとても強いと思いますし、日本のシステム科学技術が輝いていた時代もありました。例えば、1960~70年代にかけての新幹線システムや、電電公社のデータ通信用計算機DIPS、製鉄所の年産1,000万トン一貫生産管理です。これらはシステム的な思考がないと作れないですね。小林 私の専門分野の一つで言いますと、日本はわりと早い時期から光通信技術は進んでいます。なぜかと言うと、個別技術であるファイバー技術、半導体材料や光デバイス等の研究開発のポテンシャルが高く、その性能がとても良かったことと、ネットワークにしてシステムにするところまで世界に先駆けてもっていくことができたからです。新幹線も光ネットワークも、必ずしもキャッチアップ型ではないものを60年代から80年代初頭までに作り上げているというのは、とても興味深いです。
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