Vol.4 No.3 2011
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研究論文:人の認知行動を知って製品やサービスを設計する(赤松ほか)−141−Synthesiology Vol.4 No.3(2011)べきかといった設計の方針を得るための方法論は確立されていない。すでに社会に受け入れられている製品やサービスであれば、その技術の持つ性能の向上が研究開発の目的となり、それに関わる自然科学的知識を動員して研究開発シナリオを定めることができる。しかし、これでは新しい製品を生み出すことはできない。これまで新しい製品の技術開発を行う際には、開発者がアイデアを出し、それを検討してユーザーに受け入れられるであろうと判断して進めていた。しかし、必ずしもそれが高い確率で的中していたとはいえない。これは、開発者と使用者の個性が同じではないことだけでなく、開発している側にいると、利用者側に完全に視点を切り換えてものを見ることができないことが挙げられる。開発者の視点から実際の使用場面を正しく想定することが困難であるのは、使用者自身を含めて状態が絶えず変化する日常のさまざまな状況のもとで、製品やサービスを使うためである。したがって、研究開発の早い段階で、個性を持った個々人の実際の利用場面を理解し、そういった人のための製品やサービスの設計に必要な手掛かりを得るためのプロセスが含まれなければならない。2 なぜ実生活場面の認知行動なのか人間に適合した製品やシステムを実現するための学問である人間工学においては、まずはユーザーである人間の特性を正しく理解することが基本となる。そのために、心理学や生理学また医学そして機械工学や情報工学等の工学的な知識や技術を活用して人間の特性を理解する。これらはいわば自然科学的な枠組みで人間を理解しようという研究方法である。自然科学的な研究アプローチにおいては、対象とする現象の本質とは無関係な要因は外乱となるので、それをいかに統制するかが重要になる。外乱を統制し、製品使用時の生活環境を適切に再現した実験室実験が遂行できれば、例えば高齢者の感覚特性に適合した製品や環境を構成することができる[5]。こういった研究アプローチは、表示のデザインや製品の形態等、人と製品・システムとの接点(インタフェース)を対象とする場合は有効な研究方法である。しかし、製品やシステムまたサービスが発揮する機能やコンテンツについては、このような方法には限界がある。なぜなら、実際に製品やシステムを使ったり、サービスを享受して価値を感じるのは、実験室のなかではなく、実際の生活のなかだからである注1)。人間が生活を営みながら生きている間には、不断に環境が変化し、さまざまな刺激や情報が個体に浴びせかけられる。人間はそれを受容し、それに応じて脳や身体が適応的に変化するとともに、行動を発現する。すなわち、変化し続ける環境と絶えずインタラクションして、個体自身も絶えず変化しているのが私達の生活である注2)。このために、私達が日常生活で機器等を使う時にも、その機器の状態だけでなく、機器が置かれている状況全体を手掛かりに行動する。例えばコピー機を使う時であっても、排出されている紙の状態や機器の蓋の状態、また自分が行ってきた操作等、コピー機のディスプレーに表示されているもの以外も手掛かりにする。このような行為は状況的行為と呼ばれている[6]。したがって、実際の製品の使用場面やサービスを受ける状況下に人を置かないと、製品等をどのように使うか、サービスをどのように受け取るか等を正しく知ることは困難である。実際の使用時の評価を得るために良く行われるのは、試作品を作り、展示会等の場を利用して想定されるユーザーに試用してもらい、それによって評価を受け、改良すべき点を見いだすことである[4][7]。ところがこういったアプローチは、その意図に反して、実際の生活での使用場面における状況を充分に再現することが難しいだけでなく、そもそも開発者側が想定したニーズを具現化したものが出発点になっているために、それが適切でなければ、それを改良してもユーザーの真のニーズに応えられないことがおきる。したがって、ユーザーの使用状況をよく理解したうえでユーザーを満足させる可能性の高い製品を作ってみることから始めなければならない。このように考えると、開発者が想定したものではないユーザーの真のニーズ、つまり、実生活場面で、その人が何を必要としていたり、何を欲しいと思ったり、何を嬉しいと感じるかを明らかにしていく研究手法が必要である。この研究手法は、単に人の認知行動を理解するための認識科学的な手法ではなく、研究から得られる理解の内容や水準が、製品やサービスに持たせる機能を構成するための設計につながるものでなければならない。日常の人の行動の多くは無意識的な処理によって行われていることから、アンケート調査のような事後的な手法ではなく、その使用場面で人が何をどのように感じ、どのように判断したのかを分析できるような研究手法が必要になる。この論文では、認知科学的手法を基に、人と環境の経時的な変動を取り入れた人間の理解のために開発した認知的クロノエスノグラフィ法(Cognitive Chrono-Ethnography:CCE)について述べる。この方法における研究シナリオは、まず製品やサービス設計につながる重要な変数(クリティカルパラメータ)を検討して仮説を構築し、次にそれに基づいて統制をした実生活場面での実験・調査をして、その分析から人の行動選択についての仮説の妥当性を確認するとともに、製品やサービスで実現すべき機能を提案するプロセスからなる。

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