Vol.4 No.2 2011
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論文補遺:PAN系炭素繊維のイノベーションモデル(中村ほか)−114−Synthesiology Vol.4 No.2(2011)これは著者が整理のため便宜的に分類したものであり、読者が理解しやすいようにしたものである。特に材料研究にありがちであるが、先行している材料より良いものを探したけれども結果的には見つからなかった、という新材料開発における裏を取る作業の必要性を述べている。(進藤博士ほか関係者へのインタビューで得られた情報に基づく。)新しい材料が発見され、社会に認知・賞賛されるようになったあと、性能的にもコスト的にも、信頼性や耐久性においても、発表された材料が他材料に比べ競争力において真にベストなものかどうかを確かめる必要がある。もちろん、発表側でそのような調査は済ませているはずであるが、その材料の製造プロセスや用途適用等を考えると、さらなる検討が要求される。発想の異なる同業他社、異業種社等が商機を窺い研究に参入する。材料に対する規格が定まっていない場合、その可能性を求めてさらに多くの企業が関心を寄せる。こういう状況は、広い意味で「死の谷」の概念に含まれる。この論文においては、先発グループと第2グループという用語は、この段階を説明するために導入したものである。「製品」を定め、世に出しつつある企業を「先発グループ」、関心を持ち商機を別途見つけようとする企業を「第2グループ」とした。「第2グループ」は当該分野の層を厚くするために必要であるが、意図した結果がでなかったという実績が残ることも多々ある。これらのネガティブ情報は世に出ることなく死蔵の一途をたどる。一般に、一研究者、一企業のカバーできる範囲はいつの世でも限定された範囲に留まることは否めない。そこで、イノベーションの達成を目指して、困難性の高い注文と思われるが、たとえば国としてこの「死の谷」を効率よく越える仕組みづくりが期待される。これに対する試み、または見直しとして、その効果は部分的であるが、164頁右3.2(2)に記載のとおり国立研究所として「研究の進展に応じて成果の社会への出し方(特許、論文、報告会等)と産業界へのコンタクトを考えていた。さらに、成果にはずみをつけるため、成長に併せて研究費の規模をコントロールする方法もうまく使っている」ということに著者らは注目した。大工試は、進藤研究室を誕生させ、新たな研究者を参画させたことも、その裏づけと言える。これは大工試内での組織的研究マネジメントであり、企業も含めた組織的な(システマティックな)研究を実施したということを記述しているわけではない。昨今言うところのイノベーション・ハブに似せた「企業との日常的交流」(164頁右3.2(2))も上記の目的に役立つ可能性がある。当時の状況は、このようなことを意図していたかどうかははなはだ疑問ではあるが、現在の研究機関において企業研究者が自発的に国立研究所に出入りし、ダイナミックな議論がより多く交わされるようなことがあれば「死の谷」を乗り越えるための時間が多少なりとも短縮されることが期待される。4 PAN系炭素繊維の開発者についての解説165頁左3.3原文;英国の炭素研究者は1963年の米国炭素会議における進藤博士の発表によってPAN繊維を炭素繊維原料にすることの有用性を認識してPAN系炭素繊維の研究を開始している。以下の参考文献を追加し、この記述の根拠とする。文献[17]に、「進藤の研究成果は1963年6月に開催された米国炭素会議で発表され、これが契機となって欧米におけるPAN系炭素繊維の研究が進められた」との記述があり、さらにその下部の文章には、「英国RAEがPAN系に着手した理由は、進藤の発表に触発されたとしか考えられない」の記述がある。文献[18]の24頁左にも同様な記述がある。文献[19]においても次の記述がある。「W. Watt et al., Nature 213, 690-691 (1967) and Nature 220, 835 (1968); referenced Shindo’s earlier work, and PAN carbon fibres were first made by Shindo and・・」5 最初の発明からイノベーションに至る年月についての解説165頁右3.3原文;実際の製品が世に出る10年以上前から技術移転が行われている。ここでいう実際の製品が世に出た時期とは、文献[20]に「炭素繊維強化プラスチックを使った釣竿やブラックシャフト(著者注;実際の製品)は1972年頃から世に知られるようになった。」と記述されているように、1972年を想定している。一方、進藤らが日本カーボン㈱と松下電器産業㈱に対して行った「黒鉛繊維の製造方法」という名称の「技術指導」は1960年であり、時間関係は原文のとおりである。この論文の趣旨は、最初の発明(1959)から、真に役に立つもの(製品)に到達するまでには、一研究者の努力だけでなく、多種・多大な研究と労力および長い年月が必要である、というイノベーションの困難さを表現するものであり、技術史の年表のような厳密さで10年を表現しているものでない。

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