Vol.3 No.4 2010
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−311−Synthesiology Vol.3 No.4(2010)対談:臨床医学研究とシンセシオロジー日本でなぜ大規模臨床研究が進まないのか司会 先ほどの筋ジストロフィーのケースもそうですが、治療方法のアイデアとなるような基礎研究が多くあるのに、かたや、臨床に応用できるものが出てこない。大規模臨床研究も含めて、日本で臨床研究が進まないのはなぜでしょうか。口 研究者は、「オリジナリティのあるクオリティの高い研究をクオリティの高いジャーナルに掲載する」ことが仕事として評価されます。大規模な臨床研究は、三、四十人が関わって、デザインも非常に用意周到に準備して、大勢の患者さんをリクルートして、そして初めて成り立つという世界ですから、研究者としてはものすごく生産性が悪い。一つの臨床研究を終わらせるのに、場合によっては5、6年かかります。しかも、そこですばらしい結果が得られたとしても、ファーストオーサーは1人です。他の三、四十人の人たちにとっては、割いたエネルギーに対する評価を考えれば自分一人でデザインして、動物を使って数カ月でいい研究をして、ファーストオーサーになってネイチャー、サイエンスに出したほうがずっと効率がいいし、評価も高い。こういう認識になるのは、ある意味では当然なのでしょうが、それがこの領域を遅らせてきた理由の一つです。アメリカでは、そこに研究費や人を投入し、しかもオーサーもかなりの数を並べて、この研究に関わったということで評価される。その辺の違いもあるのだろうと思うのですが、日本は決定的に遅れました。司会 今の大規模臨床研究が進まない理由は、『Synthesiology』の発刊の趣旨とも非常に関係が深いように思いますが、小野編集委員長はどう思いますか。小野 臨床研究が遅れた要因の一つに「研究者としての論文生産性」というお話がありましたが、産総研も第1種基礎研究と製品化研究の橋渡しとしての第2種基礎研究の推進を柱にしようとしたとき、「研究者として評価してほしい。この領域でジャーナルがありません。どうするのですか」と言われました。そして、『Synthesiology』ができたのです。まだささやかなものですが、この雑誌に掲載される論文は、我々がいわゆる基礎科学と言ってきた論文とどこが違うのか、どこにオリジナリティがあるのかということを突き詰めて考えました。また査読者の名前を明らかにしています。一般の学術ジャーナルは、公平性を担保するために、査読者は匿名、著者の名前も査読者に対して匿名にする傾向ですが、我々はそれの逆を行ったのですね。どういう点が評価されたのか、あるいは評価されなかったのかということに関して完全にオープンにしてしまう。透明性を担保したのですが、実は公平性のほうにもいい影響がありまして、査読者は自分の名前が出るとなると、変な質問ができないし、偏ったコメントができなくなる(笑)。司会 臨床研究が進まなかった理由は、ほかにもあるでしょうか。口 国家として、そういうものに価値を置き、資金を投入し、そして人を育てるということをしてこなかったことです。製薬会社も大規模臨床研究をしますが、それは最終的に薬になって大勢の患者さんが使ってくれる場合に限ります。患者数は少ないけれども重篤な疾患には国のサポートが必要です。最近スタートした「医師主導型治験」は製薬メーカーが直接関与せずに、パブリックな研究費を得て、医師が主体に行っています。人を育てるということでは、教育のシステムは今でも十分とは言えません。臨床研究を行うためには生物統計や疫学統計の専門家が必要ですが、大学に講座がない。そのため、ほとんどの人は海外で勉強して、帰ってくると就職先として製薬会社に行きます。また、大型臨床研究をするには、どれくらいの統計値で有意差がつくのか、そのために症例がどれくらい必要かというデザインをしなければいけませんが、臨床疫学を専門とする大学の講座は5指に満たない。研究者としてのモチベーションという面も大きいのだけれども、臨床研究に対する環境が整っていなかったし、重要性を国も大学も研究所も共有できていなかった。その結果、日本はどんどん遅れていったわけです。小野 ドラッグ・ラグという言葉をよく聞きます。口 日本では臨床研究を行う体制が十分整っていないため、外国で使える薬が日本で使えないということです。小野 晃 氏
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