Vol.3 No.2 2010
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−163−Synthesiology Vol.3 No.2(2010)報告:知の統合を目指す学問体系対象となる「知」の構造にドメインの違うものがあることについて整理したほうがいいと思うのです。まず、自然や物理世界など自然の摂理によって検証できるもの。次に、論理世界、シンキングワールドの話があって、これは数学であったりモデルであったりするもの。問題なのはいわゆる人間社会を扱うというタイプであって、これは意思や意味、価値が絡む話であり、やろうとしている我々自身が含まれている、しかも自然や工学を含んだ社会であるということです。まず3つのディメンションで知の統合を整理すべきだと思います。それらをつなぐタイプの統合は、野心的、あるいは問題を通じたアドホックな統合という新しいタイプの動きがあるかもしれません。 赤松 世の中にさんざんジャーナルがあるにもかかわらず、なぜまたジャーナルを出すのかという議論があったとき、事例の蓄積ということをやらないと理論化したところで使えるかどうかわからない、研究そのもののうまくいったデータを集めて学びとる形にしていかざるを得ないだろうと考えました。したがって、『Synthesiology』では、我々編集サイドと著者が構成的と考えるさまざまな研究が論文となっています。小林先生から紹介があったような研究の分類は試行的にやってはいますが、今フロアからいただいたような観点からの分類整理も考えられます。ただ、まだ研究事例を集め始めた段階なので、あまり慌てずにじっくりと蓄積しながら検討していけば良いと考えています。フロア 原先生の図(「横断型基幹科学技術」と「構成学」)はすごく興味深いのですが、一つ質問させていただきたいのは、自然現象は対象になっていたのですが、社会現象はどういうふうな位置付けになるのか。それは別の世界になるのか、自然現象と同等に社会現象もこの図で表すことができるのか。社会が外にあって、ここで蓄積した知識、構築した論理を別の社会というところである種の意味付けを持たせているのか。私の考え方は、「科学といえども社会的な現象である」というのが前提です。社会は動いているし、科学も動いている。チャレンジングでおもしろいのはそのインタラクションだと思うのですが、それをこの中に表現していただくと横幹連合の良い部分が強くわかってくると思います。もう一つ、“構成”はSynthesisという言葉を使われているのですが、複数のロジックで固めた塊があって、それをいかに一つのストーリーにするかというものですし、“統合”はもっと深い意味で、組み合わせて一つのものになるという話です。これまで様々な異分野融合が行われていますが、やはり難しい。現実的に可能なのはSynthesisのほうだと思うのです。それが究極なところにいくと、ある種の統合が起こって新しいディシプリンができて、またグルグル回って新たなものにされるという形になるのかなと思います。赤松 我々が『Synthesiology』でターゲットとしているのは「研究者の営み」です。したがって、その研究者を動かした社会背景というものがあるはずです。岸本さんの研究も社会とのインタラクションによって行われた研究ということができます。これ以外にも、研究組織内の研究者間のインタラクション、研究者と産業界とのインタラクションなどが背景になっている研究が多いことは、『Synthesiology』の論文を読んでいると気付かされることです。出来上がったものだけを対象にするのではなく、社会とインタラクションしながら、ゴールの定義をきちんとして、そこを目指して、何を組み合わせていったらいいかということを考えていく、そのプロセスが研究者として大事です。これまではあまり意識せずにそれをやって来たのを、『Synthesiology』ではそれを論文として記述して行こうというのが狙いの一つです。そういう意味で“統合”という言葉をあえて使わずに、だんだん形作っていくというイメージを持って、“シンセシス”という言葉を使うことにしました。きょうは、いろいろな形の議論ができたと思いますし、今後もお互いに切磋琢磨しながらやっていきたいと思います。ありがとうございました。(閉会挨拶)木村 英紀(横幹連合会長、理化学研究所) 2年ほど前に『Synthesiology』発刊の計画を伺って、これはすごい、やられたと正直、思いました。まさに我々が思っていたことをこれからおやりになるのだということで、出てきた結果も実にすばらしい。吉川先生は、ディシプリンは学問が発展するために必要だが、必要悪とまで言い切り、研究者の情熱は、必ずそれを乗り越えて問題に肉薄するものであるという信念を持ち続けておられますが、きょう発表していただいた岸本さんは、まさにディシプリンの限界を身をもって体験され、それを乗り越え、すばらしい結果を出されたわけです。しかし、学会はディシプリンによってできており、それを相対化して必要悪と言ってしまうと学会連合は存在しないという矛盾を抱えるのですが、バランスをとってその存在を認め、それを乗り越える情熱を持つ方向を求めていかなければいけないだろう。これは今後の学問の進展の必然的な方向性だろうと思います。産総研という、すばらしい研究者を何千人も抱えているところがこういうことを始められたということで、我々は今後とも見守りたいし、学としての立場でできる限りサポートしていきたいと考えております。
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