Vol.3 No.1 2010
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−80−Synthesiology Vol.3 No.1(2010)座談会:シンセシオロジー創刊2周年を迎えて訓練されたのか、産総研にいたから訓練されたのかわかりませんが、研究プロジェクトやプログラムを作るときには、構成的に作っていかなければいけないということは非常に感じました。構成的研究の方法論を引用する小野 内藤さんも「構成学の研究」をこれからやるべきだというふうに思っておられるようですが。内藤 今のところ、事例研究の延長というふうに見られてもしようがないのではないかと思っています。将来的には、『シンセシオロジー』自身が研究の材料になって、小林さんが作ったモデルに持ち上げて、そこからさらに教育、設計に持っていき、ある種の設計の手順書みたいなものがアウトプットとして出てくると、本当の理論ができ上がってくるのではないかと思います。私個人としては、もっと事例を集めないといけない時だし、ある程度まとまってくると、これを研究しようという研究者が集まり、最終的に一つの学問、アプリケーションとしての教育と設計ができ上がってくるのではないかと強く思っています。赤松 著者には「自分が書いた『シンセシオロジー』の論文は、過去に掲載されたこのタイプの研究のアプローチと同じです」という記述をしてほしいですね。内藤さんが言ったのは、第三者がこれを材料にして研究をするということですが、本来、研究領域であれば、研究者が自分の論文を引用するときに「自分のやり方はこういう研究アプローチと似ているが、違うところはここです」というふうに自分自身で位置付けしないといけない。そうすることで蓄積されてくると思うのです。熱く語ることはできているのですが、そこが今足りないなと思っています。小野 私も同じ問題を感じていますが、研究者はシナリオの設定においてシンセシオロジー的考え方をしていないので書けないのか、それとも自ら行ったシンセシスのプロセスを自分で振り返ったときうまく再整理できないのか、どちらでしょうか。銅鉄実験方法論と構成的方法論吉川 後者だと思いますね。我田引水的かもしれないけれども、いいシンセシスをやった、それを独創した人は、シンセシオロジー的な思考回路が働いたというふうに思わざるを得ないでしょう。工学で、ある材料で実験したとか、機械工学でスピードを速くして形の変化を非常に詳しく観察して、その理論を作った。それを銅でやり、他の人は鉄でやった。同じ方法でも論文を書けるわけですが、それは表層的なプロセスを真似している。しかし、最初にやった人は、決して表層ではなくて、背後にどうやって材料の本質を調べようかという、プログラムを立てたうえで分析研究をやるわけでしょう。本物の研究には必ずシンセシオロジー的なものがあるわけです。小林 ある論文の査読をしたときに、著者自身はあまり構成的な考え方を取ったという意識はなかったのですが、私が「戦略的選択型の中で戦略をだんだん絞っていって、こうなったのではないですか」と言ったら、「あ、そういうことですね」と、著者と査読者がディスカッションする中で見つけた事例もあります。小野 もう一つ深読みすれば、実はそもそも著者が構成的考え方をもっていたのであって、このような論文を書くチャンスがあったので顕在化しただけ、という言い方もできるわけですね。小林 2巻2号の「PAN系炭素繊維のイノベーションモデル」の論文は、1960年代に旧工業技術院大阪工業技術試験所で進藤昭男博士が発明したポリアクリルニトリル(PAN)系炭素繊維が今ビジネスに結びついているということを中村治氏たちが書いてくれたものですが、幾つかポイントがあります。もともと炭素繊維という素材が良かったのですが、アメリカ軍関係者に「これは機械的強度がすごい。それが使える」と言われて、初めに考えたシナリオとは全然違うところで「構成」が始まったそうです。大切なのは「人との出会い」だと思うのですが、論理だけではうまくいかなくて、偶然も含んで最終的にモノになっていくところがあるような気がします。シンセシオロジーはsocial wishを目指す吉川 その話は非常に重要で、アメリカ軍関係者の「力小林 直人 氏
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