Vol.3 No.1 2010
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論説:“社会のための科学”と研究開発評価(大谷)−69−Synthesiology Vol.3 No.1(2010)と)に対して、見直しと修正を行っている、と主張するのである。しかし、我々が取り扱っている研究開発の目的は何であったのか、今一度振り返ってみると、それは研究の“結果”、それを“使って”どのように社会問題の解決につなげるか、ということであった。つまり、見直したい内容とは、個別具体的なプロジェクトではなく(またそこに留まるのではなく)、それらの研究なりプロジェクトを実施した“結果”、その成果を“使って”、どのように政策課題を実現せしめるかを目的とした“システム”の設計が、我々が真に目指すべきことであった。そして、システムの改善へとつなげるため、実態をつまびらかにするものとしての評価があったはずである。科学技術研究の実施はそのための一手段であって、それ自体が目的ではない。もちろん研究開発はこのシステムのコアであり、よい研究結果は必須のものであるが、一方で、社会問題の解決のための時間も資源も有限であるのだから、「研究はやってみなければ分からない」ということでエンドレスに研究が続けられ、いつまでたっても必要とされる社会問題が解決されないのであれば、それは社会にとっては困った事態となってしまう。このように、我々がここで対象とするところの評価は、社会問題の解決といった“意図した結果” [9]を実現せしめる、“システム全体の見直しと修正”であることを強く認識する必要がある。もしシステムではなく、個別具体的な研究の専門分野(本例で言えば試験管の実験)を見直しと修正の対象とするならば、それは冒頭で述べた研究者の反論、「専門外なのにどういう資格で、当該専門分野を評価できるのか?」という疑問に突き当たることになる。それは当該分野の専門領域内のピアレビューに付すべきものであって、ここでの評価が口出しできるものでもないし、すべきことでもない。ところで、一般に日本語の“評価”という言葉は、必ずしもこの意味を明示的に示すものではないという問題がある。即ち、評価というとどうしても、どこかの偉い学者とか行政官などといった人達が高いところから見下ろして、何かお墨付きを与えるような印象を拭いきれないのが現実ではなかろうか(例えば[10])。更に、それが査定という意思決定と潜在的に結びついて、評価される側からすると、通常とは異なることをすれば何か断罪されてしまうというような恐怖を無意識的に含んでしまう可能性がある。そうではなく、見直しと修正のための評価はより良くするために行うものであり、しかもそれは本来的に主体的な行為のはずである。そこで今後、見直しと修正のための評価を指すのに本稿では“内省評価”と呼ぶことにする。即ち、「自分の考えや行動などを深くかえりみる」(大辞泉より)という“内省”という言葉の有する意味を借用して、この言葉を使用する。こうした内省評価という視点を導入すると、評価における“実績の把握”において、自ずから注目すべきものが達成度評価とは大きく違ってくる。このことを文献[9]の概念整理を援用して、以下説明する。一般に評価といった場合、我々はついつい、成果(Product)に気を取られてしまい勝ちである。しかし実は成果(Product)というのは実績(Performance)の一部を構成しているに過ぎず、実績には他にも、その成果に至るまでの過程(Process)も含むことに注意しなければならない(図1を参照;[9]の図を一部改変)。即ち、達成度という観点のみに限定した評価だと、目標値に対してきちんと達成したかをみればいいわけなので、どうしても成果、その中でも更に狭い、主題に直接かかわる部分に限定した“主題的な成果”にしか着目しないことになる。先の試験勉強の例でいえば、要は合格するのに必要な点数をとれたかどうかしかみないことであって、そのためにどのように勉強したか、どれだけ勉強したかというのは達成度評価にとっては預かり知らぬもので、注目の対象とはならないのである。しかし内省評価(見直しと修正のための評価)の視点に立つ場合、もし点数が目標よりとれなかった場合、どのように見直していけばいいのかを知るためには、何が悪くてその点数を得るに至ったのか、そのプロセスをつまびらか 過程 Process成果 Product実績 Performance波及効果意図した結果主題的な成果制度体制運営費用内省評価の為に考慮が必要な要素達成度評価の視点図1 研究開発評価の実績の分類。[9] からの図を引用・一部改変。
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