Vol.3 No.1 2010
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論説:“社会のための科学”と研究開発評価(大谷)−68−Synthesiology Vol.3 No.1(2010)既に答えもしくは答え方の分かっているものが出題される。試験においては、そうした内容を受験者がどれだけきちんと勉強して身に付けたかが問われるわけで、これはまさに達成度評価に他ならない。ところが研究開発のように、未だ達成方法が検証されていない対象に関しては、達成度評価の視点から評価をするのは適切ではない。なんとなれば、分からないから研究開発を実施するのであって、既に分かっている対象を取り上げて研究開発を行っても、それはもはや研究開発に値する行為とはいえないからである。それにもかかわらず、強引に達成度評価の視点を導入してしまうと、わざと目標を下げて、達成しやすいような安易な目標を設定して、想定目標に対して十分達成できた、と主張するような風潮が跋扈しかねない状況が生じる恐れがある。これは研究開発の促進のためには、はなはだ具合の悪いことである。更に敷衍すれば、この達成度評価はともすると「どれだけ頑張ったか」という尺度が潜在的に入ってきて、たくさんの量を達成すればするほどいいという傾向を助長しかねない特徴を有する。即ち、達成方法は既知であるのだから、成果の量が多ければ、その分だけよく頑張った(だから素晴らしい)、という論理が潜在的に助長され得る。例えば、インパクトのある論文1本よりも、重要度は低くても100本も論文があれば凄い、という風潮の跋扈する土壌になりかねない。当該分野の専門外の人からみれば、1本しか論文がないよりも、100本も量があったらそれは凄そうに見えるからである。二番目の評価の視点が、価値評価と言われるものである。これは文字どおり、対象や物事の価値を定めるのが目的であり、一般に、「〜が非常に高く評価される」というような表現でよく使われる意味での評価である。価値評価は、評価者が評価対象を自らの価値観(価値基準)で判断する評価なので、極端な話、ノーベル賞を受賞した研究であっても、評価者にとって興味がなかったり価値がないと思われれば、“その人にとっては”価値評価は低いものとなる。よって、目的や判断の基準を共有しないと、評価者によってばらばらな評価になってしまうという特徴を持つ。「基礎研究と応用研究、どちらが評価できるか?」という議論が一つの例であり、これに対する答えは、全体の目的に即した議論が行われない限り、評価者同士の単なる価値観の押し付け合いに終始してしまう。また価値評価は、同じ対象でも、置かれている“状況”や“目的”によって、変化しうるということも特徴である。例えば、かつて日本企業で基礎研究よりも応用研究の方が盛んに行われていたのは、後者の方が企業利益をより上げられるという価値評価のために他ならない。しかし、時代“状況”が変わってしまった現在、同じ価値評価では立ちゆかなくなっていることは周知のとおりである。三番目の評価の視点は、説明責任のための評価である。これは主に、研究開発費用の出資者(財政当局や納税者)に対しての説明責任を果たすことを目的とするものであり、出資してもらえるかを納得させられるかが重要となる。説明責任のための評価の一番わかりやすい形は、貨幣換算し費用対便益分析を行って、費用C(インプット)と便益B (アウトプット)の比(B/C)が1以上であることを示すことで、さまざまな経済学的算出手法が提案されている[7][8]。しかし金銭に換算されにくい研究課題や対象については計算が困難であり、更に、この説明責任のための評価は「費用対便益比B/Cが1以上であるかどうか」という“指標”が達成されているかという意味で達成度評価の一つの形態に過ぎない。そして、B/C>1でない場合にこれを改善するためには次に何をすればよいのかという必然的に出てくる疑問について、一切答えが得られないという根本的な問題を有している。2.2 内省評価についてそこで重要になってくるのが、見直しと修正のための評価である。これは研究開発のように、答えの分かっていない対象を取り扱う場合や、動的に変化する周りの環境に適応することを目的とするための評価であり、同じ“評価”という名前がついても他の三つの評価とは、全く様相の異なるものである。我々が今取り扱っているように、解決方法がよく分かっていない場合、あれこれ考えては試し、考えては試し、というtrial and errorをやっていかなければいけない。といって無闇に行っても効率が悪いので、ある試みを行った結果、もしそれがうまくいかなかった場合、何がいけなかったのか自分の行為から学習して、次の行動への見直しのために活かしていくことが必要になってくる。しかし、うまく見直すためには、当然自分がどんな行為を行って、その結果発生した事象との間がどんな因果関係で結ばれているのか、ということをつまびらかにしなければならない。この“実態を「つまびらかにする[3]」 行為”こそが、ここでいう見直しと修正のための評価に相当する。ここでいう見直しと修正のための評価に係わる内容とは、冒頭で述べた本稿のとる立場から、個別具体的な研究開発の内容の詳細に係わるものではない。こうした点を強調するのは、見直しと修正のための評価と言った場合、多くの研究者は次のような状況を想像しがちだからである。例えば、「ある夢の材料を作ろうと試験管を振ったができない。何故だろう?そうだ、クエン酸を加えてみよう」、といったものである。研究者はこの状況において、達成方法が分からない事項(この場合は、ある夢の材料を作るこ
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