Vol.3 No.1 2010
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研究論文:臨床情報学のための野外科学的方法(木下ほか)−37−Synthesiology Vol.3 No.1(2010)が全く異なる文化の人々と接する機会が生じた。当初は文化の違いをすべて、文化の先進、後進に帰着させる素朴な文化観が支配的であったが、二十世紀に入って、文化の先進性後進性よりも、地域的、歴史的理由によって生じた多様な文化を比較研究しようとする文化人類学、民族学が盛んになった。その結果、ものの見方が異なっていて相互理解が困難だというだけの理由で先進後進が論じられない場合も多々みられることが明らかになった。我々はこれと相似の状況に直面している。リスクを抱えた現場において状況を分析し、改善するための手法が臨床情報学では研究の対象である。とはいうものの、現場の状況分析、改善を実際に行う作業が手法研究には必須である。この作業において臨床情報学研究者と現場の技術者とが接触する。ところで、現代では情報技術は基本的方法論としてあまねく行き渡っているから、情報システムを取り扱っている現場の技術者の技術分野は電子工学から機械工学、化学プロセスまで千差万別である。このため、臨床情報学においてはさまざまな分野の技術者と接触し、膨大な数の要因が相互に影響しあう多様で複雑な状況の分析や、改善を行なうための情報交換を行なわなければならない。後述するように我々の技術移転では、技術者に馴染みのない数理論理学などの背景知識を伝えることから始める必要があった。このような過程は一種の異文化交流であるといえよう。そこで、本稿では技術移転過程を異文化交流の一つとみて考察を進める。ここに、民族学の研究手法を技術移転の考察に応用する根拠がある。このような多様で複雑な状況を取り扱うための研究方法論一般に関して、質的研究(qualitative research)、エスノグラフィー(ethnography)、フィールドワーク(fieldwork)や野外科学(field-science)が論じられ、インタビューや参与観察(participant observation)、KJ法[1]-[3]などの要素技術が、民族学をはじめ社会学、看護学などで用いられている。わが国におけるフィールドワークの中心地の一つである京都大学では、フィールド情報学が提唱されており、そこでは「フィールドで生じる諸問題に対して情報学の視点からその解決法を提案する」とされている[4]。さて、著者らが所属する産業技術総合研究所システム検証研究センター(以下CVS)は、情報システムが意図どおりに稼動するかどうかを確かめる検証の技術、とくに数理的技法を中心に研究を進めている。システムについて検証したい性質は、デッドロックに陥らない、サービスを適切に与える、計算が無限ループに陥らない、正しい結果を計算するなど多岐に渡るが、これらの性質を論理式で表現し、システムの実装がその性質をもつことを数学的に証明することによって動作を保証するのが、数理的技法による検証法である。システムが不具合をもつ場合には、証明がうまく進まず、その場合には性質が成り立っていない反例を提出することが望まれる。証明あるいは反例の提出を、人間が行う場合(半形式手法)と、機械(コンピュータ)が行う場合(形式手法)がある。CVSでは、情報システムの検証にモデル検査と呼ばれる形式手法に関連する臨床情報学研究をフィールドワークと称して、研究センター設置以来数年にわたり、十指に余る数の共同研究プロジェクトとして行なってきた[5][6]。相手先企業との話し合いを通じた状況の分析から始めて、状況の改善に資すると思われるモデル検査の用い方を考察し、それを相手先の技術者に伝えることによって技術を移転することを試みた。そこでは、参与観察などの野外科学的方法が中心的な役割を果たした。野外科学的方法論は、川喜田二郎氏によって、仕事の進め方の一般論として議論されてきたもので、有名なKJ法をその一部として含むものである。そこで本稿では、我々のフィールドワークを例にし、川喜田氏の野外科学的方法論を指導原理として、臨床情報学の対象として重要な情報技術の移転過程の体系化を試みる。以下では次のように議論をすすめる。まず第2節では、我々の研究対象である情報システムのディペンダビリティについての用語整理と、技術移転の対象としたモデル検査と呼ばれる技法の解説を行う。第3節では、技術移転の過程を川喜田氏のW型解決モデルを用いて体系化することを試みる。この体系に照らし合わせながら、第4節と第5節では臨床情報学における技術移転の一般的シナリオを提示する。我々が行なってきた技術移転のシナリオを第4節に記し、第5節では、そこで用いられた技術移転のための要素技術のいくつかについて概略を説明する。第6章では我々の経験した技術移転の事例のなかで最も大規模なものを二つ紹介して、そのアウトカムの評価を試みる。最後に第7章で我々の提示した技術移転の過程のモデルについて議論し、今後の課題をいくつかあげて結論を述べる。2 技術移転の対象技術:モデル検査本章では、我々が技術移転の対象としたモデル検査技術注1)の概要と現状を説明する。モデル検査技術は、ここではシステムの欠陥除去(fault removal)注2)における検証や診断のために用いられた。数理論理学では、データやデータに関する命題を記述する人工言語、およびその言語で表された公理や推論規則(あるいは証明規則。前提となる命題から帰結となる命題を導く規則である)を与える「形式理論」と、その形式理論における人工言語で表現され

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