Vol.2 No.4 2009
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−333−Synthesiology Vol.2 No.4(2009)インタビュー:工学の克復とシンセシオロジーベーションです。一方、これは自己批判にもなるのですが、今、第4期科学技術基本計画の策定が始まろうとしています。科学技術に対する期待が高まり、大きな投資をされた。国民に還元され、産業も発展するという、具体的な投資効果を見なければいけないのではないかという非常に強い意見が技術政策サイドから出ています。これはある意味では当然だと思うのですが、研究者のレベルまで戻ると、先ほど申し上げたような「ブレークスルーがイノベーションだ」と思っているようでは、これには応えられない。研究者は 「自分は頑張って、こんなにすばらしいものを発見・発明した」かもしれないけれども、あまりにも先端すぎて、日本の今の産業技術がそれを利用する力がないという、ギャップを埋められないときがある。うがったいい方をすれば、世界にはその先端シーズを利用できる力やマインドを持っている企業があって、日本から出たものが真っ先に他の国で利用されてしまうという問題も出てきてしまう。一人ひとりの研究者のレベルまで戻って、どこにどう力を加えたらほんとうに国民の税金を使って日本の国のためになるのか、ということをもう一回考え直しなさいという形で、私は「イノベーション」といわれていると感じています。小野 今のお話はシンセシオロジーの編集の立場からも非常に共感できるところです。「研究者一人ひとりのところまで戻って」というところは大変重要だと思います。長井 産業界、社会・国民、技術政策サイドでいっているイノベーションはそれぞれ微妙に違いますが、新しい方向を求めて、いろいろなブレークスルーが合わさった形でパラダイムが全く変わるということがまさに期待されています。日本でいえば、資源やエネルギーをどう確保していくのか。世界にとって邪魔者にならず、歓迎されるような方向やしっかりとした見通しが必要です。そういう意味でも、工学がこれから活躍すべきときなのに、「理科離れ」とか「さらば工学部」といわれているのは、いかにも情けないということに戻るのです。“工学”を「問題解決する科学」と定義しよう小野 日本の工学といいますか、技術は良かったはずなのに、それがどこで失われてきたのか、という思いがあります。「工学の克復」というとき、工学とはどのようなものとお考えですか。技術でもない、科学とも違う、工学独自の科学のようなものがあるとお考えでしょうか。長井 「科学技術」という四字熟語もありますが、これをどう定義するかは結構難しい。工学と科学と技術をそれぞれの熟語で考え、今日的な意味を見直し、それから「科学技術」の意味を再定義したほうがいいのではないかと思っています。「日本的曖昧さがいい」という人もいますが、曖昧さを持った指導原理が敗北につながることもあります。 小野 まずは言葉の定義をしっかりしませんと。長井 工学は、英語で「engineering」といい切ってもいいと思いますが、「scienceとtechnologyとengineering」もしくは「science of engineering」を工学だという言い方もあって、私はいずれもわかるのですが、そういう意味でいうと「工学は問題解決する科学」だと理解しています。ただ、私は工学の定義が日本の中では少し揺らいでいるのではないかと思うようになりました。こういうと叱られるかもしれませんが、日本の工学部はサイエンス寄りになり過ぎた嫌いが強い。“工学”という言葉の意味が拡散してしまって、工学の牙城たるべき工学部が工学から実は離れていっているという指摘が産業界の方々からあります。最近、いろいろな報告書であからさまに「工学部が工学ではなくなっている。亜理学部や理学部的工学部になってしまっている」という人が増えています。問題解決するということで工学部を目指していた学生たちが、それだったら理学部や医学部や経済学部に行こうというふうになるのは、工学部が本来のあるべき姿を見失ってしまっているからではないか、といわざるを得ません。工学部は理学部から生まれ出たもので、実は工学部を世界で初めてつくったのは日本なのです。「技術」と共に発展する「科学」が求められる時代小野 本来の日本の工学というのがあったはずではないか、ということですね。工学のあるべき姿を目指すということは、まさに工学の克復の原点です。科学と技術ですが、この二つは融合しつつある時代だといわれますが、その一方で、未だに相互に独立していて、互いに別々に発展している面もあります。融合と独立について、どのようにお考えになりますか。長井 東洋における科学史や技術史は意外と勉強されていません。西洋で西洋技術史もあまり勉強されていないのですが、西洋科学史は非常によく研究されています。東大名誉教授の村上陽一郎先生がわかりやすい説明をされていますが、「西洋には神様がつくりたもうた二つのものがあって、一つは聖書であり、もう一つは自然である。ここに神の啓示がある。この神の啓示を解明するのが学問の目的であるということから西洋の科学は生まれている」。

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